太田述正コラム#7260(2014.10.24)
<アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その6)/私の先輩たる防衛庁長官達(愛知和男篇)>
高度のレベルの抽象化に淫していて、単純にブロック群や超ブロック群へと組織された諸国民国家と冷戦期において処することに慣れている<欧米の>人々にとって、新たに想像(imagine)されたアジアとアフリカの諸コミュニティーが、国家建設と経済成長の重い負担(strain)と諸分断(divisions)を防止(withhold)できるほど生来的に(innately)強靭で凝集性があるかどうかを検証することは常にあまりにも不都合だった。
もし、彼らが、実際、複雑性と矛盾と格闘(engage)する危険を冒していたならば、彼らは、欧米の豊かで強力な国民国家の線への衝動が、まず、ロシア、ドイツ、日本に、当初こそ秩序付けたものの、その後無秩序(disorder)をもたらしたこと、そして、我々自身の時代においては、植民地後の世界の巨大な部分(swath)を血腥い紛争へと陥らせたこと、を見出していたはずだ。
⇒「20世紀初期における日本やドイツ、及び、今日のプーチンのロシアのような、「ハードな力」以外に理解できる言語を持たないところの、リベラルな近代性への諸敵」(前出)は、筆者達がくさしたロバート・ケーガンの言の引用だと思っていたのですが、このくだりからすると、どうやら、それも、筆者達自身の見解でもあったようですね。
スターリン主義を生み出したロシアやファシズムの極限形を生み出したドイツと、ただただ、スターリン主義及び支那におけるファシズムと戦った日本を一括りにすることに、若干なりとも逡巡を示した形跡がないとは、エコノミスト誌の編集局もひどく劣化したものです。(太田)
(続く)
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–私の先輩たる防衛庁長官達(愛知和男篇)–
ディスカッションで愛知和男元衆議院議員の話題が出ていることもあり、ちょっときわどい雑談をしたいと思います。
私の母校の日比谷高校は、加藤紘一、愛知和男、池田行彦、と3名も防衛庁長官を輩出しています。
全員、東京大学法学部を卒業しています。
http://highschool-rank.net/00000005.htm
ですから、彼らは、二重の意味で私の先輩である、ということになります。
なお、加藤紘一に至っては、中学(麹町)の先輩でもあり、三重の意味で私の先輩です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%B4%98%E4%B8%80
たまたま、この三人とも二世議員になるのですね。
(加藤は実父(上掲)が、愛知と池田は義父が国会議員であり、2人とも義父の姓を名乗っています。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E5%92%8C%E7%94%B7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E8%A1%8C%E5%BD%A6
加藤紘一については、何度も取り上げているところであり、私が彼のものの考え方を全く買っていないことはよくご承知だと思います。
加藤は、理一を受験して失敗し、翌年、文一に合格していますし、法学部卒業年度に外交官試験にも落ち、翌年度に合格しているという、結構、苦労人です。(ウィキペディア上掲)
池田は、ストレートで大蔵省(当時)に入省しています。(上掲)
ところが、愛知は、1961年に、日本鋼管(当時)に、23歳の時に入社しています。(前掲)
一浪して東大に入ったか、在学中に留年している、ということです。
ここから、秀才度は、池田>加藤>愛知、であるということになりそうです。
しかし、その実態は、池田>加藤>>愛知、である可能性が高いのです。
というのは、少なくとも、私の卒業した頃までの東大法学部では、助手になったり大学院に進学したりするケースは別にして、卒業生の志望は、官僚ないし法曹、次いで政府系金融機関や当時で言う三公社五現業、次いで民間各業種のトップないし二番手、そして、その他、という順番であり、愛知の就職した日本鋼管は「その他」の範疇に入るからです。
愛知は、「在学中には男声合唱団「東大コール・アカデミー」のマネージャーを務めた」(上掲)というのですから、クラブ活動に全力を投入したのかもしれません。
しかし、東大法卒なら、成績が低空飛行であっても、クラブ活動等の実績があれば、少なくとも、「民間各業種のトップないし二番手」、鉄鋼業界であれば、トップの八幡製鉄や二番手の富士製鉄・・両社が合併して新日本製鐵になったのは1970年・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%90%B5
なら、喜んで採用してくれたはずですから、よほど日本鋼管に特別なご縁でもあったのならともかく、極めて不自然であり、恐らくは成績が超低空飛行だったのではないか、と想像されるのです。
東大法卒といえども、ピンとキリとじゃ大違いなんですよ。
この愛知、2000年8月の週刊新潮に「落選「愛知和男」妻と別居で愛人同伴旅行 」という記事を書かれています。
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I5431868-00?ar=4e1f
この間に、防衛庁長官になった愛知と当時防衛庁にいた私の間で、何度か接点が生じたわけです。
その何度かの接点の具体的なシチュエーションを明らかにすることは控えますが、当時、私が受けた印象は、彼は、好漢ではあるものの、隙が多く、呑み込みの遅い人物である、というものであり、この評価は、今でも間違っていない、と思っています
アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その6)/私の先輩たる防衛庁長官達(愛知和男篇)
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