太田述正コラム#7242(2014.10.15)
<アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その1)>(2015.1.30公開)
1 始めに
例によって、アングロサクソン文明ではなく、欧米文明という、存在しない代物を前面に押し出して韜晦しつつ、私見によれば、実質的に表記の見解を打ち出したところの、画期的な書評
http://www.theguardian.com/world/2014/oct/14/-sp-western-model-broken-pankaj-mishra
に遭遇したので、その大要をご紹介し、私のコメントを付すことにしました。
2 アングロサクソン文明の非至上性?
「ウクライナからイラクに至る、最近の諸出来事が余りにもはっきりとさせたことだが、欧米は、自分自身のイメージにおいて世界を形作る力を失ってしまった。
それなのに、どうして、欧米は、依然として、あらゆる社会は、欧米の諸線に沿って進化しなければならない、という有害な神話の説教を続けているのだろうか。
ジョン・ミックルスウェイト(John Micklethwait)<(注1)>とエイドリアン・ウールドリッジ(Adrian Wooldridge)<(注2)>による新著の『第4革命(The Fourth Revolution)』によれば、「これまでのところ、21世紀は、欧米モデルにとって、腐った世紀だった」というのだ。
(注1)1962年~。エコノミスト誌編集長。オックスフォード大卒。チェースマンハッタン銀行を経てエコノミスト入社。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Micklethwait
(注2)エコノミスト誌管理編集者(Management Editor)。オックスフォード大卒、同大博士(哲学)。米国のローズ奨学生制度に対応するところの、拡大英国の学生を米国の大学に奨学生として送り込む制度(Harkness Fellowship)によって、カリフォルニア大学バークレー校で学ぶ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Adrian_Wooldridge
http://en.wikipedia.org/wiki/Harkness_Fellowship
これは、イギリスのリベラリズムの旗手であり、長きにわたって、非欧米は欧米の諸処方箋を通じてのみ、繁栄と安定を達成できると執拗に主張してきたところの、エコノミスト誌、の二人の編集者から出た、異常な告白(admission)であるように見える。
それは、今日、欧米モデルが有効でないように見えさせ、その熱烈な擁護者達をいささか当惑させているところのものと同じ諸病理の暗い影を、<21世紀だけでなく、>20世紀もまた落とされていた、という事実を殆んど霞めてしまう。
20世紀は人類史上最も暴力的な世紀だったが、そのことは、「我々の文化の高度に偶発的な諸達成を人間実存の最終的な形態にして規範であると見なすところの」、米国の神学者のラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)<(コラム#3060、6861)>が冷戦酣の時にそう呼んだところの、「欧米文明のつまらない(bland)狂信者達」にとって、最善の宣伝には全くなっていない。
ニーバーは、一世紀を超えて我々の世界観を彩ってきたところの、国民国家と自由民主主義という、欧米の諸制度は、世界中において次第に一般化されて行き、かつまた、産業資本主義によって生み出された上昇志向の(aspiring)中間諸階級が、答責性のある(accountable)、代議的な(representative)安定した諸政府をもたらすであろう、要するに、あらゆる社会は、欧米が進化したのと全く同じように進化すべく運命づけられている、という、原理主義的信条(creed)を批判していたのだ。
この目的論的な、「進歩」をもっぱら欧米的な諸線に沿った発展と定義づけるところの、見解に対する批判者達は、長きにわたって、かかる見解の絶対主義的本性を感知してきた。
世俗的リベラリズムは、「最終的な宗教・・但し、その教会は、あの世ではなくこの世のもの・・である」、と、ロシアの思想家のアレクサンドル・ゲルツェン(Alexander Herzen)<(注3)>は、早くも1862年に注意喚起した。
(注3)1812~70年。「帝政ロシアの哲学者、作家、編集者・・・19世紀後半のロシアにお<ける>『社会主義の父』・・・の一人・・・
モスクワにて、地主の私生児として誕生。彼の母はドイツのシュトゥットガルトからの移民で、姓は「彼の心の子」という意味合いを兼ねて、ドイツ語で心臓を表すherzからとられた」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%B3
モスクワ大学卒。1861年の農奴解放につながる政治的気運を醸成した人物。ナロードニキのイデオロギー上の祖。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Herzen
しかし、それは、長く経済学者達によってもてはやされてきた、資本、諸商品、諸仕事、及び人々が自由に循環するところの、19世紀の欧米化された世界の夢、から、ヘンリー・ルース(Henry Luce)<(コラム#2934、3074、4092、4112、4150、4266、6208)>の自由貿易の「米国の世紀」宣言、更には、「近代化論(modernization theory」<(注4)>・・米国の冷戦の戦士達によってポスト植民地世界を共産主義型の革命から消費者資本主義と民主主義という漸進主義的代替物へと言いくるめて誘惑する企みに至るまでの、多数の法王達・回勅群もどき(presumptive)を擁してきた。
(注4)「旧植民地の国々をいかに近代化させ、欧米的な意味での国民国家形成をいかに実現していくのかを論じた学問分野で、・・・単に経済成長のモデルではなく、政治、社会、文化、心理など人間生活のあらゆる側面において、近代化とは何か、そしてそれはいかに達成できるのかを明らかにしようとした一連の研究であった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8C%96
(続く)
アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その1)
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