太田述正コラム#0343(2004.5.8)
<イラクの現状について(号外篇4)>

 米軍(注8)が5月4日のタイミングで動いたのは、ファルージャ攻防戦が終わった(コラム#341)からであり、かつ5月4日にバグダッドでシーア派の部族長達と学者達等との会合が持たれ、サドル師に最後通牒を突きつける運びになった(http://www.nytimes.com/2004/05/06/international/middleeast/06IRAQ.html?hp前掲、及びhttp://www.csmonitor.com/2004/0507/p06s01-woiq.html(5月7日アクセス))からだと考えられます。

 (注8)イラクのシーア派地区の北部はポーランド軍管轄地域なので、形式的にはポーランド軍の指揮を受けている。

 この最後通牒とは、一月前に、25名の部族長達(tribal leaders or sheiks。Iraqi National Council of Tribesを構成。南イラクの全主要部族を代表。傘下の部族員200万人)、5名の法律家、5名の学者、そしてイラク統治評議会の二人の女性メンバー中のハファジ(Khafaji)女史(ただし、個人の資格で参加)の計36名(グループ)連名でサドル師にグループの代表から手交されていた提案(注9)に対する回答の期限は5月15日とする旨、グループの使節からサドル師に4月5日に文書で申し渡したものであり、この提案にも最後通牒にも一切米軍等は関与していません。

 (注9)米軍等はナジャフから撤退し、部族長達の民兵がこれに交代する。
     グループは暫定統治機構との間で、政治的理由で収容されているイラク人に関する情報開示について交渉に入る。
     サドル師は、特定の法への賛否いかんにかかわらず、法の優位を受け入れなければならない。
     サドル師は逮捕されないが、部族長達によって拘禁される。裁判に当たっては、部族長達の人間がつきそう。
     ナジャフは聖都なるがゆえに、最終的には民兵のいない、武器も存在しない場所にならなければならない。
     マーディ民兵は最終的には武装解除し、政治・社会団体にならなければならない。
     サドル師を裁く裁判所の裁判官について、サドル師に忌避権を与えるが、サドル師は判決には無条件で従わなければならない。

 そして5月6日からは米軍は更に戦線を拡大し、ナジャフ市内に突入し、市長公舎を奪還し、暫定統治機構の長のブレマー氏は、イランを訪問したきり雲隠れ状態の前市長に代わる新ナジャフ市長を任命しました(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1211026,00.html。5月7日アクセス)。
 これに伴い、クファ郊外での戦闘も活発化しています。
 5月4日からのカルバラとディワニヤの市内攻撃、そして6日からのナジャフ市内攻撃が始まってから米軍側に一名も戦死者は出ていませんが、マーディ民兵側には優に100名を超す戦死者が出ている模様です。
 つい最近までのファルージャとは違い、これらの町の一般住民がマーディ民兵に荷担する動きは全く見られません。
(以上、http://www.nytimes.com/2004/05/08/international/middleeast/08IRAQ.html(5月8日アクセス)による。)
 このように、サドル師の反乱もまた、収束に向かいつつあります。

3 コメント

 「イラクの現状について」の号外篇で、イラク人収用者虐待とイラクの反乱という二つの事象をとりあげて改めて感じたのは、日本のメディアはもとより、英米のメディアさえも、問題の核心からズレた報道を行ったり(イラク人収容者虐待のケース)、死傷者が出る場面ばかりを追いかけた偏った報道を行ったり(イラクの反乱のケース)しがちであるということです。
 つまり、前者のケースでは、「厳しい尋問」を行わざるをえない中で人権を守るむつかしさ、ということを論じないまま、猟奇的虐待の話ばかりが報道され、後者のケースでは、イラク人全般やイラク全土の状況に目を配ることなく、もっぱら、はでで絵になる反乱話ばかりを追いかける報道がなされています。
 その結果、米国は人権擁護を口にしながらその実人権蹂躙を行っている二枚舌の国である、或いは、反乱がイラクを覆い尽くして米軍の手に負えなくなっている、といった歪んだイメージを、日本を含め世界にまき散らしているように思います。
 このメディアによる歪曲という大問題については、改めて更に論じたいと考えていますが、皆さんのご意見もぜひお聞かせください。

(完)