太田述正コラム#7374(2014.12.20)
<85歳のウィルソン(その2)>(2015.4.6公開)
(2)人間に係る諸自然科学
「我々はどこから来て、我々は何であり、我々はどこに向かっているのか、という、哲学と宗教が概ね放棄してしまっているところの、哲学と宗教の大きな諸論点に、ついに接近しつつある(approaching)、ということを私は示唆したいのだ。
今や新しいアプローチをとるべき時であり、私は、この長年にわたる懸案(grail)の改めての追求(quest)にあたって参照されることが最もふさわしい5つの学問分野があることを示唆したい。
それらは、特定の種の進化的時間を通じての歴史を追跡する進化生物学、古生物学に徐々に移行しつつあって新しい解釈において枢要である考古学、そして、当然のことながら、現在の自然科学(science)の新興都市であるところの脳科学だ。
<脳科学における、>脳の鍵となる諸メカニズム、意思決定の無意識下の諸中心、感情的反応のアーキテクチャー、の探求は、全て、永続性のある解答に到達するために、枢要だ。
更に、私は二つ付け加えるが、それらは、若干の読者達には驚きかもしれない。
その一つは人工知能であり、そして、大きな諸設問に答えるための私の5つの枢要な学問分野の一揃いの小さなリストの末尾に来るのは、ロボット学だ。」(H)
(3)人文科学
「<しかし、>人間(humanity)の創造性は、人文系(humanities)の中において保証(guarantee)されているのだ。」(H)
「ウィルソンは、我々に、文系学問(arts)と文化が、自然科学に生の意味を理解する新しい侵入路(inroad)群を提供することが可能であることを我々に信じさせようとする。」(C)
「我々が恐らく期待するであろうことだが、ウィルソンは、自然科学一般、就中進化、が「人間の実存(existence)の意味」を把握(comprehend)するための礎石群である、との前提(premise)から始める。
彼は、自然科学と人文系がこの営みに参加する(join forces)ことを呼びかけるが、自然科学の包括的な(overarching)権威を彼らが受容する場合においてのみ、人文系が人間の実存の意味についての<我々の>理解を深める<ことができる>、ということを明確に信じている。」(E)
⇒(2)、及び、(3)のここまで、については、私としても特段異存はありません。(太田)
「進化は、人間達をして、相互に競争し合うとともに協力し合うように<脳内を>配線したところ、この二つの衝動群(impulses)は<どちらも、人間にとって>裨益的たりうるけれど、一見明らかに<相互に>矛盾している、とウィルソンは言う。
「一言で言えば、固体淘汰は我々が罪と呼ぶものを贔屓(favor)し、集団淘汰は徳と呼ぶものを贔屓する」と彼は記す。
その結果は、精神病質者達以外の全員を悩ましているところの、良心の内なる葛藤(conflict)だ。
我々がこのちょっとした難題(wrinkle)を解決することができれば、人生はずっと単純なものになりそうだが、ウィルソンはそうではないと警告する。
「諸感情の不安定性は、我々が維持したいと願わなければならない特性(quality)なのだ。
それは、人間の性格の本質なのであり、我々の創造性の源泉なのだ…。
我々は、行儀よくすることを学ばなければならないが、人間の本性を飼い馴らすということなど決して考えてはならないのだ」と。
⇒このくだりは、人間主義の人間にとっての本来性を知っている我々からすれば誤りです。
農業時代の到来に伴い、日本文明以外の大部分の人間は、人間主義性が抑圧され、利己主義に絡めとられてしまい、法令や道徳の形で外部から利他性を押し付けることでかろうじて社会を維持しようとしたものの、個人は「良心の内なる葛藤」に苦しめられ、社会は不安定なものとなったのです。
この「矛盾」する二つを最も効果的に調整するメカニズムを有しているのがアングロサクソン文明であるわけですが、日本文明においては、大部分の人間が人間主義性を失わなかったまま推移したため、そもそも、かかる「矛盾」を抱えておらず、個人は「良心の内なる葛藤」とは無縁であり、社会は安定的に維持されたのです。(太田)
彼は、人間の運命を複雑にしているところの、もう一つの進化的いたずら(trick)に言及する。
我々の精巧な諸脳、及び、直立して歩く能力は、我々を自然の諸主人にしたけれど、我々を自然から遠ざけもした。
その結果、この盲点が、我々をして、我々の生存のために必要なこの惑星を粗末に扱う(abuse)傾向をもたらした。
⇒このくだりも、同じ理由から誤りです。
人間主義性は、自然との共生を前提としており、地球を「粗末に扱う傾向」とは無縁だからです。(太田)
我々の十全なる前途(promise)に到達するために、ウィルソンは、自然科学と人文系の大いなる協同(partnership)を提案する。
⇒ここはその通りです。(太田)
人間達が繁栄したのは、我々の濃密な相互配意(awareness)の故だ。
この特性は、人文系が生み出す芸術、文学、音楽、そして演劇によって醸成されたものだ。
⇒利己的な人間を生来的人間主義性に目覚めさせる方法の一つとして、広義の芸術に触れることが挙げられる、ということなのであって、方法としては、念的瞑想の方がより効果的であると思われます。
もとより、最も効果的なのは、日本のような人間主義的社会に生まれ育つことであり、せめて、できるだけ若い時からそこに生きることです。(太田)
自然科学もまた人文系を豊かにするとはいえ、自然科学はこれらの諸洞察によって裨益することができる、とウィルソンは読者達に伝える。
自然科学が人文系になしうる最大の貢献は、いかに我々が諸種族のうちの一つとして異様(bizarre)であるか、そしてそれがどうしてなのか、を証明することだ」と彼は記す。」(G)
⇒再び、ここもその通りです。(太田)
(続く)
85歳のウィルソン(その2)
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