太田述正コラム#7276(2014.11.1)
<アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その9)>(2015.2.16公開)
⇒日本語の文章に比べると、英語の文章は、接続詞を余り用いないのですが、この書評はその程度がひど過ぎるために、極端な場合、前の文章を次の文章が否定しているのか単に受けているのかさえ不分明な事例が多々生起しています。
前述した大乱丁のこともこれあり、書評子自身の責任もさることながら、私としては、ガーディアンの編集者ないし校正者の懈怠を咎めたいところです。(太田)
当然のことながら、欧米とその他との間の「収斂」という、浮かれた諸予測(effervescent prognoses)に大いに現実性があるなどということに耐えられないところの、ダボス会議出席者達(Davos Men)<的な人々>にとって、歴史は「均衡がとれたもの」でなければなるまい。
<そもそも>、欧米自身の「進歩」の身の毛がよだつ諸コストを正視しないならば、今日の世界における大規模な暴力の増殖を封じ込めることはもちろん、増殖の理由を説明する可能性も破壊してしまうだろう。
ゲルツェンが有害であると正しくも恐れたところの、無知によって、時間の経過とともに、欧米と非欧米の双方において、欠陥ある知識の巨大な蓄積という形で、諸回避、諸抑圧、及び完全な(downright)諸誤謬、という帰結がもたらされたのだ。
この視野が狭い歴史から引き出された、愚か(Simple-minded)で人を惑わせる(misleading)諸観念や諸仮定(assumptions)が、今日、無数の、互いに褒め合うコラムニスト達、TV出演の学者達、そして、テロ専門家達、に燃料を供給しつつ、欧米の諸政治家、シンクタンクの報告書群、そして、新聞の論説群を形成しているのだ。
<ただし、>欧米の至上性(superiority)に係る信条は、フランスの反共主義者たるレイモン・アロン(Raymond Aron)<(コラム#3435、5740)>が、『進歩と幻滅(Progress and Disillusion)』(1968年)や『知識人達の阿片(The Opium of the Intellectuals)』(1955年)といった諸著書の中で指し示したように、欧米以外の世界における苦難に満ちた(tormented)近代化の過程を理解することの障害に常になったわけではない。
欧米は、近代世界がその政治的かつ経済的な諸革新や物質的諸目標でもって作られたと信じてきたわけだが、アロンは、これらが近代世界の真に前兆であったかどうかを検証することを躊躇することはなかった。
彼が見たところでは、近代性の追求によって輩出することとなった諸紛争や諸矛盾は前世紀の過半において欧米の諸社会を管理することを極めて困難ならしめたのだ。
工業諸社会だけが、物質的諸条件を改善するとともに、社会的かつ経済的な平等の一定の尺度をもたらすことが可能であるように見えた。
しかし、社会的な不安(unrest)を食い止めたところの、平等の約束は、専門家が新たな諸階統制を生み出し続けたために、成就することがどんどん困難になって行った。
欧米の若干の部分では、望ましい諸財(goods)とそれらを獲得する諸手段・・労働者たちがより高い諸賃金を要求することを可能にした組織化された労働、そして、統治者達を被統治者達に答責的にさせた政治的自由・・の双方を生み出したところの、市場経済のおかげで、物質的諸非平等性の若干の減少を達成した。
また、若干の欧米諸国は、いかに暴虐的にせよ、順序が概ね正しい経過をも辿った。
すなわち、彼らは、小作農達(peasants)を市民達へと転じさせることを試みる前に弾力性ある諸国家を構築することができたのだ。
「我々はイタリアを作った。今度は、イタリア人達をつくらなければならない」と、イタリアのナショナリストのマッシモ・ダゼグリオ(Massimo d’Azeglio)<(注14)>が1860年に宣言したことはよく知られている。
(注14)1798~1866年。イタリアの画家、小説家、政治家。トリノに貴族の家に生まれる。サルディニア王国首相:1849~52年。
http://en.wikipedia.org/wiki/Massimo_d%27Azeglio
最も成功を収めた欧州の諸国家は、人口の過半に民主主義的諸権利を次第に広げる前に経済的成長の一定の尺度についても達成していた。
アロンは、「現在、インドと支那が経験しているように、代表的で民主主義的な体制の下で経済発展の段階(phase)を潜り抜けた、欧州の国は皆無だ」と指摘した。
⇒支那(中共)の体制のどこが「代表的で民主主義的」なのだ、他方、イギリスについては、アロンは「欧州」に入れていないのかもしれないが、少なくとも「代表的」ではあったではないか、と言いたくなりますね。(太田)
彼は、『知識人達の阿片』の中で、「工業諸人口が増加しつつあった長期間、すなわち、工業の煙突群が諸郊外の上に霞んで見え、鉄道群と橋々が建設されつつあった期間、個人的諸自由、普通選挙権、及び、議会制、が確立(combine)していた国など、欧州には存在しなかった」と記した。
しかしながら、欧米以外の諸国は、強力な国民国家群と存続可能な諸経済を樹立し、政治化されたばかりの人々の尊厳と平等への欲求を満足させるという、骨の折れる諸任務に同時に直面させられたのだ。
このことが、欧米の成功の諸措置と諸技術を、「いまだに封建的貧困から脱していない」諸場所が輸入することを、未曽有の、かつ、危険一杯の実験にしたのだ。
1950年代にアジアとアフリカをあちこちを旅することで、アロンは、暗黒の諸混沌とともに専制主義に向かう潜在性を嗅ぎ付けた。
(続く)
アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その9)
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