太田述正コラム#7214(2014.10.1)
<中東イスラム文明の成立(その15)>(2015.1.16公開)
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<脚注:湾岸諸国の眉を顰めざるをえない状況>
一、サウディアラビア
「聖なる都市の「守護者達」であるところの、サウディアラビアの統治者達と聖職者達は、歴史に対する根深い憎しみを抱いている。
彼らは、あらゆるものが真っ新に見えることを欲しているのだ。・・・
<メッカに残されたカーバ神殿の内壁以外の>宗教的意義ある建物と言えば、預言者ムハンマドが住んだ家だけだ。
<残りは、全て取り壊されてしまった。>
サウディ家の時代の大部分においては、それは、最初は牛市場として用いられ、次いで、一般公開されない図書館に変えられた。
しかし、これさえも、繰り返し、その破壊を求めてきたサウディの聖職者達には耐えられなかったのだ。
聖職者達は、その中に入ったら、巡礼者達は、神にではなく、預言者<ムハンマド>に祈る・・これは許しがたい罪だった・・であろうことを恐れたのだ。
こうなると、それが完全に破壊され、恐らくは、駐車場に変えられるのは時間の問題だった。・・・
バグダード、ダマスカス、そしてカイロとは違って、メッカはイスラム教の偉大なる知的・文化的中心であったことは一度もない。
しかし、それは、常に、異なったイスラム教の諸宗派や学派の間で議論が行われることが決して稀ではない、多元主義的な都市だった。
しかし、今や、それは、サウディのイスラム教のサラフィー主義ブランド以外の他の全ての諸宗派が誤謬であると見なされるところの、たった一つの、イスラム教の非歴史的にして直解的解釈だけが許される、一枚岩的な宗教的存在へと矮小化してしまった。・・・
イスラム教の精神的核心<であるはずのメッカ>は、差異が許容されない、歴史が何の意味も持たない、そして、消費者主義が遍在する、超近代的な一枚岩的な閉じ込められた空間(enclave)<になってしまったの>だ。
だとすれば、直解主義(literalism)、そして、それと関連するところの、イスラム教の凶悪な(murderous)諸解釈が、イスラム教の諸領域においてかくも支配的になってきたことは何ら驚くべきことではない。」
http://www.nytimes.com/2014/10/01/opinion/the-destruction-of-mecca.html?ref=opinion&_r=0
(10月1日アクセス。以下同じ)
⇒こんなサウディアラビアが、よくもまあ、Isisに対する空爆に、アラブ諸国の総帥格で参加できたものだ。
Isisのバグダーディーとサウディアラビアの国王ないし最も権威ある聖職者が公開討論をしたら、後者側のボロ負けに終わるのが必至だというのに・・。
二、カタール
「過去15年の間に、ドーハ<(=カタールの首都=カタール)>は、カタール在住に加えて、サウディアラビア、クウェート、バーレーン、その他在住のサラフィー主義者達の深く相互に繋がったコミュニティのための、事実上の活動ハブになるに至った。・・・
<ところが、>その一方で、米国政府は、カタール政府のコネを必要とする場合は、それを求めることを躊躇しなかった。
カタールは、グアンタナモ湾のタリバンの5人の囚人達と交換で米兵・・・を解放するのをお膳立てした(orchestratede)。
また、カタールは、シリアにおけるアルカーイダ系であるアル=ヌスラ戦線(al-Nusra Front)と諸交渉を行い、米国人著述家・・・を8月に解放させた。・・・
<さて、>この一年間にわたって、お仲間の湾岸諸国である、サウディアラビア、アラブ首長国連邦、そしてバーレーンは、カタールを、地域一帯の政治的イスラム主義者達を支援しているとして、公然と譴責した。
これら諸国は、手を引かなければ、カタールとの諸国境を閉鎖する、ないしは、この地域の湾岸協力機構の会員資格を停止する、と脅した。
2年近くにわたる圧力の後、カタールの最初の譲歩の兆候が9月13日に訪れた。
エジプトのイスラム同胞会の人物達がカタール政府の要請に基づき、ドーハを去ったのだ。・・・
政府が所有しているアル・ジャジーラは、この地域一帯で伸びており、中東一帯における同胞会の人物達に対して肯定的な(positive)メディア的関心を提供しているし、王家の最高顧問達の多くは、同胞会と繋がりのある外国人達だ。・・・」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/09/30/the_case_against_qatar_funding_extremists_salafi_syria_uae_jihad_muslim_brotherhood_taliban?wp_login_redirect=0(10月1日アクセス)
⇒前述したように、カタールは、アルカーイダ系とはずぶずぶの関係、イスラム同胞会とは盟友関係にあることが、改めて、よく分かる。
三、クウェート
「クウェート<は、>その市民達が、10年間、全力を挙げる(full-throated)諸議会を選出してきており、議員達は公然と官僚の腐敗を批判するといった具合に、ペルシャ湾の保守的な王制諸国の中で最も政治的に開放的<な国>であり続けてきた。・・・
この国の反対諸集団は、2011年に首相を辞任へと導いたし、より最近では、政治活動家達と議員達は、この国の相対的自由さを掘り崩すかもしれないとの懸念の下、地域安全保障条約<の締結>を拒否するように政府に促したこともある。・・・
<ところが、>現在の<同国の>趨勢は反革命へと向かっており、<クウェート人達>は、自分達が以前に採った自由主義的諸措置を取り除き(dismantle)つつあるのだ。」
http://www.nytimes.com/2014/10/01/world/middleeast/kuwait-fighting-dissent-from-within-uses-citizenship-as-a-weapon-.html?ref=world
(10月1日アクセス)
⇒サラフィー・ジハード主義者やシーア派との間で既に有事に突入している、という認識も影響しているのだろうが、基本的には、真正イスラム教徒は最真正イスラム教徒化して行く、との法則がここでも働いている、と見るべきだろう。
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(続く)
中東イスラム文明の成立(その15)
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