太田述正コラム#7498(2015.2.20)
<挫折した恋の効用(その4)>(2015.6.7公開)
挫折した恋と創造性とが繋がっているとする若干の科学も存在する。
英国の<ある>神経生物学者・・・は、恋について、世界中の諸文化において、二つの存在群が一つへと融合(merge)される、完全な統合(union)の経験が理想視されている、との所見を述べている。
しかし、相互的な恋、とりわけ、挫折した恋、において、我々は、この理想が不可能であるとの事実に対処しなければならない。
最も緊密であった恋人達でさえも、異なったニーズと諸期待を抱いた2つの別個の人々であり続けるのだ。
<この学者>は、創造性は、恋に係る諸欲求不満(frustrations)への、自然な、必ずしも不可避ではないところの、反応である、と主張する。
人間達の恋と芸術に対する神経諸反応は重なり合っている。
恋や芸術が我々にとって満足のいくものであった場合、脳の特定諸部位への血流が増大する。
そのうちの一つが尾状核(caudate nucleus)であり、欲望を感じると、脳の他の諸部位からの複雑な諸考えや諸感情を統合(integrate)する。
その欲望は、高まった集中力(focus)と高揚感(exhilaration)と関連する神経伝達物質であるドーパミン(dopamine)を製造する脳の諸部位が活性化されることで燃料をくべられる。
芸術を制作することと恋を追求することとは、どちらも、掴み所のない充足感を達成しようとする試みだ。
この脳活動は、恋のために努力することは、創造的努力と多くが共通することを示唆している。
恋人も、芸術家、或いは、詩人、企業家、或いは創案(invention)と問題解決に従事するあらゆる人、は、自分達の諸頭の中の概念の中から何か現実のものを創造するという挑戦に直面している。
どちらの人々も、うまくやり遂げて(get it right)満足感を得るために、何度も何度も試みる。
更に、心理学者達は、自分が独特な存在であると感じる高い必要性を有する人々・・芸術家達と革新者達(innovators)に共通する特性・・が、社会的に拒絶されると、創造性の諸試験において、より高い点数をとることを発見してきた。
また、失恋者(lovelorn)には実際的な優位がある。
すなわち、<恋愛>関係の中にあってもう一人の個人の世話を見なければならないという気の散ること(distraction)なくして、一人ぼっちで抛っておかれている<という優位だ>。
有名なペルシャの寓話の中で、「私のもとから去れ! お前への恋は私をかくも没頭(engage)させるので私はお前にさく時間がない」、とマジュヌーンは彼の愛するライラに伝える。
明らかに、彼女の存在は、<彼が、>彼女についての愛の諸詩を書くのを妨げていたのだ。・・・」
http://www.washingtonpost.com/opinions/how-unrequited-love-can-make-us-more-creative/2015/02/12/525b38c2-ab2a-11e4-9c91-e9d2f9fde644_story.html?hpid=z3
(注9)「ライラとマジュヌーン(Layla and Majnun)は、中東の古典的悲恋物語。ライラという美女に恋い焦がれてマジュヌーン(ジンに取り憑かれた人のこと、すなわち狂人)となった青年カイスの物語。数多くの詩人に詠まれ<ている。>。
<米国>の作曲家アラン・ホヴァネスの交響曲第24番「マジュヌーン」は、この物語を題材としている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B3
で、そのAlan HovhanessのSinfonia n. 24 “Majnun” op. 273(1972年) をどうぞ。本人指揮のNational Philharmonic Orchestra of London演奏。佳曲。
https://www.youtube.com/watch?v=HLMgeoUG7oI
ちなみに、アラン・ホヴァネス(1911~2000年)は、「本名はアラン・ヴァネス・チャクマクジアン(Alan Vaness Chakmakjian)。アルメニア系の父親と、スコットランド系の母親との間にマサチューセッツ州・・・で生まれる。・・・1959年から1960年にかけてチェンマイで<タイの一>地方の音楽を研究し、・・・1962年から1963年まで日本で雅楽(篳篥、竜笛、笙)、長唄と浄瑠璃(三味線)を学んでいる。・・・日本のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手藤原ひなこと結婚しており、彼女は現在作品の出版社を興している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8D%E3%82%B9
さて、フィリップスの言っていることは、概ね、私が過去のコラムで既に取り上げた話ばかりですが、彼女があげている、一連の失恋者たる芸術家の事例はそれなりに面白かったのではないでしょうか。
しかし、過去の同工異曲の諸コラムを取り上げた時もそうだったのですが、事例が芸術家のものに偏っているのは、まことに不満です。
フィリップスだけは、恋人及び「芸術家達と革新者達」、ないし、「恋人<及び>芸術家、或いは、詩人、企業家、或いは創案(invention)と問題解決に従事するあらゆる人」と、(詩人も芸術家でしょうから除くとしても、)芸術家よりも対象を拡大してはいるのですが、芸術家以外については、具体的事例をあげていませんし、私が、最も飽き足らなく思うのは、どうして、人文社会科学者や自然科学者を対象にしていないのか、という点です。
フィリップスを含め、恋、就中、挫折した恋を論じる英米人なら、プラトンの『饗宴』<(コラム#814、908、3033、3417、3504、4051、4093、4094、4113、4284、4747、6024、6036)>は当然読んでいるであろうところ、読んでいるくせに、どうして芸術家ばかりについて語るのか、と思うのです。
(続く)
挫折した恋の効用(その4)
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