太田述正コラム#7246(2014.10.17)
<アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その3)>(2015.2.1公開)
最近の数か月の次から次への諸出来事は、このような安易過ぎる諸物語の仮面を無残にも剥ぎとってしまった。
支那は、市場に優しいけれど、前よりも一層民主主義から遠ざかっているように見える。
ロシアにおける自由市場資本主義の実験は、<同国の>ロシア至上主義への救世主的信条を有する略奪的(kleptocratic)体制をして、塹壕の中に蟠らせた。
専制的指導者達、反民主主義的諸反発(backlashes)、及び、右翼極端主義(extremism)が、インド、イスラエル、スリランカ、タイ、トルコのような表向きは民主主義的な諸国においてさえも、その政治を規定している。
⇒「欧米」の国を、ポリティカルコレクトネスの観点から無理やり列記の中に入れたかった気持ちは分からないでもありませんが、それなら、多党連立の不安定ではあっても民主主義的なイスラエル(典拠省略)ではなく、一党独裁的になりつつあるハンガリー(コラム#7219)でしょう。(太田)
この夏の<Isis等による>諸残虐行為は、とりわけ、欧米の政治及びメディアの選良達を気絶させるほどの当惑と若干の真に捨て鉢の決まり文句へと抛りこんだ。
彼らの諸観念の異常なる覇権的な力は、この世界を依然として米国の道を歩んでいるように見ることができる時においては、彼らが抜本的検証を行うことを回避することを助けてきた。
しかし、彼らのお好みの欧米のイメージ・・それでもって彼らがその他の世界を作り直そうとしてきたところの理想化されたイメージ・・に対しては、欧米のみならずそれ以外の、左翼だろうが右翼だろうが、多くの批判者達によって絶えることなく挑戦がなされてきた。
ゲルツェンは、既に19世紀に、「我々<お馴染み>の西欧人の古典的な無知さかげんは、多大な害を生み出すことだろう。すなわち、人種的憎悪と血腥い諸衝突がそれから展開することだろう」と警告していた。
ゲルツェンは、ロシアは、欧米の諸制度や諸イデオロギーを一生懸命に真似することによってのみ、進歩することができると信じているところの、リベラルな「欧米人達」に懐疑の念を抱いていた。
欧州長期亡命中の個人的な(intimate)経験と知見に基づき、彼は、兄弟殺し的暴力の後に到来し、かつまた、多くの知的な欺騙と自己欺騙によって土台を補強されたところの、欧州の権勢(dominance)は、「進歩」に値しない、と確信するに至っていた。
ゲルツェンは、文化的多元主義の信者であり、今日の欧米人達には殆んど思いつかない質問を提起した。
すなわち、「西欧諸国(states)の諸道行きとは全く異なった諸条件の下で自分自身の道行き(way)でもって発展してきた<ロシアという>国(nation)が、その生き様(life)において異なった諸要素を持っているというのに、欧州の過去を通じて生きなければならないのか、しかも、ロシアは、<欧州の>その過去が<自分を>どこに導いて行くかを完全に良く知ってもいるというのに・・」と。
欧州の進歩の土台を補強してきたとゲルツェンが見たところの暴虐性は、その次の世紀<である20世紀>における史上最大の大量殺人・・何千万人もの犠牲者達を出したところの、2つの世界戦争、凶暴な民族浄化・・への単なる序章に過ぎなかったことが判明した。
欧州の進歩を真似するという至上命題は、それにもかかわらず、20世紀央において欧州諸帝国の廃墟群の中から出現したところの、何ダースもの新国民国家群の統治選良達によって抱懐され、欧米流の富と権力への途方もない探求(quest)に乗り出すこととなったのだ。
<こうして、>今日では、人種的憎悪と血腥い諸衝突が、自由民主主義と資本主義が手を携えて君臨(reign)することが期待されたこの世界を荒らしまわ(ravage)るに至っているのだ。・・・
(続く)
アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その3)
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