太田述正コラム#0324(2004.4.19)
<イラクの現状について(おさらい5)>

(3)シリアの「自由」化
シリアにおいて先般、北部の都市から始まったクルド人(シリア内に130万人が居住。うち30万人は主にトルコからの難民)の暴動がダマスカス等全国に波及し、警察との衝突で24名のクルド人が死亡しました。これは、隣国イラクでのクルド人の自治権獲得が、シリアのクルド人の心理に影響を及ぼしたものと考えられています。
また、河川汚染問題を俎上に載せて行政の腐敗振りを批判した新聞記事が出て、しかもこれに他のメディアが追随したり、首都ダマスカスの国会前でデモが行われたりと、かつてのシリアでは考えられなかったことが最近次々に起こっているのも、イラクでのフセイン政権崩壊が、自由を求めるシリア人に勇気を与えているからです。これらの動きに対し、シリア政府は弾圧を加えてはいるものの、及び腰です。
(以上、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A2604-2004Apr10?language=printer(4月11日アクセス)による。)
まさに、二代目独裁者バシャール・アサド大統領(コラム#97)の鼎の軽重が問われている、と言えるでしょう。

(4)イスラム「辺境」地域における退行現象
留保を加えておかなければならないのは、以上のような地殻変動はイラク周辺の中東地域で見られるのであって、イスラム世界の「辺境」部においては、残念ながら逆に退行現象が見られるところもあることです。
マレーシアとモロッコがその例です。

 ア マレーシア
マレーシアについては、コラム#316で取り上げたばかりであり、そちらに譲ります。

 イ モロッコ
最も啓けたイスラム国の一つであったモロッコがおかしくなっています。
昨年5月にカサブランカの四箇所でのユダヤ人とスペイン人を標的にしたアルカーイダ系同時多発自爆テロ事件が起こり、フランス国籍を持った一人以外の下手人が全員モロッコ人であったことが衝撃を与えました。
振り返って見れば、数年前からモロッコ各地のスラムや小都市にサウディないしアルジェリア系と目されるイスラム過激派が浸透しつつあり、酔っ払い、売春婦、ヤクの売人や悪徳警官等が、彼らの手で井戸に投げ込まれたり、石投げの「刑」に処せられ、或いは喉をかき切られたりして殺される事件が頻発しています。首都ラバトやカサブランカ等の大都会の目抜き通りでさえ、洋装の女性がヘジャーブ(頭を覆うスカーフ)をつけていないとナイフで脅される事件が時々起こっています。
そこに上記同時多発テロが起こり、モロッコがイスラム原理主義勢力に乗っ取られる日も近いのではないかとモロッコ市民自身が不安にかられ始めています。
先月のマドリードでの鉄道テロ事件(コラム#289、291)の犯人の多くがモロッコ系であったことで、モロッコ市民の不安は一層募っています。
イスラム原理主義政党は、現在のモロッコ議会ではまだ第三党に過ぎませんが、この党は、ミスモロッココンテストの開催に反対したり(結局秘密裏に開催された)、ヘビーメタル演奏グループを公共道徳に違背していると告発して逮捕させたり、猛威を振るい始めています。
(以上、http://observer.guardian.co.uk/magazine/story/0,11913,1183923,00.html(4月4日アクセス)による。)

5 米国

マイヤーズ米統合参謀本部議長は、イラク訪問中の4月15日、このところのイラクでの激しい蜂起について、「我々がイラクで成功を収めている徴だ」とし、自治政府への移行を妨げようという動きであると語りました(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A15911-2004Apr15?language=printer。4月16日アクセス)。
イラク情勢は以上、縷々ご説明してきた通りであり、米国がこのように相変わらず意気盛んであることを、私は虚勢だとは少しも思っていません。
6月末の主権委譲後のイラクを国連管理下に置こうという米英の動き(ワシントンポスト上掲)についても、米英がイラク情勢を持て余して国連に丸投げしたかのごとき論調が一部に見られますが、全く理解に苦しみます。
というのは、ゲリラやテロリスト達が治安状況を悪化させて、当分の間、(全国レベルの選挙であれ、地方議会レベルの選挙であれ)選挙の実施を不可能にした以上、主権委譲後のイラク政府が米英の傀儡ではない外観を呈するためには、国連の「権威」を借りざるをえない、というだけのことだからです。
とは言え、(国連事務総長のイラク特別代表であるブラヒミ氏の案に言うところの)国連が任命する暫定政府のメンバーは、(国連事務局がイラクに殆ど人を配置できていないためにイラクに土地勘がなく、かつまた主権委譲後も米英の軍事力に依存する状況が継続することから)米国(及び英国)が事実上指名するほかないことから、主権委譲後も、米英によるイラク統治が形を変えて続くことは言うまでもありません。

(続く)