太田述正コラム#7574(2015.3.30)
<『チャイナ・セブン』を読む(その5)/私の現在の事情(続x57)>(2015.7.15公開)
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<日本を通じて学んだ支那の共産主義>
表記について、念のため、簡単にその根拠を示しておこう。
まず、最も簡にして要を得た共産主義本である『共産党宣言』は、以下のように、戦前の日本では殆んど読むことができなかったが、支那では、最初の日本語訳(英訳からの重訳)が漢語に訳されて読まれた。
「『共産党宣言』<の>・・・日本に於ける最初の翻訳は、1904年11月13日発行の週刊『平民新聞』第53号に幸徳秋水と堺利彦が共訳して掲載したものである(第3章は略された)。ただしこれは、ドイツ語からの翻訳ではなく、サミュエル・ムーアによる英語訳からの重訳であった。この号はただちに官憲の発売禁止措置をうけ、のちに堺が1906年に全文をドイツ語から訳しなおして発表。このときは発禁処分を受けなかったが、大逆事件<(1910年)>以後、太平洋戦争が終わるまでの数十年間、非合法のままの扱いをうけた本となった。戦前、マルクスとエンゲルスの本は『資本論』をはじめ数多く読めたが(マルクス=エンゲルス歴史的批判全集MEGAの部分訳や往復書翰集の訳なども出版され、改造社からは日本で独自に編纂された全集も刊行されている)、綱領文書であるこの『共産党宣言』だけは発禁を解かれなかった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E5%AE%A3%E8%A8%80
「1920年に、陳望道(1891~1977年,言語学者,上海・復旦大学初代学長)が、上海で最初の「共産党宣言」<漢>語訳を上梓する。この翻訳の主たる底本は、・・・幸徳/堺訳であった。」
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/603/603-01.pdf
最も浩瀚にして「高度」な共産主義本・・より正確には資本主義を共産主義的に解明しようと試みた本・・である『資本論』は、以下のように、日本では日本語訳が、また、支那でも日本語訳が漢語に訳されたものが、読まれた。
「資本論<は、>・・・日本語訳としては、1919年(大正8)に松浦要(かなめ)の部分訳、高畠素之(たかばたけもとゆき)の全訳(1920~24)<が最も初期のものだ。>」
https://kotobank.jp/word/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96-75091
「高畠素之らによる・・・日本語訳・・・を<、支那>・・・の留学生が・・・<支那>に持ち帰ったと言われる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96
しかし、(私自身が、大学時代に、その難解さの故に『資本論』(岩波版)の読破を諦めた経験をしているが、)以下のような、各種日本語訳はことごとく悪訳なるが故に難解になってしまっているとの指摘を踏まえれば、それらを更に漢語訳したものしか、戦前の支那にはなかったのではないかと思われるところ、中国共産党の創建者達が、『資本論』を理解するどころか、読破したことさえ想像するのは困難だ。
(そうだとすれば、例えば、毛沢東が、共産主義思想家であるどころか、まともな共産主義者であったことさえ、疑ってかかった方がよい。
彼は、少なくとも『資本論』共産主義者ではなく、せいぜい『共産党宣言』共産主義者だったのではなかろうか。)
「資本論・・・の難解さを求めれば、その罪はすべて大学の教授であり博士でもある日本人翻訳者にある。
日本人がこうした翻訳者の文書によってマルクスを読んできたとしたら、日本人にしてマルクスを読んだ者、学んだ者は誰一人いなかった!ということになろう。」
http://shihonron999.blog.fc2.com/
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(続く)
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–私の現在の事情(続x57)–
一昨日(28日)の午前中に、象印にチェックに出してあった炊飯器が「炊飯温度の調整をさせて頂きました。「もちもち」のメニューでの炊飯をお試し願えませんでしょうか」というメモ入りで戻ってきたので、さっそく、「もちもち」モードで炊飯してみました。
すると、炊き上がりの色艶とふっくら感は増していましたが、やはり、口に含むと固い感じがします。
そこで、昨日、新旧両方の炊飯器で炊いてみました。(その時は、新炊飯器は「もちもち」ではなく「ふつう」モードにしました。)
結果は、やはり、旧の方が、口に含むとより柔らかい感じ・・私の好みに合致・・でした。
というわけで、本日、09:00過ぎに、象印に電話をかけたところ、修理工場で「調整」をしてくれた担当者が電話を返してきてくれました。
以下は、やりとりの要約です。
太田:出荷時の調整に問題があったということか。
相手:違う。今回、受けた指摘を太田さんの好みの表明と受け止め、その好みに合致したものへと調整した。
太田:本来、この新炊飯器は、自分の好みの味に次第に持って行ける機能が付いているふれこみでもあり、そんなことをしていただく必要はなかった。
同じ象印の炊飯器でも、「ふつう」概念が機種によって違うということなのか。
もとより、新炊飯器の方は旧炊飯器よりもご飯の甘味が大きく増え、旨みも若干増えることが謳われており、私もその通りに感じているところ、それに伴い、「ふつう」概念が全く同じではありえないとは思うが・・。
相手:とにかく、機種によって、炊き上がった感じは異なるものなのだ。
とまあ、こういう次第であり、4月25日のオフ会の夕食会の時に、全参集者に両機種で炊いたご飯の食べ比べをしてもらって、太田コラムとしての最終的結論を出そうと思っています。
本日は、眼鏡屋さんと眼医者さんにも行ったのですが、その顛末は、明日ご報告します。
なお、余りご心配には及びませんよ、と予め申し上げておきます。
『チャイナ・セブン』を読む(その5)/私の現在の事情(続x57)
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