太田述正コラム#7456(2015.1.30)
<『超マクロ展望–世界経済の真実』を読む(その3)>(2015.5.17公開)
⇒米国は、第二次世界大戦中に占領(一部は再占領)した西太平洋及び西欧における米軍事力を、占領目的終了後、ソ連との第一次冷戦開始に藉口して、両地域を管轄するところの、いわば「交番」群を設置した形で前方展開させ続けることで、自国以外の世界中を、米太平洋軍(太平洋・インド洋交番)、米大西洋軍と米欧州軍(欧州交番)、及び、軍事力の前方展開なき米南方軍(中南米交番)、の4軍(交番)で管轄する、世界の「警察官」を自認してきました。
(その後、管轄地域を再編する形で、米中央軍(中東交番)と米アフリカ軍(アフリカ交番)が付け加わった。)
中東を担当する交番である米中央軍は、ソ連との第二次冷戦真っ只中の1983年に発足したものであり、ソ連に接壌する「西側」地域で唯一交番が実質なかった中東地域にも交番を設置することで、いつでもこの地域に軍事力を前方展開できるようにし、ソ連抑止を強化することを意図していました。
ところが、1989年に冷戦が終結する・・なお、1991年末にはソ連が崩壊する・・ことになったところ、その直後の1990年に湾岸戦争の勃発を契機として、それまでこの地域に軍事力を前方展開させていなかった米国は、サウディアラビア、バーレーン、カタールに米軍事力を前方展開させ、現在に至っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E8%BB%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%BB%8D 等
つまり、1990年からは、米国は、中東において、米軍事力を前方展開し続けている、という意味で恒常的軍事介入状態にあるわけです。
ですから、中東で、国際安全保障に対する潜在的/顕在的脅威が発生した・・換言すれば、国際法違反が生起した・・と米国が認定すれば、国連がそう認定するかどうかにかかわらず、米国は、中東所在の米軍事力、及び、必要に応じ、他地域から増強された米軍事力、でもって、国際警察行動たる武力の行使を行う場合がある、ということであり、2003年に開始されたイラク戦は、まさにそのような武力の行使であったわけです。
(2001年に開始されたアフガニスタン戦は、米国自身への軍事攻撃に対する自衛権の行使ですから、趣が異なります。)
よって、萱野はイラク戦争は米国の「軍事介入」であったと言うけれど、米国は中東に恒常的に「軍事介入」しているという点、かつまた、イラク戦争は、米国が(主観的には)国際警察行動たる武力の行使を行ったものであるという点、の2点において、彼の認識は、そもそも、その大前提が誤っているのです。(太田)
M:・・・国際債券市場で・・・債券の発行残高の割合をみると、<現在、既に、>ユーロ建ての割合が一番高<くなっています。>。・・・
そうなると、ユーロが基軸通貨になる条件がだんだんそろってきていて、最後に残るのが、やっぱり国際商品市場のシェアだと思うんです。ここはドルが<依然として>完全に支配している。・・・
統一通貨導入を決めたマーストリヒト条約が91年末に合意され、92年2月に調印されました。ユーロの導入予定とされたのが99年1月ですから、まだ91年のころはほんとうに統一通貨なんて実現できるのかという疑いがありました。しかしそれが、90年代半ばくらいになると、ものごとが統一通貨のほうへどんどんすすんでいき、その実現が現実味を帯びてきました・・・。
<ですから、>その根幹をもしフセインがユーロにしてしまったら。おそらくその段階でユーロは基軸通貨になる条件をぜんぶ満たします。アメリカが<2003年に>イラクを攻撃したのは、ここだけは譲れない最後の砦だったということなのでしょう。
K:71年にニクソン・ショックがあって、ドルと金の兌換が停止されますよね。それ以降、ドルが基軸通貨としての価値を実質的に担保できるのは石油とのつながりでしたから、もしそれがなくなれば、ドルは基軸通貨であることの土台を失ってしまうことになりかねない。さらにそこでフセインがドルの代わりにだしてきたのがユーロだったという点も、アメリカを震撼させたのでしょう。
95年に財務長官だったルービンがいわゆる「強いドル」政策への転換を表明します・・・。・・・<この>政策によってアメリカには世界からどんどん投資マネーが入ってくるようになり、アメリカはそのマネーを運用することで、経常収支赤字が膨らんでも最終的には利益をだせるしくみをつくった。「アメリカ金融帝国」の成立です。
こうした「強いドル」政策は一説によると、ヨーロッパで統一通貨ユーロが導入されることになったことへの対抗策だったのではないかといわれています。もしかしたら本当にそうなのかもしれないと私も思います・・・。」(52~54)
⇒このくだりについては、これまで述べてきた理由で「アメリカが<2003年に>イラクを攻撃したのは」云々の部分は除きますが、首肯できます。(太田)
(続く)
『超マクロ展望–世界経済の真実』を読む(その3)
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