太田述正コラム#7244(2014.10.16)
<アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その2)>(2015.1.31公開)
1989年の共産主義諸体制の崩壊は、ニーバーの<言うところの、>平然とした狂信者達を、更に、勇気づけた。
古いマルクス主義イデオロギーは、フランシス・フクヤマ(Francis Fukuyama)<(コラム#4688、4696、4743、4775、6828)>の影響力のあった歴史の終わり論考の中で捨て去られるというよりは装置を改造され、更に、トーマス・フリードマン(Thomas Friedman)<(コラム#1388、2196、5726)>のような、全球化に係るヴォルテール(Voltaire)<(コラム#516n801、996、1079、1254、1255、1256、1259、1665、1865、2382、2454、2502、3413、3559、3684、3702、3722、3754、4023、4443、5134、5238、5250、6634、7043)>の風刺に登場する底抜けの楽天家(Pangloss)<(コラム#5134)>のごとき者達によって、それよりも粗っぽい、世界遍く繁栄への必然的行進に関する諸理論が売り出された。
マクドナルドの諸ハンバーガーを費消することができるほど恵まれた人々は互いに戦争を行なうことはしないだろうと主張しつつ、このNYタイムスのコラムニストは、古いものが好きな(old-fangled)欧州中心主義と米国的なやればできる主義(can-doism)・・米国の9.11までの100年間における中断亡き幸運と無敵の力によって育まれた教義・・とを混ぜ合わせることにかけては、一人ぼっちではなかった。
9.11のテロ攻撃群は、資本と消費による世界の全球化の諸祝福を短期間途切れさせた。
しかし、ナイーヴな諸心への<このテロ攻撃による>衝撃は、ますますそれら諸心を、冷戦の・・「自由」と「非自由」の二値的反対極を通して思考するという・・知的諸習慣の中に閉じこもらせ、古き思い違い(delusion)を倍化させた。
すなわち、近代化論者達によって資本主義の裨益者達の必然的選好と考えられた(conceived)ところの、自由民主主義、が、今や、強情な(recalcitrant)諸社会に<上から>力で植え付けることができる、と。
「イスラム的ファシズム(Islamofascism)」に対する新たな「長い闘争(struggle)」という諸呪文は、共産主義と闘うというイデオロギー的に確実な諸事柄を忘れ難いところの、時代遅れの(superannuate)冷戦の多くの戦士達のナルシシズムを掻き立てた。
<こうして、>この知的ナルシシズムは生き残り、それは、しばしば、経済的権力が欧米から去り始めていることの自覚によって深められたのだ。
ニオール・ファーガソン(Niall Ferguson)<(コラム#125、207~212、738、828、855、880、905、914、967、1053、1202、1433、1436、1469、1492、1507、1691、3129、3379、4123、4207、4209.4313、4870、5081、5087、5116、5125、5162、5291、5300、5314、5530、5546、5675、5677、5687、5907、5942、5950、5991、5993、6191、6257、6277、6519、6726、6915)>によれば、「資本主義をゲットした」支那人達は、結局のところ、今や、「欧米のアプリ群をダウンロードしている」のだ。
<そして、>2008年に至っても、ファリード・ザカリア(Fareed Zakaria)<(注5)(コラム#322、3051、7069、7135)>は、彼の大いに引用された本である、『ポスト米国世界(The Post-American World)』の中で、「米国以外の諸国の興隆は、米国の諸観念と諸行動の帰結である」のであって、諸国は、「より開かれ、市場に優しく、かつ、民主主義的になりつつある」のであって、「世界は、米国の道を歩んでいる(the world is going America’s way)」と宣言したものだ。・・・
(注5)1964年~。「インド出身のジャーナリスト、国際問題評論家。ムンバイ生まれ。イェール大学卒業後、ハーバード大学で博士号取得。[米国籍取得。]『フォーリン・アフェアーズ』編集長、『ニューズウィーク』国際版編集長を経て、現在に『タイム』に寄稿している。2008年6月よりCNNで『Fareed Zakaria GPS』(GPSは”Global Public Square”)のホストを務める。・・・2012年8月10日、『タイム』誌およびCNNのサイトに寄稿した記事が、『ニューヨーカー』掲載のジル・レポール教授(ハーバード大学)のエッセイを盗用したものであることが判明した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A2
http://en.wikipedia.org/wiki/Fareed_Zakaria ([])
⇒これは、本来、やってはいけないのですが、この二人の共同執筆コラムを、冒頭からここまで、全く途中飛ばすことなく、長々と邦訳引用を行ってきているところ、これからも、しばらくこの調子で続けようと思っています。
翻訳引用は単なる引用ではないし、注をたくさん付けているし、利得目的での引用では必ずしもない、ということで、ガーディアン紙には、ぜひご理解いただきたいものです。
さて、アングロサクソン文明の現時点における代表的イデオローグとして、フクヤマ、ファーガソン、ザカリアの3名が挙げられていますが、イギリス人、インド系米人、と並んで、日系米人のフクヤマが、しかも、冒頭で登場したことについては、日本人として、誇りに思うべきか、恥ずかしく思うべきか、複雑な心境です。
他方、生粋の(?)米国人は、個名では登場せず、「冷戦の多くの戦士達」という集合名詞で登場するところ、それは、共同執筆者2人の、出来損ないのアングロサクソンへの(上から目線ではあるけれど、)せめてもの思いやり、といったところかもしれませんね。
(続く)
アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その2)
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