太田述正コラム#7468(2015.2.5)
<日本の中東専門家かく語りき(その1)>(2015.5.23公開)
1 始めに
本日のディスカッションで予告したシリーズです。
2 焼殺を巡って
最初に取り上げるのは、「イスラム世界で禁じられた火あぶり…信用失墜しても瀬戸際戦術にうって出た 臼杵陽・日本女子大教授(中東現代史)・・・」
http://www.sankei.com/world/news/150204/wor1502040049-n1.html
というコラムです。
現在の「イスラム世界」で禁じられているのかどうかはともかく、私の知る限り、創世記のイスラム教社会の規範に背馳することをIsisがやったためしがないことから、このコラムの表題を見た瞬間に私は違和感を覚えました。
この関連で、本日、下掲のような記事を目にしました。
「シリアは、何か月も戦ってきたこの集団<、すなわち、Isis、>を非難したが、同じ非難を、同政府とIsis双方に反対しているところの、アルカーイダ系戦闘者達も行った。
エジプトでは、ムスリム同胞団とエジプト政府がついに、たった一つのこと・・ヨルダン人たるモアズ・アル=カサスベ大尉を武装集団が殺害したやり方の野蛮性・・については合意した。
そして、カイロでは、大導師(Grand Imam)にして、1000年の歴史のあるアル=アズハル大学(Al Azhar institute)<(注1)>の総長であるアハメド・アル=タイェブ(Ahmed al-Tayeb)は非常に怒り、Isisの過激派達は「殺害されるか十字架にかけられるか、両手と両脚を切断されるか」されるべきである、と呼びかけた。
(注1)「アル=アズハル・モスク(971年建立)に付属するマドラサとして988年に設立された。アズハルは「最も栄えある」の意味。・・・世界で最初の成熟した大学とみなされている。
創立当時のファーティマ朝下では、カリフが直接管理するか、カリフに代わる役人が統括して、大臣または国家の要人が直接教授の任にあたった。マムルーク朝下では、マムルーク騎士団のアミールの一人が統括していた。1517年、マムルーク朝を破ってカイロを手中にしたオスマン帝国のセリム1世は、マムルーク時代に栄えた学校や学林モスクを次々と閉鎖したが、アズハルについては存続させ、みずからもエジプト滞在中にはアズハルモスクの金曜礼拝に参拝し、莫大な喜捨をおこなった。・・・カリフ制度が廃止された現在では、アル=アズハル大学の総長が<スンニ>派の最高権威とされる。・・・
1961年、ナセル政権下で・・・改組されて総合大学となり、伝統的な<イスラム>学・<イスラム>法学・アラビア語学の3学部に加えて、新たに医学部・工学部・農学部および女子大学が設置された。2000年には大学にキング・ファイサル国際賞<イスラム>奉仕部門が授与された。
現在世界各地の大学で見られる、卒業式に黒いガウン(アカデミックドレス)を着用する習慣は、アル=アズハル大学を卒業するイスラム学者たちのゆったりとしたローブが起源であるといわれている。」」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%8F%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6
⇒「ファーティマ朝・・・は、シーア派の一派、イスマーイール派が建国したイスラム王朝(909年~1171年)<であり、>その君主はイスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派である<スンニ>派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。・・・
ファーティマ朝は・・・強圧的なイスマーイール派の押し付けを避けて、多数派である<スンニ>派との融和をはかった<けれど、>・・・978年には・・・イスマーイール派の最高教育機関となるアズハル学院が開講され、カイロでイスマーイール派の教理を学んだ教宣員たちはファーティマ朝の版図に留まらず、イスラム世界の各地に散らばってイスマーイール派を布教した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E6%9C%9D
上掲から分かるように、アル=アズハル大学は、シーア派の大学として出発し、その後の歴代スンニ派政権下で、今度はスンニ派の最高学府として、命脈を保ってきたという、その歴史からして、その時々の権力にとって無害な言説でお茶を濁してきた、世俗的にして妥協的な存在なのですから、創世記のイスラム志向のサラフィー主義の流れをくむところの、サウディアラビアのワッハーブ派、エジプトのムスリム同胞団、ワッハーブ派の鬼子のアルカーイダ、そして、その更に鬼子のIsis、等に対する、イスラム教義解釈ないしイスラム法解釈に係る影響力など持っていない、と言ってよいでしょう。(太田)
この指導的なスンニ派の学者の非難は、神学的にはIsisのより伝統的な仇敵達である、この地域のシーア派の指導者達からの非難よりもむしろ更に厳しいものだった。・・・
Isisを「悪魔的な」テロ集団と非難した、このアル=アズハル大学の指導者にして大導師たるタイェブ長老(Sheikh)は、イスラム教が戦争時に諸敵を焼いたり切り裂いたりする(mutilate)ことを禁じていることを示すためにコーランの諸文句を引用した。・・・
<しかし、>イスラム教学の場であり、自身を、スンニ派イスラム世界の節度(moderation)と寛容の篝火(beacon)であると見なしているアル・アズハル大学は、<Isisなる>過激派達が用いている中世的諸処罰と同じもののうちの若干を擁護するタイェブ長老の矛盾(incongruity)についての説明をこの<彼の>声明は全く提供することはなかった。・・・
<とまれ、>Isisは、<パイロットの焼殺ビデオの公開によって、今までの>動態を変え、この地域の大部分<のお歴々>をIsisに反対する形で団結させてしまった。
http://www.nytimes.com/2015/02/05/world/middleeast/arab-world-unites-in-anger-after-burning-of-jordanian-pilot.html?hp&action=click&pgtype=Homepage&module=first-column-region®ion=top-news&WT.nav=top-news&_r=0
⇒この記者は、死刑執行方法、より一般的には刑罰の形態、については、シャリーアに焼殺や火傷を負わせる刑罰こそ規定されていないかもしれないけれど、それに勝るとも劣らない、現代人の感覚からすると残虐な刑罰が沢山盛り込まれていることを皮肉っているわけです。(太田)
一歩進めて、シャリーアに盛り込まれている諸刑罰の根底にある思想に照らせば、焼殺が認められる場合もありうるのではないか、と示唆するのが下掲の記事です。
「Isisは、「キサス(qisas)」<(注2)>として知られる原則を奉じている。
(注2)コーラン及びハディースに典拠がある。なお、被害者は、キサス(同等報復)の代わりに金銭的賠償を求めることもできる。以上が適用されるのは加害者も被害者もイスラム教徒だった場合に限られる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Qisas
それは、最も広義においては、同等報復の法だ。
換言すれば、それは、「タリオの法(lex talionis)」ないしは目には目をの教義のイスラム的同等物なのだ。
イスラム法の枠内で、キサスは、典型的には、殺人、過失致死に係る事案、或いは、(四肢の喪失といった)肉体的損壊(mutilation)を伴う諸行為に係るものであって、犠牲者達(或いはその家族達)の応報的正義の追求のための枠組みを作りだす。
欧米連合と共に戦うパイロットとして、カサスベ大尉は、焼夷弾群の投下に関わった可能性があり、焼殺は、Isisによって適切な報復と見られた可能性がある。」
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-31129416 (コラム#7467で既出)
(続く)
日本の中東専門家かく語りき(その1)
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