太田述正コラム#7826(2015.8.3)
<意外な取材(その4)/英東インド会社(その6)>(2015.11.18公開)
–意外な取材(その4)–
<YZ>(11:42)(11:45に、本人(女性)から、メールを送った旨の電話あり。)
太田述正さま、お世話になっております。
女性セブン編集部の<YZ>と申します。
このたびは、弊誌の取材にご協力賜りありがとうございます。
ご確認、修正、ありがとうございました。
いただきました修正と、太田先生から頂戴した資料をもとに、冒頭のコメントを以
下のように掲載させていただきたく存じます。
太田先生のお話、弊誌読者にとっては新しい視点となるものでぜひ載せたいのですが、現状のままですと、弊誌読者にとっては、「中国の狙い=集団的自衛権行使の解禁」ということと、「安倍首相がいままさにやろうとしている集団的自衛権行使の解禁=”反中国的”」という矛盾があるように思えてしまうからです。
私の理解が間違っているようでしたら、ご指摘下さい。
ご検討下さいますよう、何卒よろしくお願いいたします。
<添付文書>
(いただいた修正)
一方で、こういう(○○な)見方もある。防衛省OBで評論家の太田述正さんが言う。
「中国の尖閣諸島等をめぐっての対日攻勢は、日本に集団的自衛権行使の解禁等、米国の保護国的状況からの離脱を促すためのやらせでした。昨年11月、安倍首相と習近平の首脳会談が初めて実現しました。この間、安倍さんがやったことといえば、尖閣諸島等で中国側に歩み寄るどころか、昨年7月の集団的自衛権行使を解禁するという「反中国的な」閣議決定であったことを思い出してください。」
↓
↓
(再修正)
一方でこうした見方もある。防衛省OBで『実名告白 防衛省』(金曜日刊)著者である評論家の太田述正さんが言う。
「中国の尖閣諸島等をめぐっての対日攻勢は、日本に集団的自衛権行使を解禁させ、“米国と対等”になって、アジアにおける影響力拡大を促すための“演出”で、安倍政府の動きは中国の思惑通りとも言われています。そもそも、日中関係の歴史を紐解くと、そこには深い友好関係がある。日中関係が悪化していると報じられるなかで、昨年11月と今年4月には習近平との首脳会談が実現していることからも明らかでしょう」
<太田>(12:06)
一方でこうした見方もある。防衛省OBで『実名告白 防衛省』(金曜日刊)著者である評論家の太田述正さんが言う。
「中国の尖閣諸島等をめぐっての対日攻勢は、日本に集団的自衛権行使を解禁させ、“米国と対等”になって、アジアにおける影響力拡大を促すための“演出”で、安倍政府の動きは中国の思惑通りと見ることができます。そもそも、日中関係の歴史を紐解くと、そこには深い友好関係がある。日中関係が悪化していると報じられるなかで、昨年11月と今年4月には習近平との首脳会談が実現していることからも明らかでしょう」
でお願いします。
「中国の思惑通りと見ることができます。」としたのは、「中国の思惑通りとも言われています。」は事実に反するからです。
(世界中で私以外には誰も言っていません。)
そう書かない方が信憑性が増す、というご判断もあろうかと思いますが、そこはご理解いただきたいと思います。
なお、実のところ、取材を受けるまでは、私の話をうまくまとめていただけるかどうか、いささか懸念を持っていたのですが、全くの杞憂でした。
(この部分以外の原稿、実によくできていました。)
<XZ>さんにもよろしくお伝えください。
なお、私の口座番号は次の通りです。
みずほ銀行〇〇〇〇
<YZ>(12:11)
太田さま、お世話になっております。
早速ご確認いただきまして、ありがとうございました。
ご指摘いただいた箇所、「~と言われている」よりも、「~と見ることができます」で、弊誌としてはまったく問題ありません。
むしろ、修正いただいたほうがしっくりきます。ありがとうございます。
このたびは、こちら側の意図をくんでいただき、平坦な原稿にもご配慮いただきありがとうございました。
<XZ>にも申し伝えます。
また機会がございましたら、何卒よろしくお願いいたします。
取り急ぎ、御礼まで。
⇒XZさんは、昨日、本日は取材がある、と言っていたところ、その通りなのでしょうが、それはそれとして、今回は、あえて、「上司」が自ら対応した、ということなのだろう、と私は受け止めました。(太田)
(続く)
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(6)英東インド会社についての総括
「・・・この会社は、・・・恐らくは、英国のインドに対する最も重要な輸出品群の一つなのであって、南アジアを、他の欧州的観念と共に良かれ悪しかれ大きく変えることとなった。
その影響は、間違いなく、共産主義やプロテスタント・キリスト教の影響、そして、恐らくは、民主主義の影響すら、超えている。・・・」(C)
「・・・いろいろな観点から、東インド会社は、企業効率の範例だった。
設立から100年後においても、この会社は本部に常勤被雇用者が35人しかいなかった。
にもかかわらず、この最小限度のスタッフが歴史において比肩しうるものなき企業クーデタを敢行した。
すなわち、<第一点は、東インド会社が、>南アジアの巨大な諸地域(tracts)の征服、服従化、及び略奪を行ったことだ。・・・
第二点は、東インド会社の株主志向のアプローチだ。
<すなわち、東インド会社は、>いかなる得意先(constituenc)群をも顧慮することなく(、そしてしばしば得意先群に逆らって)、概ね、株主達の便益だけのために運営されたのだ。・・・」(D)
3 終わりに
このシリーズを書いていて、私に浮かんだ仮説が二つあります。
一つは、米国が独立した理由に関わるものであり、もう一つは、日本の企業の性格に関わるものです。
まず、一つ目の仮説ですが、その前提となる小仮説は、英東インド会社、及び、その初代総裁を務めた者がやはり重職を務めたところの、北米英領植民地のヴァージニア会社、といった株式会社の皮切り群は、英国政府が、欧州諸国の植民地統治同様のキリスト教による原住民の愚民化と相俟った原住民収奪、という形の植民地統治を、イギリス(英国)政府が直接的に手を汚さずに行うための手段であった、というものです。
さて、東インド会社同様、ヴァージニア会社も原住民から収奪の限りを尽くしたところ、東インド会社よりも遅れて1606年に設立されたにもかかわらず、1624年には、余りにもひどいというので、英国政府の監督下に入れられるどころか、解散させられ、ヴァージニア王室領植民地という英国政府の直轄地になってしまいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BC%9A%E7%A4%BE
もとより、その理由は、ヴァージニア会社が原住民収奪の限りを尽くしたことそれ自体にあったのではなく、原住民の反撃(注23)もあり、会社の収益が低下をきたし、ひいては本国に損失をもたらしたからです。
https://en.wikipedia.org/wiki/London_Company
(注23)1622年3月22日に生起。バージニアのジェームズタウンの住民の4分の1にあたる347人が襲撃してきたインディアンによって殺された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Indian_massacre_of_1622
しかし、その後も収奪の気風は維持され、ヴァージニア会社の勅許領域であった、英領北米植民地の南部では、インディアン収奪を黒人奴隷収奪に切り替えた形で、大農場が発展していくことになります。
さて、1775年に米独立戦争が起こった背景として、1773年に東インド会社が英国政府の監督下に入れられ、インド(ベンガル)に総督が派遣されたこともあったのではないか、というのが私の仮説なのです。
米国の大統領を、初代から第5代まで並べてみると、ワシントン、アダムズ、ジェファーソン、マディソン、モンローとなりますが、このうち、アダムズ(マサチューセッツ出身)を除き、全員がヴァージニア出身(注24)であり(それぞれのウィキペディア)、米独立革命の首謀者達の大部分が、英領北米植民地中の原住民収奪地域の中心地出身であったことは偶然ではありえないはずです。
(注24)「当時奴隷人口が多かった<ヴァ>ージニア州は、憲法に盛り込まれた<黒人1人を>5分の3<人とみなして議員数を決めるという考え方>により、<米>下院でも最大の議員団を誇った。<ヴァ>ージニア州出身の<米>大統領が続いたことで、<ヴァ>ージニア王朝とも呼ばれ、国内でその重要性を維持した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E
以前から、私は、米独立革命は、奴隷制維持を目的とする、英国からの予防的分離独立であった、と指摘してきたところですが、インド亜大陸を視野に入れることで、この解釈の説得力が一層強まった思いがしています。
次いで、二つ目の仮説ですが、日本の大企業の祖と言うべき住友が、日蓮宗が体現しているところの人間主義の実践を掲げていた、という指摘を最近(コラム#7680で)行ったところ、日本の中小企業、というか、企業の祖とも言うべき、世界最古の企業である、578年創業の金剛組・・世界のハード企業の祖・・、及び、世界で二番目に古い、587年創業の池坊華道会・・世界のソフト企業の祖・・、更には、世界で最も古い旅館である、慶雲館・・恐らくは世界のサービス企業の祖・・は、それぞれ、「四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大・・・のうちの1人である金剛重光により創業」され、伝説に近いが、「生花・華道教授業を開いている会社で・・・京都・・・<の>頂法寺の本堂である六角堂<という>寺内塔頭で、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々<同寺の>経営・管理に当たってきた<ところ、>聖徳太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことが<この会社が始めた>華道の由来とされ」、これも伝説に近いが学僧定恵(中臣真人)開設、であるとされています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%B5%84
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%9B%B2%E9%A4%A8_(%E6%97%85%E9%A4%A8)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E6%B8%A9%E6%B3%89_(%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C)#.E3.82.A2.E3.82.AF.E3.82.BB.E3.82.B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E6%81%B5
このようなことを踏まえた私の仮説は、日本において、企業とは、大小・種類を問わず、本来、仏教、すなわち、人間主義、の実践の場として生まれ、その場が永続することが期待される存在である、というものです。
すなわち、日本の企業とは、家族の外において、人間(じんかん)が社会一般よりは密度が高くかつ永続する場であって、その場の中で社会一般と関わりながら、人間主義が実践される、ということです。
イギリスで生まれた、東インド会社に始まるところの、株主の利己主義の道具である株式会社と日本の企業とは、対蹠的な存在である、ということにあいなるわけです。
(完)
意外な取材(その4)/英東インド会社(その6)
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