太田述正コラム#7724(2015.6.13)
<キリスト教の原罪思想のおぞましさ(その8)>(2015.9.28公開)
カ ペラギウスとジュリアン
「聖アウグスティヌスは、この人類の生来的堕落の信条に知的正統性を確立したけれど、ペラギウス・・後に異端と宣告された・・のような初期のキリスト教思想家達の幾ばくかは逆の主張を行っていた。」(A)
「5世紀のケルト人たる神秘主義者(mystic)であったペラギウスの人々に関する陽気な(sunny)見解は、聖アウグスティヌスを深く苛立たせた。
また、あなたは、自分のまぶた(lid)を14世紀のノリッチのジュリアン(Julian of Norwich)<(注20)>に向ける(dip)ことができる。
(注20)1342?~1413年?。「<イギリス>の神学者。キリスト教神秘主義の系統に属し、幻視にもとづいて書かれた『神の愛の十六の啓示』(Sixteen Revelations of Divine Love)・・・(1393年ごろ)・・・で知られる。聖公会、カトリック教会、一部米国の福音ルーテル教会で聖人。・・・この本は史上、女性の手により英語で書かれた最初の本であるといわれる。彼女の神学は非常に前向きで、義務と法でなく喜びと共感による神の愛を説く。ジュリアンにとって苦しみは罰ではなく、神へ近づく道であった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3
その厳しい諸生活が、彼らが悪であると伝えた教会によって更に厳しいものとされていたところの、貧者を慰めようとして、彼女は。TS・エリオット(TS Eliot)が大いに愛でたメッセージを記した。
それは、「全てはうまくいく、そして、全てはうまくいく、そして、物事のあらゆる様はうまくいく(all shall be well and all shall be well and all manner of things shall be well)」というものだった。」(B)
「ジュリアン<は、>・・・・20年間にわたる彼女の諸幻想(visions)に関する諸瞑想の産物である、『神の愛の<十六の>啓示』という、美しい題名を付けられた本は、神の愛と人間達の生来的清廉さ(intrinsic purity)という信条の下、人間の堕落(The Fall)の異端的側へ落下した産物だった。」(C)
⇒ペラギウスは、「<そ>の出自は・・・現在のスコットランドまたはアイルランドと言われる・・・<。また、>・・・彼<の説が異端とされ>た後も教えは弟子たちに受け継がれ、主にブリタンニア<([現在のグレートブリテン島とその周辺の小群島])>・<(彼が長く滞在したところの)>パレスティナ・北アフリカで、ペラギウス主義は数世紀のあいだ存続した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A2 ([]内)
ことから、かねてより、私は、現在のイギリスに生まれた可能性もあると記してきており、また、ジュリアンは現在のイギリスに生まれ育ったことに間違いないところ、私は、当時、大ブリテン島の中・南部に住んでおり、後にイギリス人に(相対的に少数のアングル人、サクソン人、ジュート人と混血しつつ)なったところの、ブリトン人達は、人間主義的な人々であって、人間性悪説ないし人間利己主義説と言ってもよい原罪教義、に一様に強い違和感を覚えていたということではないか、と想像しています。(太田)
キ 正教会
カトリック教会(西方教会)に対する東方教会の代表格たる正教会については、本シリーズの典拠群では示唆的な言及しか見られないところ、別の典拠に基づき、カトリック教会と対比する観点から、その原罪についての考え方を、参考までに紹介しておく。
「正教会は、ヒッポのアウグスティヌスに「聖」という称号こそ贈呈し、また、彼が生み出した非常に多数の神学上の著作群も認めてはいるけれど、彼は、東部キリスト教世界では西部におけるほどよく知られてはいない。
<ラテン語で書かれた>彼の著作群は、14世紀になるまで<正教会群の公用語たる>ギリシャ語に翻訳されなかった。
こういう次第で、彼の著作群は、(カリキュラム群、教科書群、等に関してラテン語の諸モデルに依存したところの神学諸学校が西部の僧侶達や神学的諸学校の設立が影響を与えた、17世紀以降のウクライナ、及び、18世紀以降のロシア、を除き、)正教の主流思想に影響を与えることは殆んどと言ってよいほどなかった。・・・
正教会的な理解では、人間(humanity)は、原罪ないし初罪の帰結は背負っているけれど、人間はこの罪と結び付けられた(associated with)個人的な咎(guilt)は背負ってはいない。
アダムとイヴは、彼らの故意の(willful)行動の咎を問われ(guilty)、我々はその諸帰結・・そのうちの主たるものは死・・を<全員が>背負っている、というのだ。
このことの全てを、完全に異なった光の中で見つめてみよう。
その気があれば想像して欲しいが、君の近しい親族達の一人が大量殺害者だとせよ。
彼は、彼に咎があることが分かったところの、多数の深刻な諸犯罪を犯した上、恐らくは、自分の咎について公の場で間違いありませんとさえ言ったとせよ。
君は、彼または彼女の息子か兄弟か従兄弟/従姉妹として、彼<または彼女>の行動の諸帰結を大いに背負うかもしれない。
すなわち、人々が君を避けたり、「彼を警戒しろ、彼は大量殺害者の家族だぞ」と言ったりするかもしれない。
君の親族の罪の帰結として、<君は、>君の名前が汚されたり、若干の他の諸形態の差別に直面するかもしれない<、というわけだ>。」
https://oca.org/questions/teaching/st.-augustine-original-sin
⇒性悪説的なアウグスティヌス的原罪教義について、イギリス人は、一貫して違和感を抱きつつも、イギリス固有の個人主義もこれあり、個人は利己主義的(性悪説的)存在であると措定することによって、演繹的社会科学を生み出した、と私は考えています。
イギリス人ホッブスが生み出した政治学がそうですし、(スコットランド人で、イギリス人よりもイギリス人的であった、)アダム・スミスが生み出した経済学がそうです。
遺伝子、ひいては固体を利己主義的(性悪説的)存在であると見る、利己的遺伝子生物学(を生み出した米国人ウィルソンならぬ、利己的遺伝子生物学)の広告塔たるイギリス人のドーキンスは、生物学なる自然科学である利己的遺伝子生物学を社会科学化した、という限りにおいて、ホッブスやスミスの後裔である、という見方もできそうです。
これらの社会「科学」は、いずれも、経験科学を部分的には含みつつも、基本的には演繹科学であることと、それに加えて、「人間は利己主義的(性悪説的)存在である」という誤った命題を共通の公理としていること、から、私は科学とは認めてはいません。
(政治学をpolitical ‘science’と呼称するなどとんでもない、と私はかねてから思っているところです。)
また、中世のカトリック教会は、アウグスティヌス的原罪教義を、罪を免罪符で贖えるといった形で事実上否定しており、カトリシズムの復旧を目指したプロテスタント諸派はこの教義を基本的に復活させ、現在に至っているところ、もともと、この教義とは基本的に無縁であったロシアが、プロテスタント諸派を淵源とする、(ナショナリズム、共産主義、ファシズムという)民主主義独裁の悪魔的荒廃を経験した欧州・・ロシアも欧州から継受した共産主義の悪魔的荒廃を経験した・・ともども、プロト欧州文明化/回帰を目指しつつあるのは、ごく自然なことである、と言えそうです。(太田)
(続く)
キリスト教の原罪思想のおぞましさ(その8)
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