太田述正コラム#0285(2004.3.11)
<新悪の枢軸:インド篇(その2)>

 (前号に書き忘れましたが、ホームページの掲示板でもお知らせしたように、私のホームページへの訪問者数が2月11日??3月10日は14,581人と、前の月に比べて一挙に5,000人以上増加しました。(なお、累計でも101,062人と、10万人を突破しました。)また、メーリングリストへの登録者数は、531名となっています。この輪を一層広げていただければ幸いです。)

3 インドの懸念材料

 しかし思うに、米国務省の懸念の根はもっと深そうです。

 (1)ヒンズー原理主義
 話は、インドでRSS(国家志願軍)なる団体が1924年に設立された時に遡ります。
 この団体は、ヒンズー教に則った国家の建設と防衛を掲げ、欧米の軍事団体やボーイスカウト団体、更にはファシスト団体にヒントを得て設立、運営されました。
 RSSの二代目の指導者Madhev Golwalkarは、1939年に、ドイツ民族と文化の純化を追求するナチスを賞賛し、これにインドも見習わなければならない、とする檄文を発表しています。
 1948年に、インドにおける世俗主義の象徴たるマハトマ・ガンジー(コラム#176参照)を暗殺したのは、このRSSの一会員です。このため、インド政府は翌1949までRSSの活動を禁止します。
 RSSは、二度と政治活動はしないとの誓約の下に活動再開を許されますが、このRSSによって1951年に設立されたのがJana Sangh political partyという政党であり、その後継が、インドの現在の政権政党であるBharatiya Janata Party (BJP)です。RSSとBJPの関係は、日本の創価学会と公明党との関係とほぼ同じだと考えればよく、BJPの幹部の大部分は現在200万人の会員数を誇るRSSの会員でもあります。
 (以上、http://www.searchlightmagazine.com/stories/012003_story02.htm(3月11日アクセス)及びhttp://www.time.com/time/asia/magazine/article/0,13673,501040126-579038,00.html(1月24日アクセス)による。)

 BJPはかつて、アヨディヤ(Ayodhya)のモスク(注4)を壊してその跡にヒンズー教寺院を建築することを選挙公約に掲げていましたが、1992年にはRSS会員達がこのモスクを勝手に取り壊す事件が起きてしまいました。

 (注4)このモスクは、ヒンズー教の主要神の一つであるラム(Ram)の聖なる生誕地に建てられた、とヒンズー主義者達は主張している。

 これ以降、ヒンズー教徒とイスラム教徒の反目感情が高まり、2002年にはグジャラート州で、ヒンズー教徒とイスラム教徒の衝突事件(注5)が起こり、1000名以上の死者(大部分がイスラム教徒)が出るという大惨事になったのですが、BJPが支配するグジャラート州政府当局は、イスラム教徒側を守るための適切な対応を怠り、みすみす事態の悪化を招きました。

 (注5)RSS会員達が乗った列車をイスラム教徒が襲って放火して58名の死者が出た(http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3478687.stm。2月13日アクセス)ことに怒ったヒンズー教徒がイスラム教徒を襲って何日間にもわたって虐殺を続けた事件。

 また、中央政府のBJP党員たる教育相は、ヒンズー教的修正史観によるインド史教育(注6)や天文学等の「ヒンズー科学」研究を推進しています(パキスタンリンク上掲及びhttp://www.cceia.org/page.php/prmID/170(3月11日アクセス))。

 (注6)(信ずる宗教を問わず、)すべてのインド国民に対し、ヒンズー文化とインド文化は同義であること、ヒンズー教とは何か、ヒンズー文化とは何か、インド史においてヒンズー教が果たした役割、更には、ヒンズー教反対勢力としてのイスラム教とパキスタン、について教育しなければならないとする。

 このようなBJPのこれまでの軌跡を見る限り、BJPはインドの古来よりの多様性(diversity)の文化(2月13日アクセスBBC前掲)(注7)ないしは折衷主義(eclecticism)の文化を破壊し、ヒンズー中心のインドを作り出すという、ヒンズー原理主義政党であり、RSSの政治部そのものだ、と断じざるをえません。

 (注7)アヨディヤのモスクのあった場所はヒンズー教の聖地でもあったが、ラジャスタン州のアシンド(Asind)におけるように、ヒンズー教寺院の横の壁がモスクとして使われていたケースもあった。ところが後者でも、最近のイスラム教徒との反目によりヒンズー教徒によって壁が取り壊されてしまった。しかし、同じラジャスタン州の中で、アシンドから車で二時間ほどしか離れていないアジュメル(Ajmer)にある、イスラム教の聖人を祭る社(やしろ)のように、現在もなお、イスラム、ヒンズー、シーク、キリスト、パルシー、ジャイナのそれぞれの教徒達が一緒に礼拝をしている所もある。インドの多様性、折衷主義はまだ死滅してはいない。

 そのBJPが、今年の総選挙をひかえ、イメチェン作戦に大童です。
 BJP党首のバジパイ首相が今年の2月、パキスタンとの和解、経済の一層の成長を通じた(イスラム教徒を含む)貧困の撲滅を掲げて、インドの1億3千万人のイスラム教徒にBJPを支持するように訴えたのです。
 時あたかも、国民会議派のイスラム教徒の一人の議員がBJPへの入党を表明し、インドの人々をびっくりさせました。
 その結果、イスラム教徒の有権者の中から、国民会議派からBJPに支持政党を切り替える人が結構多数現れています。
(以上、全般的にはhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3485410.stm(2月26日アクセス)、http://www.pakistanlink.com/Editorial/03082002.html(1月23日アクセス)及びタイム誌前掲による。)

 ついにBJPは、国民会議派のような世俗主義政党に脱皮したのでしょうか。

(続く)