太田述正コラム#0307(2004.4.2)
<米国とは何か(その4)>
2 博徒たるアングロサクソン
米国の文豪ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)は、小説’The Confidence-Man: His Masquerade'(1857年。http://xroads.virginia.edu/~MA96/atkins/cmmain.html)の中で、「北部の人間の眼から見れば、南部の奴隷制は殆ど悪魔的なものということになるだろうが、南部の人間の眼から見れば、産業化された北部は、(あるニューヨーク市民が告白したように、)「著名な(public)人物ときたらことごとくならず者(rogue)であり、誠実な人物は選挙に出られず、投票箱は悪漢(ruffian)の手に握られてしまっており、そういう連中が当選しているのだ。・・<北部の人間は>詐欺師(swindler)、株屋、嘘つき、偽造屋、そして泥棒ばかりだ。」」と書いています(Walter A. McDougall, Freedom Just Around the Corner・・A New American History: 1585-1828, Chapter One より(http://www.harpercollins.com/catalog/excerpt_xml.asp?isbn=0060197897。4月3日アクセス))。
要するに、米国人は、南部人であれ北部人であれ、母国のイギリス人に比べて何ともお行儀の悪い無法者ばかりだ、ということです。
以前、英語(つまりイギリス語)には海賊の同義語が多いと指摘したことがあります(コラム#41)が、米語にはやたら詐欺(swindle)にまつわる言葉が多いのだそうで、上記マクドゥーガルは、bait(=わなに餌をしかける)からthimble-rig(=だます)に至る動詞やhustler(=ペテン師)、conman(=一杯食わせ屋)、huckster(=汚いやり方の小商人)等の名詞を(卑猥語を除き、なお)約200語も挙げています。
海賊と詐欺師とでは似たようなものだ、と思われる方があるとすれば、それはとんだ考え違いです。
そもそもアングロサクソンの生業は海賊であったと言ってもよく、後にはイギリス国王の勅許状をもらって海賊行為が行われたくらいであり、海賊行為はあくまでも合理的な経済計算に基づく合法的な行為であった(コラム#41)のに対し、詐欺は紛れもない違法行為だからです。
なぜ、米国には詐欺にまつわる言葉が多いのでしょうか。
それは、米国の人々は(奴隷として連れてこられた黒人を除き、)移民・・進取の気性に富むリスクを恐れない人々・・の理念型だからです。
マクドゥーガルによれば、「米国人は、歴史上の他のいかなる人々に比べても、公正な方法、或いはいかさまによって自らの大望の実現を目指す機会をより多く与えられ」て来たのであり、米国人とは、「争奪者(scrambler)、博打打ち(gambler)、常習的軽犯罪者(scofflaws)、或いは投機者(speculator)」として、「イギリス王室とか植民地のためではなく、もっぱら自分のためになるかどうかにだけ関心」を寄せて来た究極の個人主義者(個人主義については、コラム#88、89参照)である、と言ってよろしい。
つまり、米国人には多かれ少なかれ博打打ち的傾向があるのであって、その博打打ち的米国人の中には「公正な」博徒もいるけれど、少なからぬ部分はいかさま師、すなわち詐欺師なのです。
だからこそ、米国には詐欺にまつわる言葉が多いのだ、ということになります。
博打打ち的人物が群れ集う米国は、その論理的帰結として、永久革命、或いは恒常的に流動的な社会になったのです。これを良く言えばシュンペーターの創造的破壊の社会であり、悪く言えば創造的腐敗の社会です。
この創造的腐敗の一端こそ、初期の米国における、権力と富を求めた白人のあくなき策謀と貪欲がもたらした、(大部分が欧州由来の疫病による)北米原住民の殲滅やアフリカ人の大規模な奴隷化(コラム#306)でした。
(以上、http://www.nytimes.com/2004/03/28/books/review/28WOODLT.html(3月28日アクセス)によった。)
3 中間的結論
以上見てきたように、米国人とは、発育不全でかつ博徒たるアングロサクソンなのです。これを一言で私は、米国人はbastard(=できの悪い=できそこないの=ならず者の)アングロサクソンである、と評してきた(コラム#84、91、109、114、225)ところです。
それではこれくらいで、第一回目の米国論を終えることにしましょう。
(完)