太田述正コラム#7556(2015.3.21)
<英国の人種構成(その2)/私の現在の事情(続x55)>(2015.7.6公開)
 (4)コーンウォール・ウェールズ・スコットランド・北アイルランド
   ア 序
 「この研究は、人々の祖先の諸影響(contributions)が英国の全域では顕著に異なり、ウェールズ、スコットランド、そして北アイルランドが別個の遺伝子諸集団として立ち現れてきて、初めて、地域的アイデンティティの観念の科学的基盤を提供していることを見出した。・・・
 驚いたことに、この研究は、単一の「ケルト(Celtic)」集団遺伝子的基盤を見出すことがなかった。
 すなわち、スコットランド、北アイルランド、ウェールズ、そしてコーンウォールに住んでいる人々は、相互に、遺伝子的には最も異なっているのだ。」(A)
 「この発見は、若干の考古学者達が長らく主張してきたこと・・ケルト達とは、遺伝子ないし人種的集団というよりは、一つの伝統ないし文化である・・の最初の遺伝子的証拠だ。」(B)
 
   イ ウェールズ
 「ウェールズ人もまた、それ以外の英国とはびっくりするほどの諸差異を示し、科学者達は、ウェールズ人達のDNAは、氷河期の後に再び居住可能となった時にブリテン諸島に到着したところの、最も初期の狩猟採集者達のそれに実によく似ている、と結論付けた。」(A)
⇒これがバスク人くさいですね。
 ということは、バスク人の血を一番受け継いでいるのはウェールズ人?(太田)
 「更に、見出されたのは、北部ウェールズと南部ウェールズの人々の違いは、イギリス人のスコットランド人達の違いよりも大きいこと・・・<かつ、北部と南部のウェールズ人>のどちらもスコットランド人達とは異なっていること・・・、そして、北アイルランドには二つの遺伝子集団が存在すること、だ。」(B)
 
   ウ コーンウォール
 「コーンウォール出身の人々はケルトの系譜(heritage)ではあるけれど、遺伝子的には、彼らは、例えば、ウェールズ人よりもそれ以外のイギリス人の方にはるかに似ている。」(B)
   エ スコットランド
 「スコットランドとコーンウォールにおいて、ケルトの祖先を持つ人々は、他のケルト諸集団よりもイギリス人との方にずっと似ている。」(B)
   オ 北アイルランド
 「北アイルランドの・・・二つの遺伝子諸集団<の>・・・一つは海を渡ったところの、西部スコットランドと<スコットランドの>諸高地地方(Highlands)の人々であり、もう一つは、南部スコットランドと南部イギリスの人々だ。
 前者は、1500年前のダルリアダ(Dalriada)王国<(注6)>を反映しており、後者は、恐らく、アルスター(Ulster)大農場群(Plantations)<(注7)>を代表しているのだろう。」(B)
 (注6)6~7世紀における、西部スコットランドの沿岸地帯及びアイルランドの北部諸沿岸の若干の領土からなるゲールの(Gaelic)王国連合(overkingdom)。
http://www.metal-archives.com/bands/Dalriada/91866
 なお、「ゲール人 – ブリテン諸島(アイルランド、スコットランドなど)におけるケルト人の一派。ゲール語 – ケルト語派の言語。アイルランド語、スコットランド・ゲール語、マン島語の総称。元来はアイルランド語を指した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB
 (注7)ほぼ現在の北アイルランドの相当するアルスターに対して行われた、英国のジェームズ1世治世下で行われた、大ブリテン島の人々の植民活動の結果生まれた大農場群。金持ちの大土地所有者達によって1606年に開始され、(その前の世紀においてこの地域が叛乱の温床であったことから、)政府によっては1609年から開始され、ゲール人の首長達から推定2,000平方キロの土地が没収された。
 政府による植民は、この地域における、ゲール語に代わって英語の普及、カトリックに代わってプロテスタント・・イギリスからは英国教徒、スコットランドからは長老派信徒・・の多数化、図ったもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Plantation_of_Ulster
 (5)オークニー
 オークニー(Orkney)<(注8)>では、この研究は、この諸島へのヴァイキングの入植から予想されたように、ノルウェー人のDNAの明確な証拠を見出した。
 (注8)「グレートブリテン島の北東沖合い、北海と大西洋の境界に位置する・・・諸島・・・
 875年にノルウェー王ハーラル美髪王は、オークニーと[その東北に位置する]シェトランドで構成される北部諸島・・・を王国に併合した。・・・
 オークニー[とシェトランド]にキリスト教が伝来したのは、995年、アイルランドからノルウェーへ行く途上であったオーラヴ1世がサウス・ウォールズ島に立ち寄った時である。オーラヴ1世はオークニー伯シグルドを召還し、『私はお前とお前の家来全員に洗礼を受けるよう命じる。お前がそれを拒むならば、私は即座にお前を殺させる。炎と刃を持って全ての島々を荒廃させることを私は誓う。』と申し渡した。驚きもせずシグルドは洗礼に同意し、これにより島々は一気にキリスト教徒の地となった。・・・
 1468年、デンマーク・ノルウェー王クリスチャン1世は、スコットランド王ジェームズ3世と婚約した娘マルグレーテの持参金支払いの保障として、オークニー諸島[とシェトランド諸島]をスコットランドへ貸与した。持参金が払われることはなかったため、オークニー諸島[とシェトランド諸島]は以後スコットランド王国の一部となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%BC%E8%AB%B8%E5%B3%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E8%AB%B8%E5%B3%B6 ([]内)
⇒この記事が、オークニーとシェトランドではなく、オークニーだけに言及しているのは、恐らく、研究のサンプルがオークニーからだけとられたからでしょう。
 なお、初期のキリスト教の布教が、ムハンマド時代のイスラム教並に乱暴なものであったらしいことは、面白いですね。(太田)
 興味深いことに、このDNAはかなり低い諸水準しか生き残っていない。
 これは、アングロサクソン達との間で起こったのと同じように、ヴァイキング達と存在していた人々が、これまで予想されていた以上に、共存し交わりあったことを示唆している。」(B)
(完)
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           –私の現在の事情(続x55)–
 以下を読まれて、呆れられ、笑われるのを覚悟しています。
 
 一昨日、オシャカのDVDの替えが象印から届いたのですが、その中身を見る前に、炊飯の実験に着手していました。
 新しく買った炊飯器で炊いたご飯がイマイチ・・艶がない+ぱさぱさした見た目・・だったので、新旧の二つの炊飯器で2合ずつ仕掛け、翌朝8時前に炊き上がるよう、予約しておいたのです。
 ちなみに、(引っ越しした時に余り考えずに買った)旧炊飯器の方で予約機能を使ったのは今回が初めてです。
 (ずっと以前から、およそ、朝食に炊き立てのご飯を食べたことがなかった、というか、原則、食パンを食べてきたからです。)
 ところが、その後で上記DVDの中身を見たら、仕掛けたらすぐ炊いてください、とあるではありませんか。
 何となく、すぐ炊いてはいけない、という先入観を持っていたのですが、最近の炊飯器は、ちゃんとお米が水に馴染んでから過熱を始めるようになっているのですね。
 他方、水に浸して余り長くそのままにしてはいけないというのです。
 しかし、今更、やり直すわけにもいかないので、そのままにしました。
 で、翌朝、新旧炊飯器でほぼ同時刻にご飯が炊きあがり、両方を食べ比べてみたところ・・ちなみに、旧も新と同じ圧力IH方式であることは、数日前に「発見」していたのですが、旧も同じ象印製であることに、先ほど気付きました!・・、残念ながら、旧のご飯の方が、艶も見た目も上回っていました。
 で、肝心の味についてなのですが、これは、DVDの中身でも謳っていたように、新の方が甘味が強いことが確認できました。
 旨みも勝っているとも謳われていたのですが、そこまでは分かりませんでした。
 しかし、この前、新で炊いたご飯・・炊けてから数時間経っていたもの・・で、私が例の無水調理をした肉じゃがを食べたところ、肉じゃがの味が無茶苦茶に旨かったことから、オカズの味を格段に引き立ててくれることは分かっており、今回、旧の方と比較して、微妙ですが、やはり、そのことが確認できた・・ような。
 その一方で、炊いてから時間が経った場合、旧よりも新の方が、乾燥してしまうスピードが速い印象を受けました。
 というわけで、新のお値段がお値段なだけに、新が旧よりも遜色がある部分について、一度、象印のサポートに問い質すつもりです。
 添付DVDがオシャカだった、といういやーな前例もありますからねえ。
 なにせ、旧の方も象印なのですから、聞いたって文句言いっこなしです。
 さて、本題はこれからです。
 (なお、新を買ってから3日後に、ヨドバシカメラのカード会員を対象のセールが実施され、新の価格が7,500円以上安くなった、という「事件」があったのですが、とにかく、思い立ったら、実行すべしであり、後悔はしていません。)
 新が届いて、すぐに取説類を斜め読みしたところ、ご飯について、今までの自分が以下のことについて無知であったことを思い知らされました。
一、米は、少量ずつ買って、密閉容器に入れて冷蔵庫で保管すべし。(エー!とのけぞりました。現在の米のストックが尽きたらそうするつもりです。)
二、お米は正しい手順に従って洗うべし。(皆さんは、手順をご存知ですよね。私は丸っきしデタラメでした。恥ずかしー!)
三、釜の底の水滴を拭いてからセットせよ。(これ、あらゆる炊飯器に共通?)
四、炊き上がったら、ただちに、ご飯をしゃもじで崩せ。(そう言えば、大昔にそんな話を聞いたことがあるような・・。)
五、炊飯器は、使ったたびに、分解して掃除をすべし。(これは、さすがにパスすることにしました。)
六、一度に食べきれなかった時は、釜の真ん中にご飯を集めて保温せよ。(これも、あらゆる炊飯器に共通?)
 (前述の予約はできるだけ回避せよ、を含め、)こんなに私がご飯について無知であったのは、私の実家の食生活、そして、かつての結婚生活における食生活、が以下のように問題が多いものであったからだ、と思い至りました。
 まず、実家の食生活については、私の母親が肺病上がりで病弱で早起きができなかったためか、朝はパンであり、夕食は父親が家で食べる時には、酒飲みであったことから、ご飯は食事の最後に軽く取るだけであったところ、母親も私もそれに倣って(?)か、ご飯を主食扱いしたことがなく、従ってご飯のことには全員が無頓着でした。
 結婚生活中は、共稼ぎだったので、平日は、当然のごとく朝はパンで済ませ、夜は、2人とも遅いので、食事は外で済ませるのが通常であったため、殆んどご飯を炊いたことがありませんでしたし、週末でも、夕食は、1日は当時の家内の実家、もう1日はファミレスで済ませるのが原則であり、ご飯は昼食の時に軽くとるだけでした。
 長くなったので、最後に、私がご飯の「改善」を決意するに至った契機が、何人もの太田コラム読者からのインプットであったことを、感謝の意を込めて記して、筆を置きます。