太田述正コラム#7384(2014.12.25)
<河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その4)>(2015.4.11公開)
「18世紀末の独立戦争によって植民地支配を脱し、主権国家としての自由と独立を獲得したアメリカ合衆国は、封建制を経験しないままに近代国民国家となった。その意味で米国社会は非常にユニークな歴史的経路をたどってきた。中でも特にユニークなのは米国の政治体制が欧州諸国や英国とくらべても中央集権的ではない点に見られる。」(44)
⇒ツッコミどころ満載の箇所です。
「封建制を経験しないまま」について言えば、米国という新しい国家に関しては当然当てはまるけれど、(その直前まで英国民であったところの)米国民に関しては、(引き続き英国民であり続けたところの)英国民と何ら変わらないのであって、そういう意味では全然「ユニーク」ではありませんし、私は、そもそも、イギリスには封建制はなかったという説を信奉しており、「封建制を経験しないまま」という叙述そのものがナンセンスである、と言いたくなります。
また、「欧州諸国や英国とくらべても中央集権的ではない」は、時期を限定しないと、「歴史的経路」という文脈の中では意味をなしません。
というのは、19世紀後半に統一されるまで、「欧州諸国」中のドイツもイタリアもバラバラであったからです。(太田)
「アメリカ人兵士・・・はアマチュアの民兵ではあったが、ゲリラ戦と散兵戦術という当時としては画期的な戦術により、米国の不正規軍が見事に制圧したのである。ちなみに、この「散兵戦術」は、一般に金銭目的で戦争に参加する傭兵への適用は困難であり、自分たち自身を守るために自発的に戦争に参加した志願兵だからこそとりえた戦術だった。」(47~48)
⇒ここでも、河野は、「アメリカ」と「米国」を一つのセンテンスの中に無造作に同居させており、呆れてしまいますが、米国の独立が正式に認められた1783年のパリ条約までの間は、少なくとも「米国」を用いるべきではありますまい。
(下掲のウィキペディアは、「パトリオット(愛国派)」という言葉を使っており、その厳密さは称賛に値します。)
さて、「アメリカ人兵士・・・はアマチュア」についてですが、彼らは、日常的なアメリカ原住民との戦い、及び、間欠的に何度も生起したところの、英仏第二次百年戦争の北アメリカ戦域における、とりわけ、米独立戦争直前の7年戦争における、フランス軍等との戦い、を経験してきており、散兵(Skirmisher)戦術もその中で(長射程で正確なライフルの出現と相まって)生まれたものであり、
http://en.wikipedia.org/wiki/Skirmisher
決して「アマチュア」であったとは言えないのではないでしょうか。
また、「米国の不正規軍が見事に<英軍を>制圧した」は誤りであることは、これまで私が何度も記してきたことですが、「1781年のチェサピーク湾の海戦では、<フランス艦隊が英>艦隊の一部を逃避させ残りを破壊したので、<英軍司令官の>チャールズ・コーンウォリスをヨークタウンで包囲することになった。コーンウォリスは約束された<英>軍の援兵を宛てもなく待たされていた。コーンウォリスは陸では大陸軍とフランス軍に、海上はフランス艦隊に抑えられた。同盟フランス軍は10月17日のヨークタウンでパトリオット(愛国派)が決定的な勝利を得るために重要な役割を演じた。もし・・・フランス艦隊がいなかったら、この勝利はなかった。無益な抵抗の後に、コーンウォリスは10月19日に正式に降伏した。<これで、米独立戦争における>主要な戦闘は終わ<った>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9
という史実に照らしただけでも、誤りです。
(「「散兵戦術」は、一般に金銭目的で戦争に参加する傭兵への適用は困難であ<る>」についても、そんなことは「一般に」は言えないはずだ、と私は思うのですが、これを裏付ける典拠も否定する典拠もすぐには見つけることができませんでした。)(太田)
「米国の動員システムが「志願兵」主体から「徴兵」主体へと大きく変化するのは、<実に、>「選抜徴兵制」が実施された第一次世界大戦時<になってから>である。・・・
<これこそ、>「シビリアン・ボランタリズム」とでもいうべき市民の自発的参加こそ、アメリカ社会が「志願社会」たる所以であり。このことは、学校での軍事教練や青年団組織の官制化、学校配属将校の設置など、すべて陸軍主動で行われた「動員社会」ニッポンの場合と比較して見たとき、対照的な特徴としてとらえることができる。」(50、53)
⇒河野は、ここでも、この「対照的な特徴」のよってきたるゆえんを解明し、説明しようとしておらず、我々の欲求不満を募らせます。
さしずめ、私なら、常時弥生モードの米国と、縄文モードを基本とする日本、という文明の違いから説明しようとしたことでしょう。(太田)
(続く)
河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その4)
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