太田述正コラム#7282(2014.11.4)
<アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その11)>(2015.2.19公開)
大衆的なナショナリスト諸革命の後に指令的(commanding)国家諸構造を再建することに成功した諸国である、支那、ベトナム、イラン等は、伝統的な君主制であるタイ等や、完全に人工的な国民国家群であるイラク、シリア等より安定的で凝固性があるように見える。
ホメイニ(Khomeini)と毛沢東によって創始された血腥い両体制は、朝鮮戦争、イラン・イラク戦争、文化大革命、そして多くの兄弟殺し的諸紛争、という、ひどい国際的・国内的諸紛争、を生きぬいたが、それは、部分的には、彼らの核心的ナショナリスト的なイデオロギー群が彼らの被治者達の多くの同意を確保したからだ。
⇒支那、ベトナムの両現体制は、「被治者達の多くの同意を確保した」かどうか、全国民レベルでの選挙を実施したことがないので分からないと言うべきであり、その点で、選挙によって正統性を付与されているところの、イランの現体制とは決定的に異なります。(太田)
しかし、1989年以来、この精力的な方法で達成された国民的コンセンサスは、多くの諸国において、思いがけない方面からの包囲攻撃に晒されるようになった。
それは、20世紀央においては飼いならされていたところの、終わることなき経済拡大と私的財産創造のイデオロギーだった。
1930年代のその極めて厳しい全球的危機の後、資本主義は、正統性の毀損に悩まされ、非欧米世界の多くで、計画され保護された経済成長が社会的正義や男女平等といった諸目的達成の諸手段として選択されるに至っていた。
<ところが、>我々自身の時代に至って、大恐慌の後に欧米における社会福祉主義とその他の場所における保護主義的諸経済によって牙を抜かれたところの、資本主義の凶暴な(feral)諸形態は基本的な(elemental)力に転じた。
そのため、民族的や宗教的な諸少数派による分離主義的諸運動に対して既に闘争していた諸国民国家は、自分達の国内の統一、が資本主義の原始的な(primitive)<資本>集積と個人的満足化(gratification)という支配的(dominant)倫理によって、一層掘り崩されることとなった、
<その結果、>欧米諸国の全てが、彼らのうわべだけの人道主義という嘘に進退窮まることとなった(be caught in)。
これは、欧米<諸国>には、もはや<非欧米諸国に対する>道徳的権威がなくなったことを意味する。
<実際、>支那は、かつて最も平等な社会であったところ、今や、米国さえよりも不平等になってしまっている。
だから、人口の1%が国富の3分の1を所有するに至っている支那は、その次第に高まる社会的諸矛盾を、その近隣諸国、とりわけ、日本に対して、強硬なナショナリズムの矛先を向けることを通じて緩和しがちなのだ。
⇒かつてはそうだったけれど、習近平体制のそれは、目的が全く違うことに、この書評子らは気付いていません。(太田)
かつて民主主義的であった諸国民国家の多く・・例えば、インド、インドネシア、そして、南アフリカ・・が、水、健康、そして教育といった、基本的諸サービスを民営化する、(そして、多くの諸国において、脱工業化(de-industrialise)し、彼らの主権を諸市場に譲り渡す、)という至上命題に直面する中で、彼らの国民的コンセンサスを維持しようとする闘争を行っている。
移動性の、国家を超えた(transnational)、資本、それは富と貧困を脱領域化するのだが、それは、諸国家領域内で、国家構築すること、及び、そのもともとの諸目標であるところの幅広い社会的・経済的向上を達成すること、を殆んど不可能にしてしまった。
全球的資本主義の主たる裨益者たる選良達は、彼らの支配(dominance)が自然なことであるように見えるようにするための新たな諸イデオロギーを考案する必要があるのだ。
こういうわけで、社会的正義にコミットする諸国民国家として出発したところの、インドとイスラエルは、不満を抱く彼らの被治者達を「ユダヤ国家」や「ヒンドゥー教国家」へと強制的に誘おうとしている、ネオリベラルな政治家達や多数派たるナショナリスト達という連鎖(nexus)によって、自分達の基本的諸理念が、根本的(radically)に設定し直されてしまった(reconfigured)ことを見出している。
タイ、ミャンマー、そしてパキスタンでは、デマゴーグ達が、近代性の諸果実<の分け前>に与ることを恒久的に先延ばしにされていることに関して、怒り、恐れているところの、人々の先頭に立って出現している。
選良ないし党派的(sectarian)諸利益と同定されているところの、多くの諸国における非代表的な中央国家は、非国家アクター達からの安定と秩序の諸提案(offers)と、競争すべく闘争している。
だから、悪しきIsisでさえ、シーア派が支配しているバグダードの政府に怒っているスンニ派に対し、よりましなガバナンスを提供すると主張しているのは、驚くべきことではない。
同じ主張を、中央インドで広大な諸領域をコントロールしている毛沢東派の叛徒達は、そして、ミャンマーとメキシコの麻薬密輸業者達でさえも、がしているのだ。
(続く)
アングロサクソン文明の至上性を疑問視し始めたイギリス(その11)
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