太田述正コラム#0322(2004.4.17)
<イラクの現状について(おさらい3)>

精強な新生イラク軍を整備、運用するためには、有能な将校の確保と、権威ある統治機構の確立が必要不可欠です。

このところイラク情勢が緊迫化したというのに、(旧イラク軍を一旦解散させた後にゼロから米国が整備を始めた)新生イラク軍部隊が出動を拒否したと報じられていますが、出動して大いに働いた部隊もあったあことを忘れてはなりません。
要は、米国がイラクの旧バース党員たる将校をパージしたために有能な指揮官・参謀が十分確保できていなかったことと、このこともあり、教育訓練が十分でなかったことが一部部隊の出動拒否を招来したのであり、ここに来て、米国が「まともな」イラク人将校の採用に乗り出すとともに、新生イラク軍部隊の教育訓練に優秀な米軍将官をあてることにしたことにより、新生イラク軍の質は急速に向上することでしょう
(以上、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-iraqiarmy13apr13,1,6112546,print.story?coll=la-headlines-world(4月14日アクセス)、http://www.nytimes.com/2004/04/15/international/middleeast/15TRAI.html(4月15日アクセス)、及びhttp://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1192227,00.html(4月15日アクセス)による。)

 ある意味でそれより重要なのが、新生イラク軍が喜んで指示に従うような権威ある統治機構の確立です。
この点についても、米軍の傀儡と一部から酷評されてきた統治評議会が、このところ存在感を増していることが注目されます。
ファルージャでのスンニ派ゲリラ勢力等と米軍との停戦の実現や、日本を含む各国の人質の解放を仲介したのは、イスラム聖職者協会(注4)と連携したイラクイスラム党(Iraqi Islamic Party)員等の統治評議会メンバーであり、これら統治評議会メンバーは、自らの発意で仲介に乗り出し、ゲリラ勢力等と米軍、ゲリラ勢力等と諸外国政府の間に入って一定の成果を上げたことにより、(かつてイラクの中心的存在であったスンニ派アラブ人を代表しながら)統治評議会の中ではクルド人メンバーとシーア派アラブ人メンバーの間に埋没していた感のあったスンニ派メンバーの存在感が増したことによって、統治評議会そのものの存在感も増したわけです。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1191295,00.html(4月14日アクセス)、http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/FD16Ak03.html(4月16日アクセス)、http://www.asahi.com/international/update/0415/022.html(4月16日アクセス)、及びhttp://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-hassani16apr16,1,6043531,print.story?coll=la-headlines-world(4月17日アクセス)による。)

(注4)「イスラム聖職者協会」とは、英訳’The Association of Muslim Clerics’からの外務省による日本語直訳のようだが、イスラム教にはキリスト教のようなプロの聖職者は存在しない(コラム#19)ことから、’Association of Muslim Scholars’という英訳もあることを念頭に置き、「イスラム学識者協会」とでも呼ぶ方が本来は適切。

これは、(少なくとも主権の移譲までの)イラクの安定化につながる大きな前進であったと言えるでしょう。

(2)自由
 佐賀藩出身で明治政府の初代司法卿を務めた江藤新平(1834??74年)は、1873年に司法卿を辞任した際の意見書の中で、人権(すなわち自由主義(太田))が確立されて初めて国家が繁栄すると述べています(http://www.asahi.com/culture/update/0411/002.html。4月13日アクセス)。
こんな、既に19世紀のイギリス人や明治期の日本のリーダー達にとって自明であったことを、21世紀の今頃米国で力説して注目されているのが、米ニューズウィーク誌の編集者にしてコラムニストのファリード・ザカリア(Fareed Zakaria)です(http://www.nytimes.com/cfr/international/20030520faessayv82n3_judis.html。2003年6月6日アクセス)。
この考え方を、教育宣伝を通じてイラクの市民に注入(indoctrinate)できるかどうかが、イラクに繁栄をもたらし、国内情勢を安定化させる鍵なのですが、ザカリアも批判しているように、米国は民主主義の早期導入にこだわりすぎる弊があり、イラクにおいても同じ過ちを犯したためにイラクで多数を占めるシーア派に過剰な期待感を与えてしまい、いたずらに情勢を複雑化した、というべきでしょう。

(3)繁栄
イラクには経済統計はまだ殆ど存在していないので、計量的に検証することはできませんが、既にイラクが経済的に活況を呈していることは間違いありません。
フセイン政権の経済失政と13年間続いた国連の経済制裁によって疲弊しきっていたイラク経済は、フセイン政権の残した公然資金並びに摘発隠匿資金及び石油収入を原資にした、教員を含む公務員給与の大幅引き上げや警官や軍人雇用の増大、そして米国等の経済援助に基づく復興事業によって、急速に回復し成長しつつあります。牽引力になっているのは、長年耐乏生活を強いられてきたイラク市民の間で澎湃として沸き起こっている消費ブームです(http://www.latimes.com/news/nationworld/iraq/la-fg-nest15apr15,1,148683,print.story?coll=la-home-headlines。4月15日アクセス)。
 問題は、この消費ブームが石油収入(フセイン政権の資金も元はと言えば石油収入)や外国からの経済援助といった補助金的なものよって支えられていることです。もともとイラクは中東の中では教育水準が高くかつ世俗化した国であり、自立的な経済発展を図ることは決して不可能ではありません。
 その鍵となるものこそ、(2)で述べたところの、自由主義が重要であるという認識の定着なのです。

 (4)民主主義
 早過すぎた民主主義導入の典型的な失敗例がアルジェリアです。
アルジェリアでは1991年に初めて自由な総選挙を実施したのですが、これは、軍部が後ろ盾となった長年の社会主義的一党支配の下で経済が停滞していたところへ、1986年、石油価格下落によって石油収入の減少が生じ、しかも1988年にはデモ隊に軍が発砲して数百名の死者が出る、という背景の下で、国民の不満をそらすために実施されたものです。
ところが、投票の結果、イスラム原理主義政党が議会で多数を占めることが確実になった時点で軍部が介入し、選挙を中止させました。これに怒ったイスラム原理主義勢力はゲリラ・テロ戦で軍に挑み、鎮圧されるまでに一般市民を含め、実に15万人の犠牲者が出ます。
アルジェリアでは今年になってようやく自由な大統領選挙を実施する運びとなり、民主主義が確立しつつありますが、ここに至るまで10年以上かかったわけです。
この間、アルジェリアでは憲法を改正し、宗教的信条に立脚した政党の設立を禁止しています。
(以上、http://www.nytimes.com/2004/04/14/international/africa/14lett.html(4月14日アクセス)による。)

 イラクにおいても、仮に選挙運動や投票の安全が確保できたとして、現時点または近い将来に自由な総選挙を実施すれば、シーア派の、しかも原理主義的傾向を持った勢力が多数を制し、これにスンニ派勢力やクルド人勢力が反発してイラクが内乱状況に陥る可能性があります。
 自由な選挙の実施は、各種民兵組織が武装解除され、精強なイラク軍が整備され、なおかつイラクに自由主義が定着し、イラクの経済発展が軌道に乗ってから行われることが最も望ましいのですが、来年中に、恐らくこれらの条件がクリアされないまま、総選挙が実施されることになりそうであり、そうだとすれば次善の策として、米軍が国連の権威の下で選挙結果に介入できるスキームを樹立する必要がありますが、果たしてどうなることでしょうか。

(続く)