太田述正コラム#7618(2015.4.21)
<『日米開戦の真実』を読む(その3)>(2015.8.6公開)
「私は<始まったばかりのこの>日米戦争の真箇の意味について、16年前と毛頭変わらぬ考えをもっております。この戦争はもとより政府が宣言したように、直接には支那事変のために戦われるものに相違ありません。しかも支那事変の完遂は東亜新秩序実現のため、すなわち亜細亜復興のためであります。亜細亜復興は、世界新秩序実現のため、すなわち人類のいっそう高き生活の実現のためであります。」(25)
⇒日支戦争(支那事変)は対赤露抑止のためであったところ、対英米戦争勃発時には中立条約を結んでいたソ連のことを公的にあげつらうわけにはいかなかったでしょうが、どうせ大川のような「民間人」を対内外情宣用に起用するのなら、対赤露抑止のために日支戦争も対英米戦争も行うの止むなきに至った、との対内外情宣を別の「民間人」にやらせるべきだったというのに、何という拙劣なことを当時の日本政府はやらかしたのでしょうか。
アホな外務省の差し金だった、と思いたいところです。(太田)
「ペリーは1858年に使命を果たして帰国してから、直ちに詳細なる報告を政府に提出しております。・・・遠征中にこれだけのものを書き上げるだけでも並々の仕事でありません。それから報告中に現れたる彼の知識、彼の識見、注意の周到などによって判断すれば、疑いもなく彼は当時アメリカ第一等の人物であります。・・・
⇒米国政府の命令で仕事をしただけの軍人官僚のペリーについて、その能力を云々しても始まらないでしょう。
米国政府の意図をこそ、大川は剔抉しなければならなかったのです。(注3)
(注3)ブリタニカ無償電子版のペリーの項にはこうある。
「<日本における>ペリーの諸努力を通じて、米国は、東アジアの経済的搾取に関して、英仏露と同等の大国となった。・・・
<米国帰国後、>ペリーは、英露の拡大の危険性を強調し、東洋において米国がより積極的な役割を果たすよう促した。
彼は、特に、太平洋における米国の軍事的・商業的優位を確保するために、そこの島において諸基地を獲得するよう奨めた。」
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/452613/Matthew-C-Perry
ブリタニカは、英国で生まれ、20世紀に入ってからは、米国に軸足を置きつつも、英語圏全体の標準的見解を記述してきていると解される
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%AB%E7%99%BE%E7%A7%91%E4%BA%8B%E5%85%B8
ところ、日本の立場、とりわけ、当時の日本の立場からすれば、現在のブリタニカの記述よりも、はるかに辛辣にペリー当時の米国政府の意図を描写すべきだった。
一体、大川は何を寝惚けていたのだ、と言いたくなります。(太田)
ペリーはこの航海の途上において、欧羅巴諸国の数々の植民地に寄港したのでありますが、丹念にその植民政策を研究し、その非人道的なる点を指摘して、手酷き攻撃を加えております。とりわけ著しく目につくことは、イギリスに対する激しき反感であります。・・・
当時はアメリカがフランスの助力によって独立してから60年、70年、イギリスと戦ってから30、40年経ったばかりで、今日とは事変わり、アメリカは大なる敵意と反戦<(ママ。「反感」の誤植か)>とをイギリスに対して抱いていたのであります。ただし彼は、外国とりわけイギリスの侵略主義を非難すると同時に、正直に自国の非をも認め、我々もメキシコその他に対して道徳に背くようなことをやったが、これは国家の必要上止むを得ぬことであったと申しております。・・・
アメリカ合衆国も当時は決して今日のように堕落した国家ではなかったのであります。アメリカ建国の理想は、なおいまだ地を払わず、ワシントンの精神が国民の指導階級を支配していた時であります。もし今日の米国大統領ルーズヴェルト及び海軍長官ノックスがペリーのような魂をもっていたならば、もし彼らが道理と精神とを尚ぶことを知っていたならば、もしアメリカがただ黄金と物質とを尚ぶ国に堕落していなかったならば、日本に対してこの度のような暴慢無礼の態度に出て、遂にかえって自ら墓穴を掘るような愚をあえてしなかったろうと存じます。」(35~39)
⇒対英米戦争の火蓋が切られた秋に当たり、インドやイスラム世界やドイツについてこそ若干の知識があっても、イギリス(英国)については碌に知らず。米国に至っては、(以上の記述だけからも、)全く無知としか形容のしようのない人物を、対内外情宣のキーマンとして起用するとは、しかも、彼によるラジオ放送やそれを元にした本に(恐らく)手を加えることがなかったとは、当時の日本政府・・外務省と思いたい・・は気が触れていたのか、といった気持にすらなってしまいます。
米国建国の経緯の醜悪さや、ワシントンやジェファーソンら、米建国の父達の奴隷所有者としての醜悪さ、等が、当時の日本に知られていなかったであろうことを差し引くとしても、黒人奴隷制そのものやインディアンの虐殺・迫害、更には在米の支那人や日本人に対する差別、はたまた、米墨戦争や米西戦争ないし米比戦争における米国の非道さ、等を、いくら大川でも知らないはずがなかったというのに、(敗戦後の自分の身の安全を考えたわけではさすがにないでしょうが、)大川は、よくもまあ、こんな阿諛追従的な、と形容するのが酷過ぎるのであれば、こんな微温的な、米国論を展開できたものです。(太田)
(続く)
『日米開戦の真実』を読む(その3)
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