太田述正コラム#0303(2004.3.29)
<シバジ騒動(その3)>
3 騒動の経緯
レーンの本は、2003年の初めに英国と米国で出版され、同年6月にはインドでも出版されました。
2003年11月にはマハラシュトラ州所在の、レーンと関わりの深い研究所の所員達、歴史学者達、及び国会議員一名がレーンの本を引き揚げるように出版元(オックスフォード大学出版会)に要求。出版元はインドからこの本を引き揚げる決定を下します。12月には、ヒンズー過激派政党の扇動により、レーンの本に謝辞が記されている研究員の一人(上記研究所の所員)が暴徒に襲われて辱めを受け、更に今年の1月にはこの研究所が襲撃され、この研究所が保有する貴重な歴史的文物が多数破壊され、失われました。
さすがに、この研究員や研究所に対する襲撃には非難の声があがりました。
その後、レーンには警察から逮捕状が発出され、インターポールに手配書が送付され、本は(前述したように国民会議派が牛耳る)マハラシュトラ州政府によって発禁処分になりました(注2)。
(注2)いずれもインド刑法153.条(Wantonly giving provocation with intent to cause riot・・・)及び153条A.(Promoting enmity between different groups on grounds of religion, race, place of birth, residence, language, etc., and doing acts prejudicial to maintenance of harmony)違反の嫌疑。これら条項は、上記研究員や研究所の襲撃犯人達、及び襲撃を扇動した政党の指導者達にこそ適用されるべきだが、そのような動きは全く見られない。
この騒動が始まってから、インドの著名人によってなされた唯一の理性的な発言は、バジパイ首相の今年1月16日のものでした。首相は、反論するための「正しい方法」は議論することに尽きるとし、「本の中で述べられている見解に反駁したいのであれば、きちんとした本を書くことによってそれを行うことが望ましい」と述べた上で、レーンの本を発禁処分にしたことには同意しがたいと付け加えたのです。
当然のことながら、このバジパイ発言は、インド世論から総スカンを食らいました。
(以上、http://www.complete-review.com/quarterly/vol5/issue1/laine0.htm以下(3月20日アクセス)、及びhttp://www.csmonitor.com/2004/0329/p01s04-wosc.html(3月29日アクセス)による。)
4 コメント
インドの外でこの騒動を報道したのは英国と米国の一部メディア(そのうち、BBCとクリスチャンサイエンスモニターを本稿では引用した)であり、日本のメディアは完全に無視しています。
1988年にパキスタン出身のサルマン・ラシュディーが、その著書「悪魔の詩」(Satanic Verses)がイスラムを冒涜するとしてホメイニ師から「死刑」宣告を受けた時は、日本でも大きな反響を呼びましたが、本件はそれに勝るとも劣らない事件だと私は思います。
ラシュディーのケースががイスラム世界の病理を示しているとすれば、レーンのケースは、ヒンズー原理主義によって乗っ取られつつある(注3)インドの「自由・民主」主義の憂うべき現状を如実に示しています。
(注3)本件の背景としては、インドにおけるヒンズー原理主義の勃興があるが、もう一つ、シバジを始めとするマラータ同盟の首長達はエリートのバラモンの出身ではなかったのに対し、上記研究所所員の多くはバラモン出身であり、非バラモン出身のヒンズー教徒達が、本件をバラモンの連中による陰謀であると考えた点をあげる意見がある(クリスチャンサイエンスモニター前掲)。
戦慄を覚えるのは、BJPの、あるいはインドの政治家として「まとも」なのは、ひょっとしたらバジパイ首相だけではないか、ということです。
高齢のバジパイ首相が引退したあかつきには、インドは一体どうなることやら。
(完)