太田述正コラム#7268(2014.10.28)
<露・日・印は同類?(その4)>(2015.2.12公開)
 <インドやロシアにおける、>このようなイデオロギー的酩酊は、20世紀初における日本のイカレた(unhinged)反欧米帝国主義への下降によって既に示されていた。
⇒この点で日本が兄貴分とは光栄なことですが・・。(太田)
 部分的に欧米の帝国主義諸国の助力の下に日本が強力になるにつれて、これら帝国主義諸国のアジアにおけるプレゼンスと衝突するようになり、欧米と同じ土俵で欧米を打ち負かしたいという強迫観念が強まって行った。
⇒話は真逆であり、最後のセンテンスは、「英米では、日本を打ち負かしたいという強迫観念が強まって行った」です。
 なお、ここで、ミシュラが、日本を帝国主義国と記していないのは、彼が欧米至上主義的観点に立っていて、非欧米の日本を見下している潜在意識の表れであろう、と私は推察しています。
 但し、日本の「植民地」獲得を含む対外進出は、欧州諸国のように、収奪的経済利益を求めたわけでも、英国のように、長期的経済利益を求めたわけでも、米国のように、自らの栄光を求めたわけでもなく、ただただ、対露/赤露安全保障のためだったのですから、戦後の米国を帝国主義国と呼ばずに世界覇権国と呼ぶ顰に倣えば、戦前の日本は北東アジア覇権国であって帝国主義国ではない、と見るべきでしょう。
 ミシュラは怪我の功名的に正解であった、ということになりそうです。(太田)
 ロシア思想史(Russian Idea)の信者達のように、多くの日本人思想家達は、国内社会の国による厳しい統制を擁護するとともに、日本的なもの対欧米的なものを定義するにあたって、狂信的になった。
⇒前段についてですが、有事なら当たり前だ、ということをミシュラも分かっていないようです。
 後段については、後述。(太田)
 一切合財を含む(catch-all)国体概念・・それは、あらあら、「天皇に体現された国家政体」と訳せる・・は、日本の明白に比類なき諸徳を主張したものだ。
 西田幾多郎や和辻哲郎といった京都学派の哲学者達は、直観を通じる日本的な認識(cognition)の態様(mode)が欧米型の論理的思考とは異なっており、より優れている、ということを確立するための野心的な諸試みを行った。
⇒西田も和辻も、論理的思考が劣っているなどと考えたわけがありませんし、また、二人とも、「日本的なもの」を「欧米的なもの」と対置させて定義しようとしたのではなく、西田は仏教の悟りを欧州哲学用語を使って説明するとともにその普遍的意義を訴え、和辻は、日本人の人間主義的倫理に普遍性があることを明らかにしようとした、というのが私の理解であるところ、ここでもミシュラは、逆に、普遍性のある欧米的なものに、日本がその特殊性でもって蟷螂之斧的挑戦を行った、と切り捨てている、と見るべきでしょう。
 デビュー作におけるミシュラの仏教理解がいかに皮相的なものであったかが想像できる、というものです。(太田)
 このような傲慢な生得説(nativism)が、1930年代における支那への暴虐的な攻撃、そして、それに次いで、日本の最も重要な貿易相手に対する1941年の突然の攻撃に対する知的正当化を提供した。
⇒前述したように、というか、以前から事あるごとに申し上げているように、日本の対外進出は、対露/赤露抑止という安全保障的観点から、しかも、人間主義的に行われたものであり、日本は、この戦略を妨害したところの、支那の蒋介石政権等と日支戦争を、米・英等と太平洋戦争(大東亜戦争)を戦ったというだけのことなのに、ミシュラは、英米の見方を祖述している英語文献だけに拠って、ここでも日本を切り捨てているわけです。(太田)
 今日では、資本主義の甚だしい危機という背景の下で、安倍晋三首相は、プーチン氏のように、弁解なしのナショナリズムを主張している。
⇒日本は、早くも戦間期に資本主義の危機を、日本型政治経済体制を構築することで自力で、世界最初に克服したのに対し、ロシアは、恒久的に資本主義の危機下にあり、いまだに出口が見えない状況だというのに、しかも、日本はナショナリズムなど、もともと基本的に無縁だというのに、ミシュラには困ったものです。(太田)
 「日本を取り戻す」ことを誓約しつつ、一部には、日本の平和憲法の修正、かつまた、戦時中の諸残虐行為に対する以前に表明された罪の意識を否認しつつ、安倍氏は、支那との間で諸緊張を惹起した。
⇒日本との間で諸緊張を惹起しているのは、支那側であり、しかもその動機が日本を米国から「独立」させることにあると知ったら、ミシュラは卒倒するでしょうね。(太田)
 これは、インドで、レトロな1920年型のナショナリスト的教理(dogma)が大いなる復活をとげつつあるということと好一対だ。
 このことは、昨年、安倍氏の緊密な同盟者であるモディ氏が、様々な犯罪の容疑の汚点を克服して最高権力への挑戦を開始してから、特に言えることだ。
 興味深いことに、モディ氏を取り巻くコーラスを提供して、彼をかの社会的地位へと押し上げたものは、R.S.S.のカーキ色のシャツを着たボランティア達というよりは、企業所有のメディア、摩訶不思議にもカネが潤沢なシンクタンク群、諸雑誌、及び、諸ウエブサイト、における半ば欧米化したインド人達だった。
 インドの最近の経済的諸労苦と小さくなった国際的立ち位置は、高まりつつあるインド人達の権利意識(sense of entitlement)を苛つかせ、彼らを扇動して、欧米人達やインド人リブラル達やセポイ達のような手頃な犠牲の山羊達に対して「人種主義者」や「オリエンタリスト」と<罵声を>浴びせるに至っている。
 彼らの模造の生得説の典型は、『新しい文明の衝突(The New Clash of Civilizations)』<(注12)>という題名の本であり、その内容は、うかれつつ、インドの世界全域における覇権を予告している、というものだ。
 (注12)今世紀を形成するのは、米、支、印、イスラムの四大文明の衝突であり、力の均衡は、西から東へと傾いて行く、とする。
http://www.amazon.com/The-New-Clash-Civilizations-Contest/dp/8129129906
 それは、『紳士(Gentleman)』という、廃刊にになった生活様式雑誌の英国化した元編集長で、今では勝手連的に首相の宣伝を買って出ている、ミンナーズ・マーチャント(Minhaz Merchant)<(注13)>によって書かれたものだ。
 (注13)インドのジャーナリストにして著述家。上出の本が載っていない!
http://en.wikipedia.org/wiki/Minhaz_Merchant
 これらの、サルマン・ラシュディ呼ぶところの、「モディへのごますり達」は、あの、ハーヴァード大エコノミスト転じて焚書家のように、欧米の諸尻尾を持っていた。
⇒マーチャントによる、21世紀を規定する主要文明の選択は、既に事実上滅びていると言っても過言ではない支那やインドの文明を持ち出したり、最初から文明の名に値するか疑問であるイスラムや米国の「文明」を持ち出したり、論評にすら値しませんが、スワミーやマーチャントやモディ自身について、ラシュディやミシュラのように、「欧米の諸尻尾」という貶め方をするのは妥当ではありますまい。
 少なくとも、彼らは。「欧米の諸尻尾」を残しているところの、これまでのインドの大部分の知識人に対する怒りと侮蔑、という意識を共有しているように見受けられるからです。
 問題は、スワミーの言説だけでなく、マーチャントやモディらの言説もまた、論評に値しない、と思われる点にあるのです。
 これは、彼らが、押しなべて、インド文明の精華である釈迦の思想ではなく、インド文明の堕落、荒廃が生み出したところの、ヒンドゥー教を拠り所にしているからである、と私は考えている次第です。(太田)
(続く)