太田述正コラム#7382(2014.12.24)
<河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その3)>(2015.4.10公開)
 「本書における比較文化的考察では、マーガレット・アーチャー<(注5)>の提唱する「分析的二元主義」<(注6)>の立場をとる。
 (注5)Margaret Scotford Archer(1943年~)。学者生活の大部分を英ウォーリック(Warwick)大学で送り、現在、スイスのローザンヌ連邦ポリテクニーク(l’Ecole Polytechnique Federale de Lausanne)教授。ロンドン大卒、同大博士。
http://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Archer
 彼女は、今年、法王フランシスコ1世によって、法王庁社会科学アカデミー(Pontifical Academy of Social Sciences)(1994年創立)の所長(president)に任命された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pontifical_Academy_of_Social_Sciences
 (注6)analytical dualism。構造(structure)と機関(agency)を、変化に要する時間の長短等で区別した上で、両者の相互作用を形態形成連鎖(morphogenetic sequence)、と捉える社会学方法論。
http://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Archer
 「分析的二元主義」とは、わかりやすくいえば、ある社会の「文化」を「思想(文化システム)」のレベルと「行動(社会文化的統合)」のレベルに分けて考えるということである。・・・
 <例えば、>「皇軍思想」のみを取り上げて日本の文化を論じたり、「万歳突撃」や「特攻隊」の「行動」のみを取り上げて、これが日本の文化だと断じることにも、慎重でなければならないということなのである。」(22)
⇒アーチャーの言説に直接あたっていないので断定はできませんが、河野の分析的二元主義理解は不正確なのではないか、という印象を持ちます。(太田)
 
 「国家総動員法が公布された1938(昭和13)年当時、高度国防国家の教育体制は、「家庭、学校、社会等の各教育系統を総合的有機的に計画組織し、・・・国体思想を全般的に強化普及し、且国民性の錬成と団体訓練とに依って、個人的にも全体的にも、その最大能力の発揮を可能ならしむるにある」とされ、教育システムは動員システムの統制下におかれるべきだと軍部は強く主張した。その結果、太平洋戦争期には日本は世界的に見ても「もっとも軍国主義的な国家」(・・・Stanislav Andreski, Military Organization and Society・・・1968(S・アンジェイエフスキー<(注7)>『軍事組織と社会』<(注8)>新曜社、2004年)・・・)となった。」(43、339)
 (注7)1919~2007年。南アのローズ(Rhodes)大学等を経て英リーディング(Reeding)大学社会学教授。ロンドン大卒、同大博士。
http://www.independent.co.uk/news/obituaries/professor-stanislav-andreski-396376.html
 「アンジェイエフスキーはポーランドで生まれ、大学教育を受けてからポーランド軍に入隊する。第二次世界大戦が勃発した1939年には陸軍の砲兵隊に下士官として勤務していた。後にソビエト赤軍の戦時捕虜となった際には敵地脱出して物乞いと密輸で生き延びながらハンガリーに亡命する。ハンガリーでも警察に逮捕されるが、再度脱走してフランスへ入国し、自由フランス軍に参加してナチス・ドイツと戦った。しかし1940年にフランスがナチス・ドイツに降伏してからはイギリスへ逃れることになり、<英国>では語学要員として連合軍の総司令部での通訳の仕事に従事する。戦後にドイツの占領行政に携わった後に<英国>へ帰国し<た>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A
 (注8)<この本で、アンジェイエフスキーは、以下のように指摘した。>
 「戦争に勝利するために成立した軍事組織は社会階層の構成を平準化することも、急峻化することもありうる。それは戦争に勝利するために必要な資源の程度、すなわち戦争に動員される対象が社会を構成する人口全体で占める割合によって左右される。この割合をアンジェイエフスキーは軍事参与率と概念化し、軍事技術の水準や生活水準により軍事参与率の最大値は規定されると述べる。本書の歴史的検証によれば、その社会の軍事参与率は社会階層の構成と共に変化していることが分かっている。軍事参与率が高まれば権力や財産の配分は平等化され、逆に軍事参与率が低ければ権力や財産の分配は不平等化される傾向がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A 前掲
 なお、上記ウィキペディアや、Independent前掲では、この本の出版を1954年としているところ、その第2版が1968年に出版されているらしい
http://en.wikipedia.org/wiki/Stanislav_Andreski
が、河野が参照したのがこの第2版であったのならば、そう明記すべきなのにそうしていないところにも彼の杜撰さが現れている。
 ところで、この本の(第二版の)邦訳が2004年に出ているところ、その翻訳者たる坂井達朗が、「訳者あとがき」で、「本書の刊行後、筆者がどのような運命を辿ったか<は>全くわかっていない。」と記している
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0925-3.htm
のは、当時、アンジェイエフスキーがまだ存命であったことからすれば、全く筆者と連絡をとることなく、いや、少なくとも、原著版権保有者に筆者の履歴について問い合わせることなく、日本語で376頁にもなる本の翻訳を行ったわけであり、翻訳者として無責任の誹りを免れまい。
⇒新曜社前掲を見ると、アンジェイエフスキーが日本についてもこの本の中で言及していることは確かのようですが、本当に河野が書いているようなことをアンジェイエフスキーが書いているとは私には思えませんが、仮に書いていたとしたら、その典拠を教えろと言いたくなります。
 というのも、当時のロシア(ソ連)もドイツも全体主義国家であり、自由民主主義的な国家であった「日本<が>世界的に見ても「もっとも軍国主義的な国家」・・・となった」はずがない、というか、なれるわけがない、と私は考えるからです。(太田)
(続く)