太田述正コラム#0280(2004.3.6)
<ハイチの悲劇(その2)>

(3)米国
 1804年にハイチが独立を宣言すると、これに恐惶をきたした大奴隷所有者たるトーマス・ジェファーソン米大統領は、ハイチに対する経済制裁を開始します。フランスもスペインも経済制裁を行っていたので、内戦の勃発とあいまってハイチは経済的に著しく疲弊してしまいます。(もっとも、米国の船だけは米国政府からハイチの港に出入りして密貿易に従事することを黙認され、米国の商人は濡れ手の泡の利益をあげ続けました。)
 その後58年もたった南北戦争の最中の1862年(=リンカーン大統領が奴隷解放宣言を発する一年前)に至って米国はようやくハイチを承認し、同時に経済制裁を解除しました。その後、米国資本がハイチに進出し、先行して進出していたフランス資本と並んでハイチ経済を牛耳るようになります。
 1915年に米国は、ハイチで起こっていたムラットと黒人の抗争のさなか、米国の経済権益を守るためにハイチに海兵隊を派遣し、占領します。これ以降はフランスの影響力は衰えます。
 1934年に米国の占領は終わりますが、引き続き1947年まで米国はハイチの財政権を手放そうとはしませんでした。
 (以上、クリスチャンサイエンスモニター前掲、冒頭、二番目、三番目、四番目のハートフォードサイトによる。)

(4)総括
それでは、このうちどの国の責任が一番重いのでしょうか。

先月亡くなった米国の著名なマルクス経済学者のポール・スウィージー(Paul Sweezy)は、1971年にキューバ等を念頭に置いて、「<資本主義の>主要な矛盾は・・先進地域の内部ではなく、先進地域(developed parts)と後進地域(undeveloped parts)の間に生じる」と主張したのですが、この「理論」は当時一世を風靡したものです(http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1161736,00.html。3月4日アクセス)。
この、カール・マルクスの顔色をなからしめる新しいマルクス経済学「理論」が正しいとすれば、ハイチの悲劇をもたらした最大の責任は米国の資本主義(米帝国主義)にある、ということになりそうですが、冷戦の終焉がマルクスレーニン主義のみならずマルクス経済学の権威をも失墜させたこともあり、今では殆どこの「理論」を顧みる人はありません。

他方、17世紀末までハイチを支配したスペインを追及しようにも、いささか話が古すぎます。

アリスティッドは、責任はフランスにあると考えたようです。
ハイチ政府は、ハイチ独立に至るまでの奴隷制によって被害を蒙ったとして、昨年、総額210億ドルの損害賠償を求める訴訟をフランス政府に対して起こす旨を表明し、フランス政府を慌てさせました(BBC前掲)。
アリスティッドが個人的恩義のある米国(後述)を非難できるはずがないことを割り引いても、フランス責任説は有力です。
ハイチの解放奴隷や奴隷達が、フランスの苛烈な支配に耐えかねて反乱を起こし、独立を勝ち取って奴隷制(プランテーション制度)を廃止したことを、経済制裁と賠償金(補償金)収奪によって二度にわたって「処罰」したフランスは非難されてしかるべきです。
フランスの責任は、ハイチの双子の兄弟国とも言うべきドミニカ(人口はハイチが850万人、ドミニカが860万人とほぼ同じで、ハイチは米国の占領を19年間、ドミニカは8年間経験した)の一人当たり国民所得がハイチの6??7倍もあり、両国の歴史の違いの一番大きな点がフランスの支配を受けたか否かであることからも裏付けられます(数字等は http://www.hispaniola.com/DR/Guides/History.html(3月6日アクセス)及びThe Military Balance 2003/2004,IISS,PP314,315による)。

フランス責任説に立脚した上で、ハイチが抱えている最大の問題は何でしょうか。
それは人口の人種的構成です。
これも、ドミニカと比較しましょう。
ドミニカは白人16%、ムラット73%、黒人11%である(http://www.workmall.com/wfb2001/dominican_republic/dominican_republic_people.html。3月6日アクセス)のに対し、ハイチは白人とムラット合わせて1%未満に過ぎず、残りが黒人である(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-elites5mar05,1,2577042,print.story?coll=la-home-headlines。3月5日アクセス)、という著しい違いがあります。
これはハイチが、黒人が人口の圧倒的多数を占めていた時に独立したため、白人やムラットの多くがハイチから逃げ出しただけでなく、その後白人の欧州等からの移民も少なかったからだと解することができます。

一体なぜこれが問題なのでしょうか。
それは、移民は一般的に言って、移民せずに故郷にとどまった人々に比べて、進取の気性に富むリスクを恐れない人々だからです。
ですから、ある西半球の国における、自分で移民してきた白人(及び混血=ムラットを含む、その子孫)と強制的に連れてこられた黒人(及びその子孫)の人口比率は、その国の政治的経済的発展の度合いを左右するのです。
(更に言えば、もともと人類はアフリカで生まれたとされていますが、人類の中で、他の地域に移民せずにアフリカにとどまった人々が黒人であることを思い出してください。
私は、political correctness 的観点からは絶対に述べてはならないことを述べています。しかし、私が人種差別論者ではないことだけはぜひご理解ください。
米国は黒人が人口の多数を占めたことがなかったために破綻国家にはならなくてすんだわけです。なお、米国の黒人問題がアファーマティブ・アクションまで実施したにもかかわらず、少しも「解決」できていないことが、私の指摘を補強してくれます。)

 もう少し説明しましょう。
奴隷の子孫たる黒人人口が多い国では、進取の気性に富むリスクを恐れない人々が少ないため、資本主義がうまく機能せず、経済的に停滞します。
また、そういう国では、少数の白人・ムラットと多数の黒人との間で著しい貧富の差が生じます。当然白人・ムラットが政治権力も掌握しますが、政治は安定せず、黒人による反乱が頻発し、経済がその都度ダメージを受けます。しかも、このような状況は民主主義が導入されるようになると一層悪化します。なぜなら、投票で常に政治権力を黒人が掌握し、白人・ムラットが政治的経済的に迫害されることになるため、白人・ムラットは白人・ムラットの将校にクーデタをやらせて政治権力の奪還を図ろうとするからです。(民主主義の悩ましさについては、コラム#91参照。)
ハイチの歴史は大筋このように進行してきており、ハイチはかくして破綻国家となったのです。

3 エピローグ

最後に、ハイチの最新の「破綻」ぶりに触れて本稿を終えたいと思います。
1990年に元カトリック神父で解放神学の信奉者の黒人アリスティッドが大統領に選出されますが、翌1991年、軍がクーデタを起こして大統領を追放します。
1994年に、米国のクリントン政権は米海兵隊20,000人をハイチに派遣し、アリスティッドを大統領に復帰させます。アリスティッドは、独立以来32回もクーデタを起こした軍隊を翌1995年に廃止します。アリスティッドは1996年、彼の腹心のルネ・プレヴァル(Rene Preval)に大統領職を譲ります。そして2000年にアリスティッドが再び大統領になります。このアリスティッド=プレヴァル体制は、私兵でもって白人・ムラットの迫害を執拗に続け、ために経済は悪化の一途をたどります。
そして2004年の2月に反乱が起き、先般のアリスティッド亡命に至るわけです。
現在、ハイチは国連の錦の旗のもと、米海兵隊を中心とした多国籍部隊の事実上の軍事占領下に置かれています(ロサンゼルスタイムス前掲及びhttp://edition.cnn.com/2004/WORLD/americas/03/05/haiti.unrest.ap/index.html(3月6日アクセス))。

一体われわれはこの破綻国家ハイチをどうすればよいのでしょうか。

(完)