太田述正コラム#7864(2015.8.22)
<ヤーコブ・フッガー(その3)>(2015.12.7公開)
(2)成功の方程式
・全般
「・・・フッガーの富は、カネ、戦争、そして政治権力の連鎖(nexus)の間で諸機会を掴むことから来ていた。
彼は、商業の成長、そして、火薬諸兵器が諸刀剣、諸騎兵槍(lances)<(注4)>、諸槍(spears)を代替することによる、暴力の諸手段の諸変貌、という二つながらの時代を生きた。
(注4)形状。
https://www.google.co.jp/search?q=Lance&hl=ja&rlz=1T4RNOA_jaJP583JP584&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CB8QsARqFQoTCLrE2dv1uccCFSMepgodzD8ESw&biw=1558&bih=892
それは、戦争を、諸騎士という、全生涯をそのための訓練に費やした者達の諸手から、給与を支給された諸兵士という、練度は低いが諸火縄銃や諸大砲を使う能力と意思のある者達の諸手のものへと変えた。
統治者達は、権力を得るために傭兵達に依存する度合いが増えていき、諸軍を雇い諸軍に補給するために巨大な諸額のカネを必要とした。・・・」(C)
「・・・フッガーは、例えば、「(米国の西部ならぬ)欧州の東部」、すなわち、強略してくる(marauding)トルコ人達に近接していたハンガリーの諸鉱山を経営したり、或いは、極東への新たに発見された海上諸路で交易諸事業(ventures)に乗り出して行ったポルトガル人達等に資金を提供したり、と大胆かつ冒険的だった。
しかし、彼は慎重であることもできた。
フッガーの主権者達向け諸貸付(sovereign loans)は、通常、しっかりした担保物件でもって裏付けられていた。
彼の諸利益は、借入資金利用(leverage)によって増大したが、彼は自身の流動性を注意深く管理した。
彼は、若干の少額の債務の免除を求める、死の床に就いている王室代理人の懇願を拒否するといった具合に、専制的で時にして冷血だった。
フッガーは<自らへの>信頼感を鼓吹もした。
<神聖ローマ皇帝の>マクシミリアン(Maximilian)<(後述)>の孫のスペイン王カルロス(カール)(Charles)<(後述)>が皇帝になるために諸票を買うための莫大なカネが必要とされた時、買収できる選帝侯(elector)<(注5)>達が信用したのは、フッガーの資金提供誓約だけだった。・・・」(D)
(注5)日本語では選帝侯と訳されるのが通例だが、「法的には彼らが有するのはドイツ王の選挙権であって、皇帝の選挙権ではない。ドイツ王であることは事実上神聖ローマ帝国の君主ではあるが、さらに皇帝として即位し戴冠されなければ皇帝ではないからである。・・・1508年にマクシミリアン1世が教皇に戴冠されることなく皇帝を称し、以降選帝侯に選出された者が皇帝となるようになった。・・・
この選挙は、1198年から1806年まで行われた。1198年、ローマ教皇インノケンティウス3世はヴェルフ家及びホーエンシュタウフェン朝のドイツ王位争いについて、ライン川流域の4人の選帝侯、すなわちマインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教、ライン宮中伯の賛同が不可欠であると定めた。なお、ライン宮中伯の選帝権はバイエルン公と交代で行使された。
1257年以来、選帝侯会議は上記の4人とザクセン公、ブランデンブルク辺境伯の合計6人によって占められ、これに1289年、ボヘミア王が加わって7選帝侯となった。1356年にカール4世が発した金印勅書によって、この顔ぶれとその特権が法的に確定した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E5%B8%9D%E4%BE%AF
「フッガーは、アルプス山脈より北の事業家達中、最初に近代会計を用いた一人だ<(後述)>。
彼は、いつも諸計数をきちんと把握していた。・・・
それに加えて、やっかいなことになりそうだという最初の兆候でもって逃げ出す、ということはしなかった。・・・
最後に、彼は、常に自分の顧客達に係る価値を増やしてやった。
彼は、<こうして、>自らを不可欠な存在にした。
それが、彼をゲームにとどめ続けたのだ。・・・」(F)
・鉱山経営
「彼は、銀はオーストリアから、そして、銅はハンガリーから、といった具合に諸商品(commodities)のコントールを獲得することができた。
彼は銅の精錬所を建設し、自分自身でそれを極めて無慈悲に商売した。
彼がヴェネツィアの銅生産者達のカルテルに参加した時、彼らは供給を絞ることで価格を上げることに合意したが、フッガーは、彼の共謀者達と競争相手達に圧力をかけることの方を選んだ。
<すなわち、>彼は市場に大量の鉱物を溢れかえらせたために、価格は暴落し、彼の競争相手達は甚だしく弱体化した。・・・」(B)
⇒フッガーは、顧客達(上述)、とりわけ、権力者達(後述)に対しては信義を守るのに、競争相手達に対しては裏切りを厭わない、非人間主義的な人間のクズだった、ということです。(太田)
「カネが尽きた時には、彼は、割引価格でもって銀行家集団に銀を売ることで、自分の鉱山群の産出を担保にカネを借りた。・・・」(E)
(続く)
ヤーコブ・フッガー(その3)
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