太田述正コラム#7568(2015.3.27)
<『チャイナ・セブン』を読む(その2)>(2015.7.12公開)
「習近平には「紅い血」が流れている。父親である習仲<勲(注3)>を通して、革命の血統書が付いている。
(注3)1913~2002年。中華人民共和国の八大元老の一人。日本でいう内閣官房長官となり、副首相。文革期に16年間迫害される。復活後は中央政治局委員、全人代常務委員会副委員長(2度)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E4%BB%B2%E5%8B%B2
「八大元老とは、八老・・・とも呼ばれ、1980年代から1990年代にかけて強い権力をふるった中国共産党の長老で構成された集団である。」メンバーは、トウ小平、陳雲、彭真、楊尚昆、薄一波、李先念、王震、<トウ>穎超(周恩来の寡婦)。「後に李先念・王震・トウ穎超と入れ替わる形で、以下の3人が入った。」宋任窮、万里、習仲勲。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%85%83%E8%80%81
そして、彼が「紅い」のは「血統」のみの理由ではない。
・・・彼は文化大革命のときに父親が批判の対象となったために田舎に下放され、肉体労働を強要された。このとき習近平が選んだのは、毛沢東のあの革命の地、延安であった。」(18)
⇒そもそも、俎上に載せているこの本の副題を遠藤が「<紅い皇帝>習近平」としていることからして、習近平体制下でも「集団指導体制」に変わりがないとする彼女の指摘と齟齬をきたしているわけですが、同様の理由で、習近平の生い立ちを振り返ることで習近平体制の政策を解釈しようとしていることにも私は強い違和感を覚えます。
なお、文革によって、父ともども習近平がひどい目にあったことを遠藤は重視しているけれど、トウ小平自身、文革でひどい目にあったわけであり、私には、かかる経験は、むしろ、習近平をしてトウ小平と共感し、トウが敷いた路線を忠実に歩ませる契機になっているように思われるところです。
あれだけ自分をひどい目に遭わせた毛沢東に対し、常人の感覚からすると奇異なことですが、敬意を失わなかった点にも、私は、習近平とトウ小平の共通性を見出します。(太田)
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<参考:中共の国有企業群をどう見るか>
遠藤が「国有企業改革」に言及していることもあり、先回りして、拓殖大学総長・渡辺利夫のコラム
http://www.sankei.com/column/news/150327/clm1503270001-n1.html
(3月27日アクセス)の中の中共国有企業論を、ここで批判しておこう。
「現在の中国経済のありようを端的に表現する用語法は「国家資本主義」(ステートキャピタリズム)である。・・・
⇒様々な定義ないし種類がある「国家資本主義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
などという言葉は使うべきではなかろう。
私が、中共の現在の経済体制を、明治維新期を含めた広義の「開発独裁」ではなく、日本型経済体制である、と見ていることはご承知の通りだ。(太田)
中央政府の直接的管轄下の・・・・・・120社に満たない中企が国有企業15万社の利潤総額ならびに納税総額の6割前後を占め、国家と共産党独裁のための財政的基盤を形成する。・・・
もう1つの投資主体が地方政府である。中国の地方政府は単なる行政単位ではない。傘下の国有企業、銀行、開発業者を束ねる利益共同体である。地方政府は企業投資やインフラ投資、銀行融資に関与し、外資系企業の導入にも大いなる力を発揮している。シャドーバンキングとして知られる理財商品を開発して大量の資金を吸収し、これを不動産・インフラ投資に回すのも地方政府である。
⇒トウ小平が目指したのは、日本型政治経済体制の総体としての継受なのであって、順序として、まず、日本型経済体制の継受から始め、しかも、(これは今回初めて記したことだが、)その継受地域の漸次的拡大を推進した後、日本型政治経済体制の背後にある人間主義の中共人民への情宣・普及を図り、その上で、最終的に政治体制を含む、日本型政治経済体制の総体の継受を完成させることである、というのが私の見解だ。
継受地域の漸次的拡大は、いわば、戦災後(戦後)の日本がやったところの、垂直の傾斜生産方式
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%BE%E6%96%9C%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%96%B9%E5%BC%8F
の、支那の広さや地域差を勘案した水平版である、とでも考えれば良かろう。
重要なのは、これも以前に指摘したように、中共では、人間主義が普及していない段階においては、日本型経済体制の管理運営の担い手を、家族でも疑似家族でもないところの、人間主義性において一般人民に比べると平均的に勝り、しかも、相互にそれなりの信頼関係が構築されている、各級中国共産党員達に委ねざるをえなかった、という点だ。
そのため、明治維新後の日本とは違って、戦略的な産業分野において国有企業を次々に立ち上げた後、早期にそれらの払い下げを行って民営化して行くというやり方
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E5%96%B6%E6%A8%A1%E7%AF%84%E5%B7%A5%E5%A0%B4
を、中共がとれず、(中国共産党員が牛耳ることができるところの)国有企業を長期にわたって存続させている、と私は見ている次第だ。(太田)
資源、エネルギー、通信、鉄道、金融などの基幹部門における央企の投資に地方政府による不動産・インフラ投資が加わって、中国は先進国のいずれもが過去に達成したことのない極度に高い投資依存率の国となった。・・・
⇒高い投資依存率と高度成長とは同値なのであり、このようなひねくれた表現をしてはなるまい。(太田)
高い投資依存の帰結が過剰生産能力の顕在化である。・・・
窮地を脱するための方途が、習近平政権によって打ち出された海外戦略である。輸出と外資導入によって積み上げられた4兆ドルという突出した外貨準備を原資として、拡大の一途を辿(たど)るアジアのインフラ建設需要に応じるための国際投資銀行の創設を図り、これを中国の過剰生産能力のはけ口とし、併せて中国企業の海外進出への道を開こうという戦略である。
⇒これは、純正マルクス主義的な恐慌論、帝国主義論以外の何ものでもない。
(「マルクスは、恐慌局面にある資本主義の様々な諸現象(信用制度の崩壊、企業・銀行倒産、失業者の増大等)のうち、根本的な現象を過剰生産ととらえた。」、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%85%8C#.E3.83.9E.E3.83.AB.E3.82.AF.E3.82.B9.E6.81.90.E6.85.8C.E8.AB.96.E3.81.AE.E6.96.B9.E6.B3.95.E3.82.92.E3.82.81.E3.81.90.E3.81.A3.E3.81.A6-.E6.81.90.E6.85.8C.E3.81.AE.E5.8F.AF.E8.83.BD.E6.80.A7.E3.81.AE.E7.8F.BE.E5.AE.9F.E6.80.A7.E3.81.B8.E3.81.AE.E8.BB.A2.E5.8C.96.EF.BC.8D
「マルクス主義によれば<、>資本はその基本的な性質に基づいて拡大再生産を繰り返しながら膨張<し、やがて>・・・資本の集中をもたらし、また金融資本が産業資本と融合した寡頭的な支配が行われ、腐敗が進行し、・・・市場の確保や余剰資本の投下先として<自国以外の地域>の確保を要求するようになり、国家が彼らの提言を受けて行動するとされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9 )
事実上マルクス主義を放擲している、トウ小平以降の中共当局の戦略を、マルクス主義的に分析するという倒錯ぶりは、戦後日本の東大を中心とする近代主義・・その中身は、マルクス主義と(最高度資本主義を体現した)米宗主国崇拝の奇妙なる結合・・の影響下に、いまだに慶応系の渡辺利夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%88%A9%E5%A4%AB
までがあることを示すものだ。(太田)
「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)の設立が急がれた理由である。昨年7月に合意された、BRICS銀行と通称される「新開発銀行」(NDB)も同様である。・・・
環境劣化と所得分配の不平等化を続ける中国が、巨大な「国家資本」をもって新たな秩序形成者として登場するというのも奇妙な構図だが、それゆえにこそ中国の力量を軽視してはならない。・・・」
⇒渡辺のこのような一面的なものの見方は、AIIB設立に賛同しているところの、インドや発展途上国、そして、欧州の主要諸国、更には(カナダを除く)拡大英国、そしてまた、韓国を、悉く矮小化し、冒涜するものだ。(太田)
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(続く)
『チャイナ・セブン』を読む(その2)
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