太田述正コラム#7838(2015.8.9)
<21世紀構想懇談会報告書(その3)>(2015.11.24公開)
 第一次大戦後、世界的に民族自決の動きが高まっていたにもかかわらず、1930年代から日本はその潮流に逆らい帝国建設を進め、アジアのナショナリズムと衝突すると同時に英米をはじめとする列強も敵にするという国策上致命的な過ちを犯し、アジアの国々の国民を傷つけた。・・・
⇒「1930年代」以降であれば、日本は、満州とその周辺くらいしか「帝国建設を進め」ていないというのに、従って、対象は支那だけだというのに、どうして「アジア」と記したのか、理解に苦しみます。
 念のためですが、「1930年代」より少し前ながら、「第一次大戦後」における、日本の、南洋諸島の国際連盟下での委任統治領化については、逆に、「アジア」の範疇には入りません。
 なお、この、国際連盟の委任統治領化というタテマエの下で、第一次世界大戦後に、英仏も「帝国建設を進め」ているのであり、英国は太平洋の(南洋諸島を除く)旧ドイツ植民地及びアフリカの旧ドイツ植民地の大部分、旧オスマントルコ「植民地」のイラク、パレスティナ、フランスは、アフリカの旧ドイツ植民地の一部、旧オスマントルコ「植民地」のシリア、レバノン、を実質植民地化していました。(ベルギーは取り上げず。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%94%E4%BB%BB%E7%B5%B1%E6%B2%BB (太田)
 日本は、1930年代 から40年代前半にかけて、当時の国際的潮流に逆らう形で軍事力を行使してアジアにおいて膨張し、第二次世界大戦の大きな要因を作った。そして、この大戦に敗れた日本は、戦争に突入するに至った過程と戦中のさまざまな行為を痛切に反省し、戦後は、先述したような国際社会の共通原則に極めて忠実に生きることで、繁栄を実現した。・・・
⇒アジアでは、1930年代直前の1929年に中ソ紛争が起こっています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%82%BD%E7%B4%9B%E4%BA%89
し、支那で内戦が継続していたことはさておき、また、日支戦争が勃発した後のことではりますが、張鼓峰事件(1938年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%BC%93%E5%B3%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6やノモンハン事件(1939年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
はソ連が日本に仕掛けたものですし、先の大戦が始まってからで太平洋戦争が始まる直前ですが、英ソによるイラン進駐がありました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E9%80%B2%E9%A7%90_(1941%E5%B9%B4)
し、アフリカでは、イタリアとエチオピアの間での第二次エチオピア戦争(1935~36年)がありました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E3%82%A8%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89
し、南米では、コロンビア・ペルー戦争(1932~33年)、ボリビアとパラグアイの間でのチャコ戦争(1932~38年)が起こっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
 そして、欧州では、1939年に先の大戦が始まっており、独ソによるポーランド分割、ソ連によるバルト諸国占領が行われ、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E5%8D%A0%E9%A0%98
、同年にはソ芬戦争も始まっていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E8%8A%AC%E6%88%A6%E4%BA%89
 これでは、どう考えても、日本は、「当時の国際的潮流に」沿った「形で軍事力を行使し」たとしか言えません。
 そういうこともあって、当時は、軍事力による「膨張」が頻発しており、とりわけ、日本の最大の潜在敵国であるソ連の、南アジア及び欧州における「膨張」は顕著であった、と言うべきでしょう。
 執筆者達、とりわけその要であったはずの北岡君は、気でも狂ったのでしょうか。(太田)
 日本はアジアの解放を意図したか否かにかかわらず、結果的に、アジアの植民地の独立を推進したのである。そして、新しく生まれた独立国に対し、日本は戦後、賠償さらに経済援助を通じて、その自立に協力していった。・・・
 1960年代までに多くの植民地が独立を達成したことにより、世界中全ての国が平等の権利を持って国際社会に参加するシステムが生まれた。そして、新たな国際社会の繁栄の原動力となった諸原則が、平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援であった。この中で、国際社会でこれらの価値観の旗手となり、世界の繁栄をリードしてきたのは米国であった。そして日本は、米国と緊密に連携しつつ、国際社会の 普遍的な諸原則を尊重し、推進することにより、自らの繁栄を成し遂げるとともに、世界の平和と繁栄に貢献してきた。今日の世界における多くの国々と日本の 平和と繁栄が、20世紀後半のシステムの成果の上に成り立っており、この流れを21世紀においても維持することが非常に重要となる。・・・
⇒重複的な部分ですが、あえて引用することにしました。
 執筆者達の媚米意識・・米国に対する事大意識と言うべきか・・の醜悪さを認識していただくためです。(太田)
 日本もこの地域においてバランス・オブ・パワーの一翼として、地域全体の平和と繁栄に従来にもまして大きな責任を持っていくべきであろう。・・・
 しかし、日本にとっては、第4章で述べたとおり、中国、韓国との間では和解が完全に達成されたとは言えず、和解を達成した東南アジア諸国においても、日本に複雑な感情を抱いている人々も存在する。・・・
 日米同盟が国際公共財としてアジア・太平洋の安定に寄与していることは広く認められている。日本は自らの防衛体制を再検討すると共に、この日米同盟をさらに充実する必要がある。・・・」
⇒細かい点はともかく、この結論めいた部分は、そうおかしくはありません。(太田)
3 全般的コメント
 (1)「侵略」について
 北岡座長代理は、「「侵略」の記述に関しては・・・異論は2人だった・・・」
http://mainichi.jp/select/news/20150807k0000m010098000c.html
(8月6日アクセス)と述べています「が、実際には、満州事変自体の侵略性を否定する発言は皆無だった。自国の侵略性を認める公式文書は国際的に異例であり、外交上の不利益を懸念--という観点からの異議であったと私は理解している。・・・。」と、この報告書を作成した懇談会のメンバーの毎日新聞記者は記しています。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150807ddm002010183000c.html
(8月7日アクセス)
 では、満州事変より後についてはいかなる議論が行われたのか、どうして、満州事変以降の日本の対アジア「膨張」が全て「侵略」ということになったのか、さっぱり分かりません。
 この記者も記しているように、「安倍晋三首相は会見や答弁で「侵略」への言及を避ける傾向があり、「安倍はリビジョニスト(歴史修正主義者)か」という疑問が国内外で根強い。つまり、安倍首相は、昭和前期の日本の、軍事的膨張の加害性を認めないのかという疑問。「日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた」責任と反省を明記した72年の日中共同声明さえ認めないのかという疑問がある。」という中で、どうして、あえて、「侵略」について、両論併記ではなく、「侵略」に一本化された表現・・注釈付きだが・・になったのか、疑問は深まるばかりです。」(同上)
 ひょっとして、首相談話から「侵略」という文言を落とすための小細工的ガス抜きなのかもしれませんが・・。
(続く)