太田述正コラム#7544(2015.3.15)
<「個人」の起源(その8)/私の現在の事情(続x54)>(2015.6.30公開)
3 終わりに代えて
サイデントップのこの本を念頭に置いて書いたものではありませんが、たびたび太田コラムに登場したジョン・グレイ(John Gray)の長文のコラムが、読みようによっては、サイデントップ批判になっているので、そのさわりをご紹介し、私のコメントを付して終わりに代えたいと思います。
その前に、グレイについての復習を兼ねて、彼の新著について書かれた書評の冒頭部分を引用しておきましょう。
「グレイの最新の出品(entree)である、『操り人形の精神–人間の自由についての短い省察(Marionette: A Short Inquiry Into Human Freedom)』<は、1998年、2002年、2007年の前>3著全てのとっての支配的原理を承継している。
それは、啓蒙主義の営み(project)についての塩酸のような懐疑(hydrochloric scepticism)、ユートピア的思考の現代世界における存続、そして、リベラル・ヒューマニズムの悲劇的なまでに楽観的な(hopeful)諸前提(premises)、だ。」
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/88d5944a-c1b6-11e4-bd24-00144feab7de.html#axzz3TelEBC2L
(3月7日アクセス)
では、始めましょう。
「キリスト教は、この世界から離れて立っていると信じている一方で、同教が、変化する道徳的諸流行に追随することがしばしば観察されてきた。
⇒キリスト教が個人主義的ないしリベラル的なのではなく、キリスト教が個人主義的ないしリベラル的流行に追随しただけだ、というわけですから、巧まずしてサイデントップ批判になっています。(太田)
同じことが、より正当性をもって、無神論の主な(predominant)ヴァージョンにも当てはまるかもしれない。
⇒欧米の無神論はキリスト教の変形物の一つである、というグレイ流の含意がこのくだりの背景にあります。(太田)
不信心者達の初期の世代が、当時の人種的諸偏見を共有していて、それらを科学的諸真理の地位へと押し上げたとすれば、福音主義的無神論者達は、宗教を放棄していないところの「遅れた」諸文化を侮蔑視しつつ、欧米諸社会が今日信奉(subscribe)しているところのリベラル諸価値に関して<かつてキリスト教がしたのと>同じことをしている。・・・
欧州では、19世紀末から第二次世界大戦までの期間、・・・欧米の人々が最も高度に進化した存在であると特徴付けた進化理論の1ヴァージョン<が流布した。>
ヘッケル(Haeckel)<(注15)>が<この>彼の人種諸理論を売り出していた前後に、欧米の優位についての異なった理論がマルクスによって開発された。
(注15)エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel。1834~1919年)、「ドイツの生物学者であり、哲学者である。ドイツでチャールズ・ダーウィンの進化論を広めるのに貢献した。・・・
ヘッケルは「人種」について、未開と成熟といった表現を不用意に用いたため、さまざまな批判を生んだ。・・・
ヘッケルは「個体発生は系統発生を反復する」という「反復説」(Recapitulation theory)という独自の発生理論を唱えた。この説は、修正を受けながらも、今も、発生学の一翼を担っている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%AB
イエナ(Jena)大学で博士号取得(動物学)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Haeckel
リベラル諸社会を非難し、それら社会の没落を予言しつつ、マルクスはそれら社会を当時までの人間の発展の最高到達点である、と見ていた。
(これが、彼が、インドでの英国の植民地主義を、本質的に進歩的発展として称賛した理由だ。)
仮にマルクスがダーウィン主義に深刻な疑問を抱いていたとすれば、いや、実際抱いていたのだが、それは、ダーウィンの理論が進化を進歩的過程と提示しなかったからだ。
<このように、>19世紀と20世紀初における、主な諸種の無神論的思考は、世俗的な欧米は普遍的文明の範例であることを示す狙いがあったわけだ。
現在の宣教師的無神論は、この主題の再演なのだ。
しかし、今日、欧米は後退しつつあり、この無神論が宗教を攻撃する熱情の下には、恐れと不安の紛うことなき雰囲気が存在する。
顕著な範囲で、この新しい無神論は、リベラル道徳が恐惶をきたしていることの表現なのだ。
(続く)
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–私の現在の事情(続x54)–
昨日、パナソニックのホームベーカリーを初めて使って、食パン(1斤)を作ったのですが、これは素晴らしかったですね。
前夜に仕込みをしたパンが出来あがる前から、パンの香りが家中に漂っていて爽快ですし、出来立てのパンは、パン屋の出来立てにさほど遜色がない感じでした。
下掲のような記事を目にするにつけ、一体どうしてまだパン屋が存在しているのか、と不思議な気がしてきました。↓
「おいしいパン店紹介・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20150306-OYT8T50153.html
出来立てのパンを買うためには、パンが出来上がる頃合いを見計らってパン屋に行かなければなりませんが、より少ない手間をかけて材料の仕込みを行っておけば、自分の好きな時間に出来立てのパンが食べられるのですからね。
大量生産の食パン類は、仕込みの手間をかける時間さえない人のために、今後とも必要でしょうが・・。
パン屋は、今後は菓子パンに特化し、やがてはケーキ屋に統合、吸収されていく、と思った次第です。
この次は、パンドミーに挑戦してみます。
この製品で、ジャムを作ることができるのも魅力です。
今朝、象印の極め焚きで初めてご飯(2合)を炊いたのですが、こちらは大失敗してしまいました。
デフォルトでは極め焚きモードではなく、エコモードになっていることに気が付かず、結果、出来上がったご飯は満足のいくものではなかったからです。
納豆は普段食べないのですが、わざわざ最高級の納豆を買ってきてあり、食べ初めに錦上花を添えるつもりだったのに、残念でした。
(もともとの定価では、パソコンほどのお値段がする製品だからでしょうが、使用者登録をネットで行う方式です。
しかも、薀蓄が説明されているDVDまで添付されています。
ところが、このDVDが壊れていてひどい目に遭いました。すぐ認識されないし、認識されてからも、動画がとぎれとぎれになってしまうのです。メールで、まともなのを送ってもらうよう依頼しておきました。)
本日昼には、ゼンケンのスープメーカーを初めて使ってパンプキンスープを作ったのですが、カボチャの中身を切り出すことだけで30分もかかり、右手の親指がまた痛み出しそうになったので、カボチャを使ったスープは当分作りたくありません。
しかし、味の方は大変結構でした。
4人前が原則なので、2人前作る時・・1人前というのは想定されていない・・、材料の分量の換算がちょっと面倒なのと、そもそも、出来上がるまでにどれくらい時間がかかるかが予めわからないのが問題と言えば問題です。
「個人」の起源(その8)/私の現在の事情(続x54)
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