太田述正コラム#7330(2014.11.28)
<新イギリス史(その4)>(2015.3.15公開)
  ・第一次世界大戦
 「第一次世界大戦に関しては、トゥームズは、斃れた人々を、それぞれ独自かつ真摯にドイツの軍国主義に反対したというよりは、騙された犠牲者達である、と見がちであり続けてきた、と主張する。」(B)
⇒それはないでしょう、トゥームズ先生、欧州全域・・ロシアは入らない・・に係る地域覇権国の出現を防止する、というイギリスの支配層が、16世紀以降、憑りつかれてきた観念が20世紀前半において、2度にわたるドイツ叩きに走らせた、ということなのに、何という寝ぼけたことをおっしゃっているのですか。(太田)
  ・第二次世界大戦
 「1940年のダンケルク(Dunkirk)からの撤退は、「我々の歴史の中で最も心動かされる物語(saga)」であり、1945年の連合軍のドイツに対する勝利は、英国が、<ドイツとの>平和に応じることを拒否したこと、海々をコントロールしていたこと、ノルマンディー上陸諸作戦(D-Day landings)を計画したこと、そして、<対独>爆撃作戦を行ったこと、なくしては不可能であったことだろう。」(B)
⇒トゥームズ自身、欧州に憑りつかれていることが明らかです。
 先の大戦における、イギリスならぬ大英帝国としての主敵は、ドイツではなく、むしろ日本だったのであり、後者との戦いに、先の大戦の途中で大敗北を喫したことで、戦後、間もなく大英帝国は過早に崩壊し、イギリスは、そのことだけでも、(米国による、世界覇権国の地位の積極的かつ決定的な奪取を勘定に入れるまでもなく、)先の大戦全体における、最大の敗者になったのです。(太田)
 (2)総論
 「人類全体としての諸基準に照らせば、イギリスは、次から次へと人々が証言してきたように、何世紀にもわたって、地上における、最も金持ちで安全で最良に統治された諸場所の一つだった」とトゥームズは記す。
⇒ご謙遜を。「の一つだった」のではなく、「だった」でしょう。(太田)
 「その14世紀の諸生活水準は、20世紀の世界の多くの部分よりも高かった・・・」と。・・・
 トゥームズは、21世紀においては、イギリスは、それ自身の他と明確に区別される(distinctive)歴史は否定されるべきであり、その代わりに、「英国史」の中に包摂されるべきである、と執拗に主張するところの、同僚歴学者達を論駁する。
 イギリスは、その歴史の大部分において主権を有する王国だったのであり、その、初期の諸世紀におけるスカンディナヴィア、中世の諸時代以来のフランス、近世初期におけるスペインとオランダ、そして、後のドイツと米国との、諸関係は、ウェールズ、スコットランド、及びアイルランドとの諸関係に比べて、より重要であり続けた、と。
 他と明確に区別されるイギリスの歴史の研究の意義を貶めることは、政治的に抑圧的かつ歴史的に詐欺的(cheating)である、とトゥームズは主張する。・・・
⇒ここは、若干韜晦が入っているところ、要するに、イギリスは、(ウェールズ、スコットランド、アイルランドもそれに含まれるところの)欧州とは明確に区別される存在である、とトゥームズは言っているのです。(太田)
 世論、議会的諸イニシアティヴ、そして地球の多くにかけての奴隷貿易の抑圧における英海軍、の役割は、精神を高揚させる(uplifting)歴史なのに、植民地における諸不行跡(excesses)に対する謝罪の殺到の中で忘れられていること、がトゥームズによって詳説される。
 他の欧州諸国に比較して、イギリスは、諸芸術や良い生活(good life)ではそうではないけれど、政治と経済では傑出していたのだ。
 ロンドンの2院制議会、大臣達の議会に対する答責性、政府支出に対する議会のコントロール、立憲君主制、集団的な内閣の責任、そして、独立した司法、は、欧州全域において・・・100年の間、模倣された(emulated)。
 マンチェスター、バーミンガム、リヴァプール、その他の諸都市の、機構(machinery)、インフラ、及び諸制度もまたコピーされたのだ。」(A)
⇒イギリスが「良い生活」において遜色があったとか、イギリスが欧州によって模倣されたのが100年ぼっきりとか、トゥームズ先生、ここでも、随分無理して謙遜されてますねえ、と言いたくなります。(太田)
(続く)