太田述正コラム#7624(2015.4.24)
<『日米開戦の真実』を読む(その6)>(2015.8.9公開)
「1921~1922年のワシントン会議は・・・、ロンドン・タイムズ主筆スティードが道破した通り、その本質においてまさしく「日米両国の政治的決闘」であったのであります。そしてこの決闘においてアメリカは、まず第一に、その最も好まざりし日英同盟を破棄させて、日本を国際的に孤立させることに成功しました。第二に日本海軍の主力艦を自国並びにイギリスのそれに対し、6割に制限し去ることに成功しました。・・・
<更に、>アメリカが主動者となって、今度は主力艦以外の軍艦制限の目的をもって招集されたのが、ジュネーブ会議及びロンドン会議であります。
そしてこの二つの会議においても、日本はワシントン会議におけると同じく、アメリカの前に屈服したのであります。ただしアメリカに屈服したのは日本だけでは<なく、イギリスもですが・・。>・・・
アメリカ<は、>・・・自ら国際連盟を首唱しながら、その成るに及んでこれに加わることをしない。不戦条約を締結して、戦争を国策遂行の道具に用いないということを列強に約束させておきながら、東洋に対する攻撃的作戦を目的とする世界第一の海軍を保有せんとする。大西洋においては英米海軍の10対10比率が、何ら平和を破ることはないと称しながら、太平洋においては日米海軍の7対10比率さえなおかつ平和を脅威すると力説する。ラテン・アメリカに対しては門戸閉鎖主義を固執しながら、東アジアに対しては門戸開放主義を強要する。」(89、93~95)
⇒英国の話まで持ち出すことで語るに落ちてしまっていますが、要は、当時の日本も英国も、国力相応の比率を受諾することで、軍拡競争による財政的負担の軽減を図った、というだけのことなのに、日本を米国の一方的な被害者的に描いているのはいただけません。
但し、米国が日英同盟をつぶした、という点は大川の言う通りです。
また、大川は、米国の対外政策のエゴイスティックな非論理性を糾弾したいのであれば、ウィルソン大統領が、パリ講和会議において、民族/人種の平等を前提に民族自決を唱道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F%E8%87%AA%E6%B1%BA
しながら、日本による人種平等提案を葬り去ったこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88
をこそ取り上げるべきでした。(太田)
「第一次世界戦以来、日本の上下を支配してきた思想は、英米を選手とする自由主義・資本主義と、ロシアを選手とする唯物主義・共産主義であります。深く思いを国史に潜め、感激の泉を荘厳なる国体に汲み、真箇に日本的に考え、日本的に行わんとする人々は、たとえあったにしてもその数は少なく、その力は弱かったのであります。・・・
ところがロンドン会議以後、事情は全く一変したのであります。政府は依然として英米に気兼ねしながら、国際的歩みを徐々に進めんとしたにもかかわらず、国民は日本国家の根本動向を目指して闊歩し始めたのであります。政府はロンドン会議において低く頭を下げたにかかわらず、国民は昂く頭をもたげて、アメリカ並びに全世界の前に、堂々と進軍をはじめたのであります。この日本の進軍は、実に満州事変においてその第一歩を踏み出したのであります。」(101、105)
⇒「第一次世界戦以来、日本の上下を支配してきた思想は、英米を選手とする自由主義・資本主義と、ロシアを選手とする唯物主義・共産主義であります。」というのは、極めて不正確であるところの、愚かな主張です。
「英米を選手とする自由主義・資本主義」は明治維新以来、「日本の上下を支配してきた思想」であったところ、それが、大戦後しばらくして、日本で実現した民主主義の下、英米流の議会政治が日本では機能不全を起こし、また、同じく大戦後しばらくして、米国発の世界恐慌やそれに伴う世界の経済ブロック化によって、英米流の資本主義もまた、日本においても機能不全を起こしていると受け止められたために、英米流の議会政治や資本主義の権威が失墜した、ということに過ぎず、日本が自由主義・資本主義そのものに背を向けたわけでは必ずしもなかった一方で、「ロシアを選手とする」「唯物主義・共産主義」ならぬ「独裁的侵略主義」に対する強い警戒心は、明治維新以来、一貫して、「日本の上下を支配してきた思想」であり続けていたからです。(以上、コラム#省略)
大川のような主張をしてしまうと、第一次世界戦以来、日本は、ロシアだけでなく、英米も敵視するに至った、と、太平洋戦争開戦直後に、日本政府が半ば公的に宣言したことになってしまいます。
また、満州事変は、(史実としても、ほぼそうですが、)当時の国際世論は、事実上日本政府が起こしたと受け止められていた(注7)のですから、大川のような言い方をしてしまうと、日本政府の意向に反して、日本国民が、関東軍を使嗾して満州事変を起こさせた、ということになってしまい、日本は軍部が独走する、政府の統制がきかない軍国主義国家である、と、これまた、太平洋戦争開戦直後に、日本政府自身が半ば公的に認めたことになりかねない愚かな主張でした。(太田)
(注7)国際連盟のリットン報告書は、「<満州において、>日本は万一の敵対行為に対し周到な計画を有し<ていたのに対し、>中国側は攻撃の計画を有しなかった<とするとともに、>・・・満洲国<は、>・・・日本の文武官の一団が、独立運動を計画し、組織したものと見なし、自発的独立を否認し<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3
(続く)
『日米開戦の真実』を読む(その6)
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