太田述正コラム#7754(2015.6.28)
<内藤湖南の『支那論』を読む(その28)/私の現在の事情(続x63)>(2015.10.13公開)
「前にもいうごとく、政治のごときは・・・支那人の文化の主体ではなくなっておるのではあるが、それでも時代の特色を帯びた一種の政治があることは認め得られる。
⇒そう言えば、内藤は「政治軍事」と言っていたのでした。
しかし、軍事軽視はありえても、政治・・権力を巡っての闘争・・軽視など、国家を含むあらゆる組織において、時代と地域を問わず、およそありえないのであり、内藤は何と訳の分からないことを言っているのでしょうか。(太田)
この時代における政治の特色は、人民の生活を整理して、それをして処を得せしめるという目的ではない。昔支那では「名実を綜核す」<(注42)>といって、法令の本文通りに実行される政治を尚んだ時代もあって、学説としては韓非子<(コラム#3401、5628、5632、5634、5654、5656、6198)>が盛んに主張し、事実としては漢代に行われたが、最近世の支那政治はそういうものではなくして、その高等政治ともいうべき国家の大きな機関によって行われるところのものは、大体泰平を粉飾するの具を備えるにあって、その一般民政は声名を目的とする、すなわち評判政治である。
(注42)『十八史略』の「黄帝崩ず」のくだりに、「信賞必罰、名実を綜核す」とある、綜核の「綜はくくる、核はあきらかにすること。」
http://blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/e/f4607043698f1ae4bce81ac47237c095
既に明代頃からして地方の政治を視察する特別の官吏、例えば「巡按御史(じゅんあんぎょし)」<(注43)>というものがあったが、それらは政治の実際を視察するよりかは、むしろ地方の評判を聴くことを主としたのである。
(注43)隋が設けた官職。官吏が、人民の権益を侵害したり、収賄して法を枉げたりしていないかを監察して弾劾した。
http://baike.baidu.com/view/4316490.htm
「・・・<明においては、>監察御史<が>全国を13道に分かってその所管地方を巡察することがあり,これを巡按監察御史という。清は<当初>明制によったが,乾隆年間(1736‐95)に<制度を改めた。>」
https://kotobank.jp/word/%E5%B7%A1%E6%8C%89%E7%9B%A3%E5%AF%9F%E5%BE%A1%E5%8F%B2-1337921
⇒どうも、内藤は「巡按御史」と「巡按監察御史」を取り違えていたようであり、彼が述べる「巡按監察御史」による監察の実態の正確さも疑った方がよさそうです。(太田)
支那で「好官」といわれるのは、すなわち「声名好」の意味であって、事実の如何に関係はない。
⇒「好官」とは、一つには、品位、俸禄、地域などの点で、恵まれた官職、もう一つには、清廉で賢明な官吏、の意であり、、
http://baike.baidu.com/view/9102046.htm
内藤の言うような意味合いはなさそうです。(太田)
これはもちろん大体において政治の堕落を意味するものであるけれども、実は世界の政治の大勢はすべてこれと同じ径路をとっておるのであって、立法を議会で司り、司法権を陪審官の手に渡すというようなことは、すなわち大体において声名政治、評判政治、気分政治であって実質政治ではないのである。
⇒内藤は、支那の政治の実態すら分かっていなかったように思われるところ、当時の欧米の政治、就中英米の政治の実態に至っては、殆んど無知であったと断定してよさそうです。(太田)
支那はよほど以前からその程度まで進んでおったので、支那を立憲政治によって改革しようなどとは、元来支那政治の根本を知らないから起るのである。」(316~317)
⇒「支那を立憲政治によって改革しようなどとは」不可能である、という結論だけは内藤に同意です。(太田)
(続く)
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–私の現在の事情(続x63)–
本日は、2時間半近くEpsonパソコンの2組のSATAケーブル取り換え作業に費やし、しかも、毎日曜恒例の、ピアノ室での音楽鑑賞とピアノ「練習」をやり、しかも、これまた毎日曜恒例のNHK大河ドラマ(但しBSで18:00~18:45)鑑賞をやり、その上、このところ、同じNHK-BSで大河ドラマに引き続く時間に再放映されている、『風の果て』シリーズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6
を見ているものですから、非公開コラム作成に十分な時間を取れなくなってしまいました。
『風の果て』は、藤沢周平(1927~97年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E5%91%A8%E5%B9%B3
原作の時代劇であり、藤沢については、山本周五郎もそうなのですが、人間主義的な登場人物が活躍する小説をたくさん書いた、という認識をかねてから抱いていたものの、まともに、彼(彼ら)の作品や、作品に基づくTV、映画を見たことがなかったところ、今回のこのシリーズの第一話の冒頭をたまたまチラ見したのが運の尽きで、すっかりはまってしまった、というわけです。
『地の果て』は、「実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表」(上掲)とか、「山形師範学校(現在の山形大学)に進む。・・・入学後はもっぱら文芸に親しみ、校内の同人雑誌『砕氷船』に参加した(このときの同人は・・・7人・・・)。この時期の思いでは・・・小説作品にしばしば登場する剣術道場同門の友情などにも形を変えて描かれている。」(上掲)をズバリ体現している物語であり、処々にチャンバラ場面もあって、面白いんですね。
内藤湖南の『支那論』を読む(その28)/私の現在の事情(続x63)
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