太田述正コラム#7840(2015.8.10)
<21世紀構想懇談会報告書(その4)>(2015.11.25公開)
「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し」めいた文言を首相談話の中で明記することは、満州国の経営に中心的な役割を果たし、かつ、太平洋戦争中に商工相を務めた、安倍首相の祖父の岸信介
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B
を冒涜することであり、岸家につながる者としての矜持がそれを許さないであろう、と信じたいところです。
3 全般的感想
(1)英訳
この報告書の、「侵略」が登場する箇所の英文を見ると、’after the Manchurian Incident, Japan expanded its aggression against the continent, deviated from the post-World War I shift towards self-determination, outlawry of war, democratization, and an emphasis on economic development, lost sight of the global trends, and caused much harm to various countries, largely in Asia, through a reckless war.’ となっており、せめて、「侵略」を’invasion(侵攻)’と訳しておれば、中立的な意味合いになっていたというのに、’aggression’と訳していて、これでは救いようがないのですが、それはさておき、問題なのは、この英文に、単純かつ深刻な誤訳があることです。
すなわち、「満州事変以後」を’on and after the Manchurian Incident’とでも訳さずに、「満州事変よりも後」を意味する、’after the Manchurian Incident’と訳してしまっています。
メンバーの毎日新聞記者の前出の「背景説明」を読むと、メンバー全員が、(当然のことですが、)「満州事変を含み、それ以後」という理解の下で「議論」をしていたことは明らかであり、このくだりがこういう表現で確定したのは、メンバー全員の間で、少なくとも満州事変だけは客観的に見て侵略だ、というコンセンサスが成立していたからこそであったわけです。
逆に言えば、日本文が「満州事変より後」となっておれば、このようなコンセンサスは得られなかった可能性が高いのです。
北岡君が、英訳に目を通していないとすれば職務怠慢も甚だしいし、目を通していて見過ごしたとすれば、そんな程度の英語力すらない者が近現代史に係る英語文献をまともに読みこなせる能力があるとは思えないのであって、およそ、政治外交史家を名乗る
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B2%A1%E4%BC%B8%E4%B8%80 前掲
資格などありませんし、そんな人物を国連次席大使にした外務省及び当時の自民党政権の責任すら問われなければなりますまい。
たまたま、私が目にした唯一のセンテンスにこのような誤訳があった、ということは、長文のこの報告書にどれだけ誤訳があるか、想像しただけで慄然とします。
(2)長文
首相談話自体が政治的文章なのですから、事前に、それとは別にもう一つ政治的文章を出す意義が私にはさっぱり分からないのですが、どうせ出すのなら、(短くし過ぎると首相談話と完全にかぶってしまいますが、)もう少し簡潔なものにして欲しかったところです。
簡潔なものであったならば、より内容を精査することもでき、より、各方面からためにする・・或いは的確な?・・批判を受けることを免れたのでは、と思うのです。
(3)重大な欠落
重大な欠落であると言わざるをえないのは、ロシア(ソ連)と北朝鮮への言及が殆んどないことです。
ソ連については、戦前の部分では、「日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズムの満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。そのころ、既にイタリアではムソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。」という形で、2回登場するだけです。
朝鮮半島、支那、東南アジアとは異なり、ソ連には、日本がほぼ一方的に被害を受け、他方、相手には殆んど被害を与えていないからだ、というのは理屈になりません。
米国だってそれに近い話ですし、第一、ソ連の脅威を正視することなくして、日支戦争/太平洋戦争をどうして日本が戦ったかを説明することなど、できるはずがありません。
勘繰れば、まともな説明を行って米国との間で波風を立てることを回避するためには、ソ連の脅威を正視するわけにはいかなかった、ということだったのでしょうか。
いや、執筆者達の大部分に関しては、そんな「高級」な話などではなく、川田稔らの日本の近現代史学の最新の動向(コラム#7825等)に関し、無知であるかついて行けていない、という、ただそれだけのことなのでしょうね。
また、北朝鮮については、「同じ朝鮮半島でも、東側陣営に入った北朝鮮が、日本は拒絶する相手だと割り切ることができたのに対し、韓国にとり日本は理性的には国際政治において協力しなければいけない国である一方、心情的には否定、克服すべき相手であるという点でジレンマが生じることとなった」と、韓国についての記述の中で、刺身のつま的に一度登場するにとどまります。
国交がないから、というのは理由になりません。
同じく、今は正式の国交のない台湾は、かなりの頻度で登場しているからです。
「日本による韓国<(英訳ではRepublic of Koreaとなっている!)>の植民地統治は、1920年代に一定の緩和もあり、経済成長も実現したが、1930年代後半から過酷化した。」というくだりがあり、ここが「朝鮮半島」ではなく、「韓国」であること自体が問題ですが、こう書くのであれば、(この箇所でそうすると、より、内容的にも表現的にもおかしさが募るけれど、)「韓国と北朝鮮<(North Korea)>」と記すべきでした。
いくら、北朝鮮がならず者国家だとはいえ、北朝鮮を完全に無視することは、北朝鮮の人々に対する冒涜です。
とまれ、翻訳のことも含め、このような、役所の文書であれば考えられない「ミス」は、遠藤誉による批判
http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20150810-00048349/
を待つまでもなく、他にも数多ありそうですが、この懇談会の事務方は、外務省が中心のはずであるところ、一体何をしていたのでしょうか。
(4)報告書の基本方針
この報告書の、「悪いのは日本だけではない」という、後ろ向きの、子どもじみた弁明をめざすものではない・・・」
http://mainichi.jp/shimen/news/20150807ddm002010183000c.html 前掲
という基本方針それ自体についても、言いたいことは山ほどありますが、長くなるので、具体的な話に踏み込むことは控えます。
(5)中韓の反応
中共と韓国の反応についても、首相談話そのものに対する反応を取り上げることとし、この段階では立ち入らないことにします。
なお、参考まで、報告書への反応に係る記事を掲げておきます。↓
中共
http://www.sankei.com/world/news/150807/wor1508070011-n1.html
(8月7日アクセス(以下同じ))
韓国
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/07/2015080700750.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/07/2015080700769.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/07/2015080700795.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/08/06/2015080603443.html
http://mainichi.jp/select/news/20150809k0000m030114000c.html
(8月9日アクセス)
(7)座長、座長代理以外のメンバー
讀賣新聞記者(女性。「右」新聞代表))、
岡本行夫(元外務官僚)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E8%A1%8C%E5%A4%AB
川島真(東大教授・アジア政治外交史)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E7%9C%9F
三菱商事会長(座長と並ぶ財界代表)、
古城佳子(東大教授・国際関係論)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%9F%8E%E4%BD%B3%E5%AD%90
白石隆(政策研究大学院大学学長・東南アジア地域研究)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%9F%B3%E9%9A%86
瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター(JCCP)理事長)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E8%B0%B7%E3%83%AB%E3%83%9F%E5%AD%90
中西輝政(京大名誉教授・歴史学/国際政治学)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E8%BC%9D%E6%94%BF
西原正(財団法人平和・安全保障研究所理事長)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8E%9F%E6%AD%A3
羽田正(東大東洋文化研究所教授・イスラーム史)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E6%AD%A3
堀義人(グロービス経営大学院大学学長・グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%BE%A9%E4%BA%BA
宮家邦彦(元外務官僚)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%AE%B6%E9%82%A6%E5%BD%A6
山内昌之(東大名誉教授・中東/イスラム地域研究)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%98%8C%E4%B9%8B
毎日新聞記者(男性。「左」新聞代表)
この中には、私がかつてお世話になった人もいるので、こんなことを言うのは忍びないのですが、座長、座長代理の2人はもとより、これらの人々も、全員、後世、こんな恥ずかしい内容のしかも杜撰な報告書を書いたことで、長期にわたって、嘲罵の対象になることは必至でしょう。
(完)
21世紀構想懇談会報告書(その4)
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