太田述正コラム#0310(2004.4.5)
<英仏協商100年(その2)>
エドワードは不肖の息子でした。
ビクトリア=アルバート夫妻は、エドワードにドイツ的なスパルタ帝王教育を施したのですが、エドワードは両親の期待を裏切り、社交的にして酒、タバコ、女を愛する軽薄な青年になってしまいます。
父アルバートがチフスで急死した時、エドワードは19歳でしたが、まさにその時女優とベッドを共にしているところを発見され、ビクトリアを激怒させます。
それ以来ビクトリアは、こんな放蕩息子を国家の大事に参画させるわけにはいかないと、グラッドストーンを始めとする英国の首相等に対し、エドワードとの接触を禁じます。ために、エドワードは英国の政治的動向にすっかり疎くなってしまうのです。
1870??71年の普仏戦争の時、英国は親独的スタンスを貫き、戦争に勝ったドイツによるアルザス・ロレーヌ獲得を座視し、将来に禍根を残すのですが、英国に居場所のなくなったエドワードは、幾たびも長期間にわたってフランス滞在を繰り返すようになります。そしてフランスでエドワードはサロンやナイトクラブの帝王として人気を博し、フランス贔屓になって行くのです。
そんなエドワードも、年輪を重ねるに連れて円熟さを増して行くのですが、1901年、ビクトリアの死に伴い、59歳にして遅ればせながらイギリスの王位を継承します(注2)。
(注2)これにより、イギリス王室はSaxe-Coburg-Gotha姓となる。次のジョージ五世の時に第一次大戦が勃発し、この「敵国」ドイツの姓がWindsor姓に変更された。なお、Saxe-Coburg-Gotha姓の王室としては現在のベルギー王室のほかに、かつてのポルトガルやブルガリアの王室がある。(http://www.royal.gov.uk/output/Page128.asp)
当時の英仏関係はどん底の状態でした。
エジプト、モロッコ、タイを始めとして両国は世界中で角突き合わせていただけでなく、ドレフュス事件(注3)で改めて白日の下に晒されたフランスの反ユダヤ主義に英国人は眉を顰め、他方フランス人はボーア戦争(注4)での英軍の暴虐さを声高に非難していました。
(注3)1894年10月,フランス参謀本部付のユダヤ人陸軍大尉ドレフュスが対ドイツ通牒の容疑で逮捕されたことに始まり,1906年の無罪判決にいたるまで12年間にわたってフランスの政治・社会を揺るがした事件(http://www.tabiken.com/history/doc/N/N176L100.HTM)。
(注4)1899年-1902年に英国がオランダ系移民、ボーア人がつくった南アフリカのトランスヴァール共和国、オレンジ自由国に対して行った戦争。英国は金とダイアモンド鉱山を獲得するために45万人の大兵力を投入したが現地のゲリラ戦に手を焼き、かろうじて勝利した。英国は両国を占領して植民地とし、1910年に南アフリカ連邦を建国した。この戦争で初めて強制収容所が登場したが、英国内では英軍のボーア人に対する残虐行為を非難する親ボーア・反戦リベラル勢力が盛り上がりを見せた。(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DC%A1%BC%A5%A2%C0%EF%C1%E8)
そして、英国は三国同盟への加盟を考慮していました。それを妨げたのは、ドイツの皇帝ウィルヘルム二世が誇大妄想狂にして猜疑心の固まりであったことと黄禍論を信奉していた(英国は日本と1902年に日英同盟を締結した)ことでした。
そこに、エドワードが登場します。
1903年、フランスの大統領エミール・ルーベ(Emile Loubet)が仏領アルジェリアのアルジェを視察した際に、たまたま地中海にいたエドワードは軍艦四隻を表敬のためアルジェに派遣し、ルーベを痛く感激させます。答礼にルーベはエドワードをパリに招待します。
反英ムードの中での訪仏を心配する内閣の反対を押し切ってエドワードはフランスに出かけますが、エドワードの読みは当たり、彼は「我らが王様」としてフランス国民の大歓迎を受けます。英国民の反仏感情も、このようなフランスの様子を目の当たりにして変化します。
1904年の英仏協商締結は、こうしてエドワードが魔術師のようにたった一人で醸成した良好な英仏関係の産物だったのです。
エドワードは、そのわずか6年後の1910年に他界します。
(以上、英ガーディアン紙のIan Dunlop, Edward VII and the Entente Cordiale, Constableの書評(前掲)による。)
(続く)
<読者>
リンクを辿って来ました。
まださわり程度しか読んでおりませんが頷ける言葉も多く今後ともご活躍を期待いたしたいところではありますが、気になる点も幾つかありましたが最も気になった一点を。
"個人の自立"とこの単語だけでしたら大いに賛同致しますが、その内容はどうやらフェミニズムによるものとお見受けします。
これが選挙対策の方便なのかそれとも心からの言葉なのか判断致し兼ねますが素直に言葉を受け止めますと…
フェミニズムにおける大きな問題は男と女という発想はありますが、子供という発想が決定的に欠如していることです。
伝統的な家族において男性は女性に家庭を任せきりにし、仕事にかまけ、専業主婦は家庭に逃げ込んでいたせいで引き籠もりやパラサイトを生んだと仰いますが、引き籠もりやパラサイトは最近の問題で伝統的な家族形態に原因を求めるというのは無理があるのではないでしょうか?
新たに問題が起こった時には問題が無かった時と問題が生じた時との違いを見つけ、その違いが生じた問題と関係があるのかを分析するのが一般的でありましょう。
伝統的な家族形態は引き籠もりやパラサイトが生まれるずっと以前から続けられていた生活形態ですのでそこに原因を押し付けるのははっきり言って無茶苦茶です。
幸福な子供時代は生涯の宝と言います。
また、不幸な子供時代は生涯の負債とも言います。
非行少年少女においては両親のある家庭より片親の家庭に育った子供の方が割合が高いのは現実です。
また、それ以上に片親の子供の一番の願いはもう一人の親の存在であることは誰にでも容易に想像がつくでしょう。
シングルファザー、シングルマザーの存在は同時に寂しい子供時代を送らなければならない子供達も存在するということは考えられないのでしょうか?
養育施設に親の代わりは務まりません。
子供に対し愛される喜び、安心感を伝えることが出来るのは親としての勤めであり、喜びなのではないでしょうか?
無論やむを得ない状況はあるでしょう。
望まざるともシングルマザー、ファザーにならざるを得ない状況は幾らでもあります。
ですがそれは出来ることなら避けるべき状況ではないでしょうか?
もしあなたが子供であったのなら片親の家庭を望みますか?
両親の揃った休日を、食卓を望むのではないでしょうか?
もしあなたが子供だったらいつも母親の居ない家を望みますか?
転んで怪我をした時に泣いて駆け寄る母親の暖かい胸のない家を望みますか?
子供とは不完全な存在です。
自立を教える前にまず甘える喜びを伝えるべきでしょう。
無条件に与えられる愛の心地よさを伝えるべきでしょう。
そうやって人の情緒は作られてゆくのです。
フルタイムで仕事をしながらシングルマザーをしたいなんて子供にとってはいい迷惑です。
子供はペットではありません。
エサさえやっておけばいい。
サイズさえ大きくなればいいという物ではありません。
フェミニストの女性の声は大きいですが、実はフェミニストを苦々しく感じているのもまた女性なのですよ。
フェミニストのように騒いだりしませんがね。
<太田>
時事コラムの中でも説明したことがあると思いますが、夫婦分業制は(武家を除き、)「伝統的」な家族形態ではありません。日本の高度成長(=総動員体制)を支えた、「非伝統的」な家族形態なのです。
また、私はシングルマザーを推奨したことはありませんし、自分をフェミニストだと思ったこともありません。
ただし、(専業主婦も(そして専業主夫も)むろんあってかまわいませんが、)働きたい女性の足を引っ張る社会であってはならないとは思っています。
いずれにせよ、私が一貫して申し上げていることは、日本の女性差別は「先進国」中最悪の状態であり、これが(原因はむろんこれだけではありませんが、)少子化を含む様々なひずみを日本の社会にもたらしている、ということです。
<読者>
> 時事コラムの中でも説明したことがあると思いますが、夫婦分業制は(武家を除き、)「伝統的」な家族形態ではありません。日本の高度成長(=総動員体制)を支えた、「非伝統的」な家族形態なのです。
確かにそういう意味では伝統的家族形態とは言えませんね。
しかし、肝心な問題点"引き籠もりやパラサイト"は高度成長期には見られなかったものですよね?
問題として表に出てきたのはここ数年です。
問題のポイントをずらさないで下さい。
> また、私はシングルマザーを推奨したことはありません
し、自分をフェミニストだと思ったこともありません。
> ただし、(専業主婦も(そして専業主夫も)むろんあってかまわいませんが、)働きたい女性の足を引っ張る社会であってはならないとは思っています。
> いずれにせよ、私が一貫して申し上げていることは、日本の女性差別は「先進国」中最悪の状態であり、これが(原因はむろんこれだけではありませんが、)少子化を含む様々なひずみを日本の社会にもたらしている、ということです。
私が最も大事なポイントとしてあげた子供に対する扱い方に対する回答はありませんね?
あなたの考えの中にも"子供"という存在は無いと解釈させて頂いてよろしいのでしょうか?
自らをフェミニストと思ったことは無いと仰いますがここに上げられている考え方はフェミニストのそれと殆ど変わりがありませんよ。
乱暴な要約をすれば「日本の女性は不当な性差別によって大いなる不利益を被っている」ですよね?
女性問題に限らず被差別意識を煽ることは社会的に最も非建設的な行為と私は考えます。
人は多かれ少なかれ何らかの形で被差別感を感じる要素は持っています。
人はみんな違うんだから、欠点は持っているのだから当然ですよね。
私の実感する現実社会の中では仰られる程女性だけが就業に際し不利益を被っているとは感じられないのです。
私の周りにも働く女性は少なからずおります。
仕事において有能な人間も居ればそうでない者も。
いずれも確かに女性であることによって不利益を感じたことは確かにあるとは言います。
が、そこで必要以上の被害者意識を持つのは決まって仕事において無能な人間です。
自らの拙さを棚に上げて性差別のせいで上手くいかないのだと言います。
一方女性であるために得た利益も少なくはないというのもまた事実でしょう。
当然ですが女性はそれらを手放す気は無いでしょうし、手放せと私も言うつもりはありません。
少子化を"社会のひずみ"と言います。
女性が仕事の中に自らの幸せを見いだせば彼女らにとって子供に関わる時間は邪魔でしかないのは当然でしょう。
働きたいという女性は望むままに働けばいいではないですか。
ただその欲求のために子供を犠牲にするのはどうかということです。
自らの子供を慈しむ喜びよりも仕事における充実を優先させる。
これを近代における母性の崩壊といいます。
そういう意味では"社会のひずみ"と言う言葉も私は同意いたしましょう。
母性を知らずに育った女性は同じく母性の欠落した女性となるケースが非常に多いのです。
最近多く見られる幼児虐待なんか顕著な例ですね。
男と女は身体の構造からして違うのです。
脳の構造も違います。
こういった事実をちゃんと把握した上で適材適所の役割を勤めればいいのではないでしょうか?
働いている女性は勿論ですが、それ以上に専業主婦も立派に社会に参加していると私は考えます。
子供をきっちりとした大人に育てるということは最大の国家に対する、社会に対する貢献でもあると考えるのは間違っていますかね?
<太田>
>私の周りにも働く女性は少なからずおります。仕事において有能な人間も居ればそうでない者も。いずれも確かに女性であることによって不利益を感じたことは確かにあるとは言います。
が、そこで必要以上の被害者意識を持つのは決まって仕事において無能な人間です。自らの拙さを棚に上げて性差別のせいで上手くいかないのだと言います。
しっかりと、目を見開いてください。
有能、無能いかんにかかわらず、女性なるがゆえに、一律に昇任やポスト面で差別されている・・しかも、女性が子供をつくった瞬間、一層差別されることになる・・という実態があります。これは役所や大企業に共通する慣行です。
ですから、有能な女性ほど差別に怒っています。
本当にあなたはこういったことをご存じないのですか?
>子供をきっちりとした大人に育てるということは最大の国家に対する、社会に対する貢献でもあると考えるのは間違っていますかね?・・働きたいという女性は望むままに働けばいいではないですか。ただその欲求のために子供を犠牲にするのはどうかということです。・・あなたの考えの中にも"子供"という存在は無いと解釈させて頂いてよろしいのでしょうか?
子育ては、おっしゃる通り、国家、社会に対する最大の貢献です。
しかし、だからと言って、女性が(そして男性が)子育てに専念する必要は全くありません。
保育園等に平日の大部分の時間を預けていても、それが子供の知的、情緒的発達に全くハンデとはならないことは、確立された科学的常識です。
<読者>
> 有能、無能いかんにかかわらず、女性なるがゆえに、一律に昇任やポスト面で差別されている・・しかも、女性が子供をつくった瞬間、一層差別されることになる・・という実態があります。これは役所や大企業に共通する慣行です。
確かに私はそういう場所での就業環境にはちょっと無知なところは認めましょう。
言い訳になってしまいますが私の周りの有能といった女性はライター、イラストレーター、行政書士、スチュワーデス、会社経営者といったある種特殊な技能であるとかを持つ方が多いので。
また私も個人事業を営んでいまして『偶然の勝利はあれど敗北は常に必然である』と周りの環境等にガタガタ文句言う前に自分に出来ることをやってこれまできておりますので被差別意識でもって環境に文句を言っている方々を見ると"甘ったれ"と感じてしまうのですよ。
自由にせよ権利にせよそんなものは戦って勝ち取れとね。
私が言っていることが乱暴であることは自覚しています。
ですがまあこれまで仕事においては常に自分の責任でもって決断してきた人間の考えとしてご記憶頂ければ幸いです。
確かに女性であるというのを理由に昇進等に差し障りが出るというのは正すべきだとは思いますが、雇用する側の立場としては責任あるポストに居る者がいきなり出産による休暇や寿退社なんかされたらたまったものではないですよね?
そういった現実的なリスクも考えると雇用する側が女性を責任あるポストに就けるのを躊躇するのも理解出来ないではないですね。
逆に女性にとって居心地の良い就業環境を提供することによって優秀な女性を集めるなんていう姿勢の企業も中にはあるのかも知れませんね。
> ですから、有能な女性ほど差別に怒っています。
繰り返しになりますが私の知る"有能な女性"は「能力があればどこでもやっていける」というタイプばかりでしたので。
彼女らは環境に文句を言っている暇があるのならスキルを身に付けろと常々言っておりましたので、まあ職種によって受け止め方が違ってくるのはある意味仕方のないことですし、一概に捉えるべきではありませんね。
> しかし、だからと言って、女性が(そして男性が)子育てに専念する必要は全くありません。
> 保育園等に平日の大部分の時間を預けていても、それが子供の知的、情緒的発達に全くハンデとはならないことは、確立された科学的常識です。
別に母親は子育てに専念しろと言うつもりはありません。
保育園等に預けることも勿論社会性を育んだりと有効であると考えます。
私が専念すべきと考えるのはそれ以前の期間のことです。
いわゆる「三つ子の魂…」の期間ですね。
この期間はやはり親が見るべきであると私は考えます。
実際に乳児期に長時間母親と一緒にいた子供とそうでない子供では以降の主に情緒面での成長に差が出るという研究結果もあるようです。
女性が子供を生みやすい環境を整えるという考えには大賛成ですが、それは個人や職場以上に家族という単位をメインに考えるべきではないでしょうか?
そして産まれた子供を"まともな大人"に育てるための配慮をすべきだと思います。
例え若者の頭数が増えても引き籠もりやパラサイトばかりが増えたのでは…以下略(笑)
女性問題にしても教育問題にしてもその対処は現在の「男女共同参画社会」のように官主導のゆがんだものではなく現場主導のゆるやかなものでゆくべきだと思います。
それにはまずこの日本に広くはびこっている官尊民卑な考え方を一掃することは必須でしょう。
これは官主導では絶対にあり得ないことですよね(笑)