太田述正コラム#7580(2015.4.2)
<『チャイナ・セブン』を読む(その7)>(2015.7.18公開)
–習近平政権の政策その1:「先富」から「共富」へ–
「伝統的な中国人の精神性とは、・・・「拉関係、走后門」(コネと裏門)<(注3)>で、この精神性は長い王朝文化と封建時代の間に培われ」、権力のあるものの周りに利権集団を形成するのが習わしだ。・・・
(注3)「<支那>においては、・・・腐敗は、権力エリート・・・と金銭エリート・・・との間のいわば”黙契”の「権銭交易」関係として、確固たる現実的背景を持っている。・・・”拉関係[(La Guanxi)]”、”走后門[(Zou Houmen)]”等々と称される濃密な対人(face-to-face)関係を核とする<支那>・・・の従来の社会関係がその背景にある。」
http://www.jacem.org/old/manage/taikai/taikai003/hishida2002.pdf
http://www.daijob.com/cn/columns/sodan/article/1177 ([]内)
⇒揚げ足を取るようですが、遠藤は「封建時代」などという言葉を用いるべきではありませんでした。
「マルクス主義の立場をとる研究者からも、在地の地主に裁判権などの権力が備わっておらず、それらが国家権力の手に集中されており、<西欧史や日本史等における>封建制の重要な内容である領主権力が存在しないため、<支那>史における封建制概念を否定する見解が出され<ている。>・・・
<そもそも、>周<も>・・・春秋時代<に入ると、>宗族組織が解体されより集権的な官僚制に置き換わるとともに中国<史に言う>封建制度<すら、早くも、>徐々に消滅していった<ところだ>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E5%BB%BA%E5%88%B6
からです。(太田)
<トウ>小平<は、改革開放によって、まず江沢民に先富を、次いで胡錦濤には共富を実現させようと考えたが、>・・・胡錦濤は、江沢民がつくり上げてしまった巨大な利権王国に対して、<トウ>小平の宿題を完遂することなく習近平政権へと移行している。
したがって習近平政権が果たさなければならない国家としての課題は、・・・「先富から共富への移行」なのである。
・・・<トウ>小平が先富論を唱えたとき、彼の頭の中には「政治体制改革」というものがあった。・・・
<ところが、>89年の天安門事件ですべて頓挫<してしまった>。・・・
おまけに2000年に江沢民が出した「三つの代表」論<(注4)>から金権癒着が激しくなり、<政治体制改革なくしては共富の実現は困難、とのトウ>小平の懸念は的中していった。
(注4)「2000年2月、当時の江沢民・中国共産党総書記が広東視察時に発表した重要思想・スローガンであ<り、>中国共産党は、以下を代表すべき、とするもの。
1.中国の先進的な社会生産力の発展の要求
2.中国の先進的文化の前進の方向
3.中国の最も広範な人民の根本的利益
2002年11月の中国共産党第16回大会において、江沢民は上記3つの代表が共産党立党の基本、執政の本、力の源であることを強調し、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論とともに党の重要思想と位置付けられ、党規約に明記された。また、これに関連して前大会規約の「中国共産党は労働者階級の前衛部隊である」の一文に、「同時に中国人民と中華民族の前衛部隊である」との文言が付加され、もはや党が特定の階級の代表に留まらないことを明らかにした。
さらに、2004年3月<には>・・・憲法改正により、「3つの代表」は<その>序文に盛り込まれた。・・・
一方で、共産党が労働者階級の前衛部隊であり、その最終目的が共産社会の建設であるという従来からの立場は「3つの代表」論によって否定はされ<ていない。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E3%81%A4%E3%81%AE%E4%BB%A3%E8%A1%A8
したがって習近平の課題はただひたすら、西側諸国的な「三権分立」をしない状況で、いかにして「共富」を実現させるか、の一点に絞ることができる。」(232~233)
⇒遠藤は、トウ小平が思い描いていたであろう、政治体制改革の到着点が何であったかのかを具体的に明らかにしていませんが、ひょっとして、それを欧米の政治体制だと思っている?
私自身は、それを(日本型政治経済体制の一環であるところの)日本型政治体制の継受である、と見ていることはご承知の通りです。
(なお、これも、太田コラム読者にとってはご承知の通り、「西側諸国的な「三権分立」」という文言は誤りです。イギリス流の議院内閣制は三権分立ではなく、議会主権(一権)制ですからね。)
天安門事件の生起により、トウ小平は、日本型政治経済体制総体の漸次的継受路線を諦め、日本型経済体制継受を先行させ、次いで、日本型政治経済体制の根底にあってそれを支えている人間主義の中共人民への宣伝普及を図り、その上で、徐に日本型政治体制継受に乗り出す、という戦略に切り替えた、と私は考えるに至っています。
これは、中国共産党一党支配体制が過早に崩れてしまえば、日本型政治経済体制継受の司令塔が消滅してしまうからであり、よりピンポイントで言えば、日本型経済体制運営のための疑似人間主義的主体が消滅してしまうからです。
このように考えてくれば、習近平は、トウ小平が最終的に到達した戦略を、ひたすら、忠実に履行しているだけである、ということになります。(太田)
「2013年11月に開催された三中全会<(注5)>で・・・民主法治<等が>・・・決められ<た。>・・・<これ>は決して「民主化」ではなく、チャイナ・ナインのときに周永康<(コラム#4287、4419、6654、6840、7091、7566)>が書記をしていた中共中央政法委員会を「特定の党幹部のいいようにはさせない」ということを指している。一党支配体制は崩さず、三権分立もしない中で「法治国家」に持っていくということだ。・・・これは「司法の独立性」とまではいかないが、少なくとも「司法の客観性」くらいは重要視しようという程度のものであると考えた方がいい。」(234~236)
(注6)2013年11月9~12日に開催された中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議。
http://j.people.com.cn/94474/208700/index.html
⇒遠藤は、独裁下の法治主義が可能であることを知らないとみえます。
例えば、大英帝国の植民地の大部分は民主主義とは無縁でしたが、そこでも法治主義は貫徹していました。
「司法の独立性」概念は多義であるところ、司法の独立性=法治主義、と考えれば、現在の中共のような一党支配体制下でも司法の独立性ないし法治主義を確保することは完全に可能です。
私自身は、習近平体制は、今現在このような意味における法治主義=司法の独立性を追求している、と見ているところです。
いずれにせよ、遠藤は、「司法の客観性」などという、訳の分からない言葉を使うべきではありませんでした。(太田)
(続く)
『チャイナ・セブン』を読む(その7)
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