太田述正コラム#0316(2004.4.11)
<マレーシアの思い出(その3)>
(本稿は、コラム#295の続きです。)
5 マハティールの遺産
(1)マハティールの遺産
マハティールがかつて日本を模範と仰いだにもかかわらず、日本経済のバブルがはじけたとたん、日本を軽視し、最近では中国を重視し始めたのはどうしてでしょうか。
また、彼が一貫して反欧米、就中反アングロサクソンの姿勢を堅持してきたのはどうしてでしょうか。
マレーシアにとっての旧宗主国英国に対する反感から欧米就中アングロサクソンに警戒心を抱き、非欧米のしかも身近に存在する大国に親近感を抱いたからだ、また日本から中国に乗り換えたのは停滞する日本経済に見切りをつけ急成長する中国経済に賭けたからだ、というだけでは説明がつきません。
本当の理由は彼が、「道徳心の欠如は世界中で問題となっていますが、これは「自由」「人権」「個人の尊重」といった、欧米流の考え方と深く関係があります。人の悪い心に住みついてしまった「自由」は暴力であり、セックスでもある。「人権」「個人の尊重」は悪事を取り締まることを阻むだけでなく、助長さえします。」(マハティール前掲書61頁)と言っている点に求められます。
つまりマハティールは、民主主義と市場経済は信奉している・・ただし、中国のような独裁的・統制経済国家の民主主義化と市場経済化は慎重かつ漸進的に行われなければならないと考えている・・(前掲書88頁)ものの、アングロサクソン文明の中核たる自由、人権の思想には敵意すら抱いているのです(注1)。
(注1)マハティールの首相としての晩節を汚した反ユダヤ発言(コラム#173)も、この文脈の中でとらえることができる。
そんな彼にしてみれば、アングロサクソンの自由、人権の思想に共鳴する基盤があったからこそ、明治維新後の日本がめざましい発展を遂げることができたことなど、全く想像もつかなかったことでしょう。
結局のところ、マハティールは、先の大戦中の総動員体制を維持した論理的帰結として、集団主義的に見えた戦後日本を、自由や人権を軽視する国だと誤解し、そんな国だからこそ速やかな戦後復興とその後の高度成長が可能となった、と誤解の上に誤解を重ねた、と思われます。
だからこそ、日本の経済が停滞したのは、日本人が米国の自由、人権思想にかぶれて堕落したからだ、ということにもなってしまい、今後模範にすべきは日本ではなくむしろ中国だ、というとんでもない結論が導き出されてしまうわけです。
私はマハティールの政治家としての偉大さは認めています。
独立して間もない多人種国家の人種間の調和と経済発展に成功し、イスラム国として最高の一人あたり所得を実現し、あまつさえ、自発的に最高権力者の地位を退いただけでなく政界からも引退した功績は讃えられるべきです。
しかし、彼の自由、人権思想への敵意は、マレーシアの将来にとって巨大な負債となることは必至だ、と私は考えています(注2)。
(注2)やはり英国の植民地であった隣国のシンガポールの前首相のリー・クワン・ユーとマハティールとの本格的対比をいつか試みることにしたい。しかし、シンガポールは人口も領域も小規模で漢人系が名実共に中心の国であって、相対的に人口が多く領域も広くかつ多人種のマレーシアに比べて治めやすい一方で、「儒教の道」を喧伝したリー(http://www.kyoto-seika.ac.jp/freedom/lady-f.html。4月11日アクセス)は民主主義信奉者ですらないように見受けられること、リーが首相を退いてからも上級相として閣内にとどまり院政を敷いていること、等からして、現時点では私はマハティールの方に軍配を上げたい。
(2)不吉な兆候
マハティールが昨年引退し、後継のアブドラ(Abdullah Badawi)氏が首相に就任してからの最初の総選挙が先月行われ、イスラム原理主義的傾向のある野党を含む野党勢力は敗北し、与党連合が大勝利を博しましたが、この選挙を通じてマレーシアにおける自由、人権の制約が民主主義を空洞化させつつあることがはっきりしました。
アブドラ首相は、就任直後から汚職追放キャンペーンを始めたこともあり、マハティール時代からの変化が期待されましたが、その後政府に批判的であった英字紙の編集者をクビにしたことによってマハティール以上にメディアには厳しいことが明らかになりました。その結果選挙時には、新聞やテレビは事実上与党連合系のものばかりになってしまいました。(野党系の新聞も残ってはいましたが、月二回以上の発行は許されず、販売部数も制限を受けるというありさまでした。)
ですから、選挙管理委員会と与党連合が癒着して選挙不正をやっているといううわさが絶えなかったというのに、そんな報道は殆どなされませんでした。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/FD09Ae01.html(4月9日アクセス)による。)
例えば、今回の総選挙は、議会の解散から18日目に行われましたが、これはこれまでの総選挙のうち最も短い選挙期間でした。与党連合が選挙管理委員会に働きかけて短い期間を設定したものです。新聞やテレビが与党連合に有利な報道ばかりを行う上に、ろくに選挙運動もできないというのでは、野党勢力が勝つチャンスはありません。
1957年の独立直前の1955年の総選挙の時には、共産党との内戦が続いていたというのに、選挙期間は43日間もありました。その後も1969年までは35日間でした。それが次第に短くなってきて今回の選挙を迎えたわけです。
また、選挙区の区割りも、与党連合に有利なゲリマンダーが大手を振って行われました。
投票方式は電子式の最先端のものでしたが、この方式を悪用し、架空の有権者で与党連合への投票数を上積みしたという疑いも指摘されています。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/FC13Ae02.html(3月13日アクセス)による。)
自由、人権が制約され、民主主義もまた形骸化しつつあるマレーシアの将来は、余りにも遅々とした歩みであり、かつ何度も後退を重ねつつも、長期的には自由、人権、そして民主主義の確立に向けて進んでいるように見える中共に比べても暗い、と私には思えてなりません。
(完)