太田述正コラム#7414(2015.1.9)
<カール5世の帝国(その3)/私の現在の事情(続x50)>(2015.4.26公開)
(2)新世界と旧世界
「<スペインでは、>16世紀の間、異端審問<(注6)>が最高潮であり、密かにユダヤ教やイスラム教を実践していると疑われた者は誰でも無茶苦茶に(hideously)拷問された。
(注6)「14世紀の半ば頃から、ペストの流行や経済的問題などにより、<イベリア半島各地で、>比較的富裕層が多かったユダヤ教徒に不満が集まった。1391年のセビリャで大規模なポグロム(ユダヤ人虐殺)が起こると、それは各都市に飛び火し・・・、度々反ユダヤ暴動が起こった。・・・<他方、>アラゴン王国の宮廷では多くのユダヤ人が仕えていた。<アラゴン王国の>フェルナンドと<カスティーリャ王国の>イサベル1世の結婚を斡旋したのもペドロ・デ・ラ・カバレリャというユダヤ人家臣であった。・・・<こ>の結婚(1469年)<と>レコンキスタの完了(1492年)により、スペインに・・・統一王権が誕生した。
フェルナンド2世にとって国内の一致のためにも、・・・一旦<キリスト教に>改宗しながら<、それぞれ、>ユダヤ教、イスラム教の習慣を守る・・・モリスコ、コンベルソの存在が邪魔なものになっていた。フェルナンド2世は異端審問のシステムを用いれば、これらの人々を排斥し、政敵を打ち倒すことができると考えた。さらにフェルナンドはユダヤ人金融業者から多額の債務を負っていたため、もし金融業者たちを異端審問によって社会的に抹殺できれば債務が帳消しになるという思惑もあった。・・・
そもそも「異端」審問というものは、「キリスト教徒でありながら、正しい信仰を持っていないもの」を裁くためのものであり、ユダヤ教徒やイスラム教徒をその信仰ゆえに裁く権利はなかった。しかし初期のスペイン異端審問所は、・・・コンベルソ、モリスコを多く裁いた。・・・教皇がフェルナンド<によるこんな「異端審問」を認めた>背景には当時の地中海情勢がある。勢い盛んだったオスマン帝国がギリシアを支配下においてイタリア本土を脅かし始めたのだ。教皇領とイタリア半島の安全は<フェルナンドを国王として戴く>シシリア王国の軍事力によって保障されていた。・・・フェルナンドはこれを対教皇折衝の切り札としていたのである。・・・
<もっとも、>最新の研究によれば、スペイン異端審問において12万5千人近くが裁判を受けたが、実際に死刑を宣告されたのはそのうち1200人~2000人程度で、ほとんどの被告は警告を受けるか、無罪が証明されて釈放されたとされている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F
(ユダヤ人達やイスラム教徒達は、新世界に渡ることを制限された。)」(F)
「多くの歴史学者達は、スペインがアンデスで発見した巨大な銀鉱床群が、欧州に、それが全球に君臨することを可能にした諸資金を提供した、と信じている。<(注7)>」(A)
(注7)「価格革命(・・・price revolution)とは、・・・16世紀半ば以降、・・・「新大陸」・・・から大量の貴金属(おもに銀)が流入したことや、かつては緩やかな結びつきであった<欧州>等各地の商業圏が結びついたこと(商業革命)で需要が大幅に拡大されたことで、全<欧>の銀価が下落し、大幅な物価上昇(インフレーション)がみられた現象をさす。・・・これにより、16世紀の西<欧>は資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯・騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況となって、領主のいっそうの没落を加速した。それに対し、東<欧>では、西欧の拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。また、それまでの銀の主産地だった南ドイツの銀山を独占していた大富豪フッガー家や北イタリアの大商業資本の没落をもたらした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E6%A0%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD
「「1528年に、当時の3人の最も偉大な男達がスペインに居合わせた。
<それは、スペイン>国王にして<神聖ローマ>皇帝のカール、そして、彼の最も重要な部下達のうちの2人であるところの、ノバイスパニア(New Spain)/メキシコの征服者のエルナン・コルテスとペルーの将来の征服者たるフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)<(注8)(コラム#147、7136、7138)>だ。」とトーマスは記す。」(C)
(注8)1470~1541年。「カスティーリャ王国・・・の生まれで、・・・父は軍人で小貴族、母は召使であったといわれる。教育されず、文字も知らないままで育った。・・・
1498年から1502年にかけてイタリア戦争に参加した後、1502年に・・・エスパニョーラ島へ渡る。1513年にバルボアのパナマ遠征に同行し、太平洋に到達。・・・1528年にスペインに戻り、カルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を取った。・・・1531年には約180人の手勢と37頭の馬を引き連れ、パナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。・・・その後、インカ皇帝アタワルパを追って南進した。1532年にカハマルカでアタワルパと会見し、その場で生け捕りにした。アタワルパの身代金として、莫大な貴金属を受け取ったが、・・・約束を反故にして、1533年・・・<彼の>処刑を敢行し<、やがて、>インカ帝国の首都であるクスコに無血入城し・・・インカ帝国を滅ぼし<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%B5%E3%83%AD
「<彼ら>は、当時、トレド(Toledo)<(注9)(コラム#3128、4292、7134)>にいたのだが、この3人<は、>最も偉大<なだけでなく、>最も良く旅をしていた男達<でもあ>った。
(注9)「マドリードから南に71kmの距離で、・・・かつての西ゴート王国の首都・・・<であり、>トレド司教座<は、>・・・イベリア半島全体の首座大司教座<となった。>・・・<その後のイスラム支配の下で、>12世紀から13世紀、トレド翻訳学派・・・(Escuela de Traductores de Toledo)と呼ばれる学者が活躍した。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの・・・文献がアラビア語からラテン語に翻訳された。この成果が中世西<欧>の12世紀ルネサンスに大きな刺激を与えた。
レコンキスタの節目の1つとなっている・・・トレド征服以降、カスティーリャ王国やスペイン王国は定まった首都を持たず、トレドは一時的な宮廷の所在地であった。1561年、フェリペ2世がトレドからマドリードに宮廷を移すと、マドリードが首都として確定し、トレドはゆるやかに衰退を始め、現在に至っている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%89
皇帝カール5世は、彼の欧州帝国を防衛(safeguarding)し拡大すべく、その生涯を移動して過ごした。
・・・エルナン・コルテスは、1506年以来、初めてスペインに戻っていた。
そして、フランシスコ・ピサロは、今日のエクアドルの太平洋沿岸から旅してきていた。
この3人は、一緒になって、スペインを、世界で最も強力な国にしたのだ。・・・
カール5世には、成就すべき、彼自身の帝国的使命(destiny)があった。
コルテスとの諸議論の後、彼は、トレドを去ってイタリアに向かった。
そうして、彼は、イタリアに対するフランスの脅威を、驚くべき勝利でもって除去した。
今や、法王は、彼を神聖ローマ皇帝に叙そうとしていた。
世界はカールの欲しいままになろうとしていたのだ。」(E)
「スペイン<国王>のカール5世は、瞠目すべき「国際的人物」だった。
彼の諸祖先には、「ジョン・オブ・ゴーント(John of Gaunt)<(注10)(コラム#916、4312、4927、7339、7395)>というイギリス人たる先祖(forebear)」、及び、フラマン的(Flemish)育ち、は言うまでもなく、「カスティーリャ人とアラゴン人とポルトガル人という大いなる出で立ち(gallery)とともに、一人のドイツ人、一人のハプスブルク家人」がいた。
(注10)1340~1399年。「<イギリス>王エドワード3世・・・の第4子で三男。ランカスター家の祖。・・・ゴーントとは、出生地であるフランダース(フランドル:現在のベルギー北部)の都市ヘントを指す。・・・1377年に甥のリチャード2世が<若年で>即位すると実権を振るったが、1381年に課税の失策によりワット・タイラーの乱を誘発させたため、1383年にリチャード2世が親政を開始すると権力から遠ざけられた。・・・リチャード2世は・・・ジョンの死の前年、その子ヘンリー・・・を国外追放した。さらにジョンの死を見届けるとランカスター公領の没収を命じた。ヘンリーは帰国して反乱を起こすとリチャード2世を捕らえて廃位し、ヘンリー4世として即位した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%88
彼は、まだ10代の時にスペインの王座に就き、その後すぐに神聖ローマ帝国の支配の任に就いた。」(C)
「カールの称号は、今や、「ローマ人達の国王、選出された皇帝…スペイン、シシリア、エルサレム、バレアレス諸島(Balearic Islands)<(注11)>、ハンガリー、ダルマティア、クロアティア、そして、西インドの国王」となった。
(注11)「西地中海に浮かぶ群島で、<現在、>スペインを構成する自治州の一つとなっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6
カールの大宰相は、「神は世界国王への道をあなたにお定めになった」と宣言したが、これは何の不思議もないことだった。」(D)
(続く)
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–私の現在の事情(続x50)–
先日、「紛失」したのかもと書いた、賃貸に出しているマンションの鍵らしきものが、今朝、出てきました。
大きさが極めて小さく、引き出しの隅っこに紛れていたのですが、全く見覚えがないのと、1個しかないので、どう考えても、それだとしか思えないのです。
それにしても、あらかじめもっときちんと探すべきだった、とHNさん夫妻への慚愧の念に再びかられた次第です。
さて、オーディオシステムの方ですが、昨日午前中に発注した2製品が、日本郵便で本日届くはずが、既に午前7時前には最寄りの大森郵便局に「到着」していたというのに、「持出し中」に変わったのがなんと17:50。
結局、ウチに届いたのは、18:40になってしまいました。
(実は、昨日で、約2週間前に初めて買った、焙煎コーヒー豆がなくなり、上記が届いたら、コーヒー豆屋さんに出かけようと思っていたのに、それが果たせず、本日は、ついにコーヒーが飲めませんでした。
正直な話、最近、かなり味覚が衰えてきており、あんまりコーヒーの味の微妙な違いなんて分からないのですが、この焙煎ブレンドコーヒー豆のストッカーを開けた時の香りの虜になってしまっています
いわゆる、コーヒーを入れた時の香りとは全く異なる、今までの私の人生では嗅いだことのない、しかし、まことに気持ちの良い香りだからです。
明日、昼前に買い出しに行き、今度は、2パック求めてくるつもりでいます。
なお、残っている、インスタントコーヒーは、ミルクココアを電子レンジで温める際、一匙加えるのが、これも、このところ定番になっています。
この分では、ストックが切れたら、インスタントコーヒーも買い入れることになりそうです。
残っている、冷凍庫に収納してある、市販のコーヒー粉については、いまだに、使い道が決まっていませんが・・。)
で、先ほど、セッティングを行ったのですが、「RCAパラレルコネクター 2個1組」については大失敗でした。
そもそも、もう1組なければダメだったのです。
(当然の話なのですが、そこが素人のアホさかげんです。)
もう一つ、セロテープやガムテープよりはいいだろうと思って、ありあわせのメンディングテープを使ったのですが、すぐテープが剥がれてしまい、その点でも失敗してしまいました。
このコネクター・・たまっていたポイントを使ったので、実質、3500円にもなりませんが・・の活用方法は、今後検討したいと思います。
とにかく、komuroアンプとスピーカーを繋ぐケーブルは高品質のもので揃ったので、Daliとタンノイを、ほぼ同じ条件の下で、同じ曲・・某女性歌手のフルオーケストラ伴奏の歌・・でもって聴き比べてみたところ、恐らく衆目一致すると思いますが、タンノイの方が音が立体的で、しかも腹に響く感じでずっと良かったですね。
タンノイは、Daliよりもはるかに(少なくとも筐体は)大きいことに伴うメリットがありそうな一方、年代からして、Daliの方が使われている技術は進んでいるはずですが、現在の両者の市場価格の10倍前後の違いは、単にタンノイがビンテージものだから、というよりは、音の品質の良さも違うから、と考えた方がよさそうです。
というわけで、komuroさん宅にはもとよりですが、HNさん宅にも、今後、足を向けて寝られないことになったものの、現在のベッドの方向では、komuroさん宅にもHNさん宅にも足が向いており、しかも、自分一人では、ベッドの向きを直せない状態なので、スミマセン。
(なお、komuroアンプのセレクターを動かして、このアンプに繋いだレコードプレーヤーでレコードを聴くことにも成功しました。)
カール5世の帝国(その3)/私の現在の事情(続x50)
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