太田述正コラム#7390(2014.12.28)
<河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その7)>(2015.4.14公開)
「<二度招集され、伍長で終戦を迎えた某日本陸軍兵士>は、戦地、特に前線では上下の階級間の関係がゆるやかになり、平時のような厳格な上下関係が崩れてゆくのだという。・・・
平時の軍隊組織が「権威主義的」だとすれば、戦時の軍隊組織は「民主化」するということを示唆しており、われわれにとっては重要な洞察を含んだ観察である。」(101)
⇒少なくとも米軍についても当てはまらなければ、そんなことは言えないはずですが、河野は、本件に関し、米軍についての説明を行っていません。
なお、日本軍の場合、兵士達は、イニシエーションが終われば、通常戦地に送られ、恒常的ではないにせよ、何らかの形で戦場経験をすることから、新米兵士の時に高められたストレス耐性は容易には低下しない一方、それ以外の面では、彼らは、その大部分にとってデフォルトである縄文的意識へと戻ってしまうとしても不思議はないのであり、その結果、軍隊という、タテマエとしては「権威主義的」組織がホンネでは「民主的」組織へと変貌する・・縄文的組織へと先祖返りしてしまう・・、ということではないでしょうか。(太田)
「当時の米国は世界恐慌から引き続く不況期でもあり、<当時米陸軍軍曹であり、>長男<であった某は、>自分が「服や靴を買ったり、猟銃の弾薬を買ったりするため」の小遣いぐらいは自分が稼いで家計を少しでも助けたいという気持ちもあった<から州兵に志願した>という。・・・
1940年以前に州兵に志願した者のほとんどが経済的な理由をあげている。・・・
<他方、>「真珠湾攻撃」以後は、圧倒的に・・・「愛国心」・・・を志願理由に挙げる兵士が多い。特に海兵隊志願者には顕著にみられる。・・・
<志願した者の中には、>子供の頃から狩猟をして<いて>、射撃<が>得意<な>・・・少年<だった者もいた。>」(102、104、110~111)
⇒河野の行った旧米兵へのインタビューの中で、猟銃フェチ的発言が少なくないことは、米国が日本と違って銃社会であること、それは、取りも直さず、いかに、米国が弥生的社会・・危険に満ちた暴力的な社会・・であるか、を雄弁に物語っています。(太田)
「<日米>いずれの軍隊においても、将校の抜擢<は>能力主義によって行われていた・・・。ただ、学歴制限がなく知能検査の結果を重視する点で、米軍のほうがより能力主義を貫徹していたといえるかもしれない。」(121~122)
⇒当時は知能検査がまだ発展途上であった点はさておき、(官僚や法曹適性(注10)ならぬ)将校適性のうち、知能は重要ではあっても決定的なものではない、という(正しい)認識が米軍とは違って日本軍にはあった、という推測も成り立ちうるのではないでしょうか。
その上で、コスト上将校教育を施す対象を絞らなければならない必要性から、学歴を将校たる要件とした・・もとより、兵士や下士官から、ごく少数、将校になるルートも残しつつ、ですが・・、と推測するわけです。(太田)
(注10)下掲中の「活用」の後半部参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
「「軍紀」の面では、海兵隊は米陸軍よりはむしろ日本陸軍に近い厳格さがあったと推測できる。民主制の伝統を保持し「市民兵(citizen soldier)の意識の強い州兵に比べ、海兵隊は「軍隊組織」「戦闘組織」であることを強調し、新兵訓練の過程では「軍人」と「民間人」との違いをことさら強調していた。・・・
規律の面ではかなりの相違があるものの、米軍の陸軍部隊も海兵隊も兵営内の生活は同年兵が主体であって、日本陸軍のような古年兵の存在と暴力による制裁がほぼ皆無である点に特徴があった。むしろ、州兵部隊のような基本的に「軍人」ではなく「市民」であるという意識の強い組織では、軍隊内での階級をひけらかし、権威主義的な態度をとる者は「権力の濫用」であるとみなされ、下級者の反発を招いた。・・・
ただし、こうしたインフォーマルな組織構造の特徴は、海兵隊の場合にはそのままあてはまるとはいえまい。・・・
⇒河野は十分なデータを提供してくれていないのですが、私の感覚で言えば、米国では海兵隊だけがまともな軍隊であったのに対し、日本では(「縄文的組織へと先祖返り」してもなお)陸海軍全体がまともな軍隊であったのであり、そんな米軍が日本軍に勝利できたのは、もっぱら、日本をはるかに凌駕していた当時の米国の経済力と科学技術力のおかげなのです。(太田)
一方、日本のような年齢規範意識の強くない米国では、年齢や入隊年度による秩序形成はほとんどみられない。そのかわりに、出身地の違いや人種、民族、宗教の相違によるインフォーマルは集団の形成が特徴的である。」(126~128))
⇒ここでも、河野は、米国の日本に対する文明的優位を所与のものとしていることによる歪みを露呈させています。
私見では、(「出身地の違い」は、「人種、民族、宗教の相違」に還元できるところ、後者については、)米国には「人種、民族、宗教」による差別があったのに対して日本にはそんな差別など基本的に存在しなかった、というだけのことなのです。(太田)
(続く)
河野仁『<玉砕>の軍隊、<生還>の軍隊』を読む(その7)
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