太田述正コラム#7536(2015.3.11)
<「個人」の起源(その4)>(2015.6.26公開)
 「<遡れば、それは、>法を「エホバ(Yahweh)の意思(will)」とみなし、真実を社会の諸要請とは切り離し、それを外からの命令(command)として伝えた(channeled)ところの、ユダヤ教<から来ているのだ。>
 この種の考え方は、最初に、イエスの顕現(incarnation)によって、次いで、イエスの偉大なる解説者(expositor)たるパウロによって、欧米を侵攻したのだ。
 サイデントップによれば、パウロは、歴史上の過小評価された偉大なる革命家達の一人なのだ。
 パウロの基軸たる主題は、神のキリストにおける顕現は、神が、ある人間の全体像(corporate identity)を構成する他の全ての要素を効果的に迂回して、個人個人に対してホットラインを設定されている証なのであって、それがやがては、社会に関する殆んど全ての現在の観念を逆転させるであろう、というものだ。 
 「そこには、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人もおらず、男も女もいない。なんとなれば、あなたは、キリストたるイエスにおいて一つだからだ」、とパウロは述べた。
 そして、この根本的なアイデンティティが、個々の、そして全ての人を、平等、個人、そして、自由を含むところの尊厳・・自然法の根源(germ)・・に値する存在にしたのだ。
 この本の残りの部分は、要するに、パウロ的(Pauline)革命に旋回軸を置く形の歴史の再調査だ。
 そして、いくつかの、とても驚くべき諸結果が吐き出される。
 そのうち最も顕著なごくわずかのものに触れてみよう。
・アリストテレス(Aristotle)とプラトン(Plato)は、自然と文化は同じ寝台で眠るという古き仮定(assumption)に対するソフィスト達(sophists)<(注9)>の挑戦に抵抗しようと試みた反動達であった、と描写される。
 (注9)「言論を用いた問答競技の方法に過ぎなかった弁証法・・・を「無知の知」の自覚のために用い、真理(・・・イデア)の探求に向かわせるというソクラテスとの対比によってソフィストは批判対象となった。つまり、ソフィストが「徳を教える」といいながら「徳」がいったい何であるかを問題にすることがなかったこと、すなわち、徳とは何かがわからないのに、それを教えることができると称してお金を取り、「徳のようなもの」として、ソフィスト自身の思想等を教えていたことが、初めて批判されることになったのである。
 <なお>、ソフィストを危険思想の持ち主であるとする偏見と対応するようにソクラテスを既存の道徳の擁護者であるとする見方(ニーチェの影響か)もある」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88
・アウグスティヌススは、気難しい教父というよりも、意思を、理性に従属するのではなくその同輩(partner)である本来の地位に復帰させた人物であって、社会以前の自身の発見者であり、元祖(original)実存主義者だ、と。
・グノーシス派達(Gnostics)<(注10)(コラム#1169、3041、3678、3682、3710、4226、5398、5424、6971)>は、いい加減で自由な諸神学を引っ提げたヒッピー的キリスト教徒達というよりは、知識と社会がどう繋がっているかについてのプラトン主義的枠組みを擲つことに心地悪さを感じる保守主義者達だ、と。
 (注10)「1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の1つである。物質と霊の二元論に特徴がある。・・・ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムのなかから生まれてきたものとも云える。代表的なグノーシス主義宗教はマニ教である・・・
 初期<キリスト>教会教父たちによる種々の異端反駁文書の中において<は>、グノーシス主義はキリスト教内部の異端思想として扱われている<が、>・・・今日では、<上述のように、>グノーシス主義をキリスト教とは別個の宗教思想であると考える立場が主流である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 しかし、この本を通してたゆむことなく追跡される大きな観念は、「諸魂(souls)の平等性」であり、この観念は以下の貢献を行った<とされる>。
・仕事の、恥ずべき活動から、自尊(self-respect)を授ける(bestow)活動への転換。
・(とりわけ、ドンス・スコトゥスとオッカムのウィリアムを通しての、)権力と正当な(rightful)権威との違いという観念(notion)の鼓吹(inform)。
・社会の諸規範に反対して行動する良心的行為を目撃した際における、かかる英雄的行為(heroism)<に対する見方>の社会的悪名から殉教への転換。
 最も驚くことの一つは、カトリック教会が封建制に反対する働きかけを行った<という指摘だ>。
 欧米人の想像の中では、しばしば、この二つは一つになっているのだが、サイデントップは、同教会は、封建制に「自らを合わせた(adjusted)」けれど、神のみが人々(souls)を所有するが故に、封建制を「支持(endorse)するわけにはいかなかった」、ということに注意を喚起する。
 一般的な読者は、教会の権力諸ゲームではなく観念的な(notional)平等性のレンズを通して読解されたところの、クリュニー改革(Cluniac reforms)<(注11)>と教皇権(Papacy)の中央集権化を<サイデントップによって>目の当たりにさせられるだけでも驚愕することだろう。
 (注11)クリュニー修道院(Abbaye de Saint-Pierre et Saint-Paul de Cluny)は、「ブルグント王国内で現在のフランス・ブルゴーニュ地方の・・・クリュニーに909年<ないし>910年<に>・・・創建されフランス革命まで存続したベネディクト会修道院である。・・・
 中世にクリュニー改革とよばれる修道会改革運動の中心となり、最盛期には管轄下におく修道院1200、修道士2万を数えた。
 またその典礼の壮麗なことでも知られた<が、>・・・簡素で素朴な自給自足的生活を重んじるシトー会系の修道士などから批判を受けることになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%BC%E4%BF%AE%E9%81%93%E9%99%A2
 クリュニー改革は、自給自足するために土地を必要としたために封建制に組み込まれ、領主によって設立され、私物化され、搾取されていた修道院の独立性を回復しようとしたもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cluniac_Reforms
 (サイデントップが一貫して大いに拠っているところの、)ギゾー(Guizot)<(コラム#6591、6735)>が推測(infer)したように、良心の自由が発展したのは、非聖職的な(temporal)領域(sphere)と新しく正統化された(legitimized)聖職的(spiritual)領域(sphere)との間の隙間(space)においてだったのだ。」(F)
(続く)