太田述正コラム#0288(2004.3.14)
<新悪の枢軸:インド篇(その5)>
茶飲み話2:クリケット
イギリスが世界の旧植民地に残した遺産として、もっとも顕著なものの一つがクリケット競技です。
このたび、殆ど15年ぶりにパキスタンで本格的なインド・パキスタン対抗クリケット戦ツアーが5週間にわたって行われることになり、昨日パキスタンのカラチで、その最初の試合が実施されました。それだけでも画期的なことだったのですが、印パが分かれて独立してからというもの、未だかつてこれほど平穏な対抗クリケット戦が行われたことがなかったということが話題になっています。かつての対抗戦と言えば、双方のサポーターがエキサイトし、会場の内外で流血の惨事となることの方が普通だったというのに・・。
今回、インドからも200名の熱烈なクリケットファンが武装した護衛に守られてやってきましたが、彼らが夜こっそりカラチの街を散策しても全く何事も起こりませんでした。このインド人観客の中には故ラジブ・ガンジー・インド首相の長女のプリヤンカ・ガンジーさんも含まれていました。試合当日、驚くべきことに、インド国旗を体に巻きつけたり、インドチームのユニホームを着込んだりしたパキスタン人観客が現れました。インドチームのお気に入りの選手に声援を送るパキスタン人観客もいました。彼らは、今までなら周りの観客から袋叩きに会うところですが、やはり何事も起こりませんでした。試合はインドが勝ちました。
(以上、http://sport.guardian.co.uk/cricket/theobserver/story/0,10541,1169187,00.html(3月14日アクセス)による。)
2001年の12月13日に起こった、テロリストによるインド国会襲撃事件を契機に、どちらも核保有国である印パ両国がそれぞれ兵力の総動員をかけ、一触即発の状況になって以来、両国の緊張緩和のプロセスは遅々として進みませんでした(コラム#9、10、14)。
2002年10月に至って、ようやく両国は動員解除の姿勢を見せ始め(コラム#68-2)、2003年11月にカシミールでの砲撃の交換が互に停止されたあたりから本格的な緊張緩和が始まり、今年の1月には印パ両国の首脳が(カシミール問題を含む)平和交渉の開始に同意し(ガーディアン/オブザーバー前掲)、全く新しい両国関係が幕を開けたのです。
しかし、クリケットの試合の様子を見る限り、両国政府間よりずっと以前に、両国の国民の間では友好感情が醸成されていたようです。
それはこういうことではないでしょうか。
英国のカレッジでの同僚研修生だったパキスタン人(後にパキスタン空軍のトップになります)は、(イスラム教徒は酒を飲んではいけないはずですが、)めっぽうお酒が好きでしたし、今回のクリケット試合にパキスタン人で男女のペアで仲良く観戦に来ている人が多く、しかも女性にチェーンスモーカーが多いのをインド人観客が目にして、インドと同じじゃないか、とびっくりしたといいます((ガーディアン/オブザーバー前掲)。
そもそも、イスラムはインドに到来後、ヒンズー化したのであり(コラム#287)、インド亜大陸では、アラブ世界やイランのそれとは違って、イスラム教はよく言えばおおらか、悪く言えばルーズな宗教に変じてしまったのです。(東南アジアと事情が似ています。)
そういうわけで、ムガール帝国時代においても、両教徒の間で先鋭的な対立関係があったわけではありませんでした。ところが、ムガール帝国に代わってインド亜大陸を統治した英国が、統治の永続化を目論み、両教徒間の反目を煽ったのです(コラム#14)。これがもたらしたのが、印パ分裂、相互殺戮の形での独立と3度におよぶ印パ戦争やカシミール紛争です。しかし、印パ両国民は、この英国によるインド亜大陸 統治の後遺症を、21世紀になってようやく克服しつつあるのではないでしょうか。
そうなると、BJP/RSSの扇動によるところが大きいとは言え、このところのインド国内での反イスラム感情の高まりは、一体どう説明したらいいのでしょうか(注)。
(注)インドとパキスタンとバングラデシュのイスラム人口はほぼ同じであり、パキスタン1億4000万強、インド1億4000万弱、バングラデシュ1億2000万(The Military Balance, IISS, PP288,289)。
インド亜大陸の懐は深く、その解明は、一筋縄ではいきそうもありませんね。
(続く)