太田述正コラム#0295(2004.3.21)
<マレーシアの思い出(その2)>

3 マレーシアについての仮説

 (1)仮説とその検証
 第一の仮説は、マレーシアが日本を軽視している、というものです。
 ある国の政治家の平均的な質は国民の民度によって規定されると言ってもいいと思いますが、このことは公務員についても当てはまると思います。
 もとより、これはあくまで「平均」の話であって、どんな国であれ、政治家にせよ、公務員にせよ、グローバルスタンダードを超えた人は必ず存在します。マレーシアについても、政治家で言えば、先般首相の座を自ら降りたばかりのマハティール(Mahatir Bin Mohamad)氏がそうですし、公務員の中にも数はともかくとして、優秀な人がいるに違いありません。
 マレーシア航空のエグゼクティブクラスが見事に運営されていたこと一つとっても、マレーシアのビジネス界にも優秀な人がいることが分かります
 しかし、遺憾ながら、小渕総理の接遇にも、(同列に並べるのはまことに恐れ多いことながら、)私の接遇にも優秀な人が指名されなかったわけです。小渕総理のケースは、ほかに米国やロシア等からも首脳クラスが大勢APEC会議出席のために来訪中であり、そちらの方に優秀な(クアラルンプールの)警官が割り当てられた結果、悲喜劇が起きた、と考えられます。
 さて、帰国してから、あるパーティーで顔見知りの駐日ロシア武官の某大佐(前の配置が駐マレーシア武官)に、マレーシアでの接遇はどうだった、と聞いてみました。そうしたら彼が「東南アジア諸国の中で、最も事務的な面がしっかりしているのがマレーシアだ」と言うので、私の経験を話したところ、「信じられない。そんなことは自分に関しては一度もなかった」と言っていました。

 第二の仮説は、マレーシアが日本との防衛面での交流に熱意がない、というものです。
 私の接遇に遺漏があったことと、マレーシア側が十分準備をしてわれわれとの協議に臨んだとは思えないことがその根拠です。
 補強材料としては、マレーシアが陸上自衛隊幹部学校(昔で言うなら陸軍大学。二年間のコース)に1985年に初めて留学生を送りながら、後が続いていないこと、また防衛大学校に1992年と1995年にそれぞれ二名ずつ留学生を送りながら、やはり後が続いていないこと(いずれも1999年当時)が挙げられます。
 確かに、武器技術も武器も供与してくれない日本と防衛面で交流しても得るところは少ない、ということは確かですし、そもそもマレーシアが日本を軽視している、ということであれば、なおさらそうでしょう。

 第三の仮説は、マレーシア国防省では文官と軍人の間がぎくしゃくしている、というものです。
 というのは、空港に迎えに来るはずだったのも、士官学校へ先導するはずだったのも軍人であるところ、これらを指示したのは文官であり、指示と結果報告のどちらについてもコミュニケーション障害が起こった、と考えると、私の接遇面での遺漏のかなり多くの部分が説明できる上、会議の席上のマレーシア側の誤った発言のよってきたる原因の多くの部分も説明できるからです。
 文官と軍人との間の軋轢の存在については、マレーシア側の一員が、夕食会の際の雑談の中で認めていました。

 第四の仮説は、マレーシアでは国防省(軍)が余り重視されていない、というものです。
 この点に立ち入ることは控えておきましょう。

4 仮説を振り返って

 以上の四つの仮説のうち、マレーシアが日本を軽視している、との第一の仮説を立て、それが検証されたかに見えた時は、われながら信じられない思いがしました。
 マレーシアは、マハティール首相が提唱したルック・イースト政策(東方政策=日本に学ぶ政策)(注1)をとっており、日本は重視されていると思いこんでいたからです。

 (注1)マハティールは、首相に就任した1981年にこの政策を打ち出した(マハティール・モ
ハマド「立ち上がれ日本人」新潮選書2003年12月19頁)。その背景には、宗主国人た
る英国人と比較したマレーシアを占領した日本軍人の立派さ(、これはマレー人共通の
声(145??146頁)らしいが、私自身、訪問時の夕食会の際の雑談で、マレーシア側から
この話を聞かされた)、ある日本人との邂逅と友情、頻度の高い訪日時の見聞(151頁)、
そして日本の驚異的な速度での戦後復興への敬意(19頁)、がある。

 しかし、マハティールは自分の本(上掲)の中で、日本の変化、すなわち、日本は政府と民間の密接な協力関係を捨て去ろうとしている(43頁)、終身雇用制も捨て去ろうとしている(44頁)、個人を集団より優先させる傾向が見られる(151頁)、フリーターが増えている(62頁)、ことを嘆き、戦後日本において、小学生時代の英語教育が不十分であること(53頁)、青年に社会に奉仕する機会を与えていないこと(65頁)、日本人に愛国心が欠けていること(65頁)、を批判しています。
このように、マハティールの現在の日本への見方が厳しいことを知った今、私は、自分が1999年にマレーシアを訪問した頃には、既にマハティールは日本を軽視するようになっており、ルックイースト政策は名存実亡の状態になっていたに違いない、と思っています。

(続く)