太田述正コラム#7280(2014.11.3)
<米国の影響力?>(2015.2.18公開)
1 始めに
 米国をかくも強力にしたものは一体何なのだろうか、との問いかけに対して、答えたコラム
http://www.slate.com/blogs/quora/2014/10/31/what_made_the_u_s_so_powerful.html
に本日出会いました。
 興味ある方は全文に目を通していただきたいが、米加を対比したところの、第3回八幡市市民セミナー用パワーポイント資料中の第9スライド(未公開)をご覧になれば明らかなように、米国はカナダと比較すれば、一人当たりGDPで拮抗している以外、あらゆる点で劣るところの、歴然たる失敗国家なのであって、その力は、一人当たりGDPX人口、という量にあって、ユニークな質になどないことは明らかでしょう。
 しかも、その量が力に転化した点に関しては、米国の欧州文明に由来する質的劣位がアングロサクソン文明に由来する質的優位を邪魔しなかったからだけである、と言うべきでしょう。
 ですから、このコラムでも、答えの最初に掲げられているのが、サイズ(size)であり、「広さで4番目、人口で3番目」が挙げられているのは当然です。
 ところが、その後も、8つもの答えが列挙されているのですから、何をかいわんや、です。
 とりわけ、吹き出してしまうのは、最後から2番目に挙げられている以下のような理由です。
 「安定性:支那とインドの現在のそれぞれの政府は、70年に満たない歴史しか持っていない。それに対し、米国は、約240年の歴史であり、このような安定性は世界の多くにおいて欠けている。」
 拡大英国、就中その中核たるイギリスの歴史は、9世紀後半から、1000年を優に超える長さですし、日本だって、天皇を元首として戴く国家という観点からは、それよりももっと長い歴史を持っているのですからね。
 さて、本日のメインは、このコラムではなく、下掲のコラムです。
http://www.theguardian.com/books/2014/nov/02/how-the-world-was-won-americanization-of-everywhere-review-peter-conrad
 コラム#7267での、6GwrH54g投稿、「太田さんはアメリカン・ロックのファンはアメリカシンパになりやすいと危惧していたが、ハリウッド映画はどうなるんだろ?」に対する回答を行うことにもなるので、さわりをご紹介し、私のコメントを付することにした次第です。
2 米国のソフトパワー
 ピーター・コンラッド(Peter Conrad)<(注1)>・・・は、1960年代に世界文化の海々に投げ込まれたところの、目も綾なオーストラリア人達の世代の一人だ。
 (注1)「1948 年にオーストラリアのタスマニアに生まれた。その場所には流刑植民地と先住民のジェノサイド、そして自然破壊に代表される暗い歴史がある。20 歳の時、奨学金を得て「振り返ることなしに」赤道を越えオックスフォードへ行く。さらに20 年を経た後、今度は赤道を逆方向に越えタスマニアへ戻る。」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009611431
 彼の、米国との最初の邂逅は、その諸映画を通じてだった。・・・
 米国は、我々全員に影響を与えないわけがないのだ。
 <だから、>我々は、米国によって影響されないはずがないのだ。・・・
 ヘンリー・ミラー(Henry Miller)<(コラム#7118)>は、「このこん畜生の世界は、100%米国的になりつつある」と書いた。
 「これはビョーキだ」と。
⇒これは、フィクションを紡ぎ出すことを旨とするところの、小説家であるからこその錯覚であった、と言うべきでしょう。(太田)
 ヘンリー・ルース(Henry Luce)<(コラム#2934、3074、4092、4112、4150、4266、6208、7242)>の1941年の打ち上げロケット的(boosterish)随筆から始めよう。
 宣教師の息子であったルースは支那で育った。
 <彼が創刊した>タイム誌・ライフ誌は当時のグーグルないしフェイスブックであり、ルースは、混沌的でむら気な(wayward)世界に対峙されていた米国が、「事に当たる」べきであると考えた。
⇒後述するように、ここは誤りです。(太田)
 しかし、ルースは、公的な国家に鼓吹された文化について語っていたのではない。
 <国民達が>自身で道を切り開く、というのが、<いつもながら、>米国が行うであろうことであったのだ。・・・
 <だからこそ、民衆が生み出すところの、>カウンターカルチャー(counterculture)<(注2)>は米国の影響の<不可分の>一部だったのだ。・・・
 (注2)「1960年代後半~70年代前半にかけてよく使われた。狭義にはヒッピー文化や、1969年のウッドストックに代表されるような当時のロック音楽を差すものである」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC
 欧州と北アメリカにおけるカウンターカルチャーの際立った事例としては、ロマンティシズム(1790~1840年)、ボヘミアン主義(1850~1910年)、そして、細分化されていたところの、ビート世代(1944~64年)、そして、恐らくはより際立っていた、通常、ヒッピーのサブカルチャーと結び付けられる、1960年代のカウンターカルチャー(1964~74年)等がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Counterculture
 <また、>米国の・・・本性(nature)<は、>・・・不確定で(indeterminate)暫定的(temporary)<であるところだ>。
 <いずれにせよ、>米国の影響力の極めて大きな部分が、より広範な世界的な近代化プロジェクトと切り離せないことから、反米主義は勝負に負ける運命であることが証明されている。・・・
⇒「近代化」が欧米化、とりわけ、英米化を意味した時代は終焉を迎えつつあるかもしれない、という自覚がこのコラムの筆者には皆無であるようです。(太田)
 <比較的最近のことで言えば、>情報経済における殆んどあらゆる顕著な革新は米国のどこかで始まったものだ。
 かかる諸観念が瞬時に世界中にまき散らされるところの、全球化として知られているプロセスもそうだ。
⇒全球化プロセスは、15世紀末の西欧の南北アメリカ大陸発見以来、次第に加速化しながら現在も進行中なのであり、米国の覇権国時代に限ったものではありません。(太田)
 オーストリアのエミグレたる経済学者のジョゼフ・シュンペーター(Joseph Schumpeter)<(コラム#307、1220、2770、2935、3005、3009、3323、3541、3711、3713、3754、6191)>は「創造的破壊」の原理に従っているものと描写した。
 ハリウッドの映画群とルースの諸出版物は、グーグル、ツィッター、フェイスブック、そしてネットフリックス(Netflix)<(注3)>が現在やっているのと同じことをやったのだ。
 (注3)「<米>国のオンラインDVDレンタル及び映像ストリーミング配信事業会社。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
⇒前者はコンテンツとパッケージになっている媒体であるのに対し、後者は、単なる媒体であって、どちらも全球化の推進役とはいえ、全く似て非なるものである、と考えるべきでしょう。(太田)
 この新たな米国化はかつてのそれとは違って、確かに、人目に立つ程度こそ小さいけれど、変化させる力のある(transformative)諸自由をそれが提供することから、恐らくは、より多くの生き方の変革をもたらすことだろう。
⇒「諸自由」の敵であるIsisの元に、世界中のイスラム教徒の若者達を引き寄せているものも、ツイッターやフェイスブック等であることは、それらが、単なる媒体であることを如実に示しているのであり、筆者はこのことが分かっていないか、あえて目を逸らせているか、どちらかでしょう。(太田)
 それは、ビル・ゲーツ(Bill Gates)<(コラム#1574、1768、3851、5081、6440、7058、7060、7249等)>やスティーヴ・ジョブズ(Steve Jobs)<(コラム#5039、5073、5075、5221、5681、6291、6492、6701等)>といった、打ち上げロケット群を持つとともに、そのカウンターカルチャーの英雄達・・その中には、内部通報者のエドワード・スノーデン(Edward Snowden)、及び、NSAの事例にみられるように、米国によるものを始めとする、諸自由を転覆させたり妨害したりしようとする諸国を含むところの、悪漢達も持っている。
 これは、我々の諸時代の真の概要だ。
 米国の世紀が終わり、去った、などと本当に信じている者がいるだろうか。」
3 終わりに
 このコラムの筆者が記す米国の影響力なるものは、ことごとく、その、経済力、そして経済力を基盤とするところの軍事力、の突出した量、から派生したものに過ぎないのであって、その、経済力、そして軍事力、の量の突出性の減衰とともに、遅かれ早かれ、減衰していくことは避けられません。
 こういったコラムを英国人が書いたのは、米国人の、いささか時期尚早過ぎる、ひどい自信喪失振りを見るに見かね、英国のためにもならないと、米国人を元気づけるためである、とも考えられるのですが、これは、私の買い被りかもしれませんね。