太田述正コラム#7886(2015.9.2)
<米国人の黙示録的思考(その3)>(2015.12.18公開)
(3)概括
「サットンの主張の核心は、キリスト教原理主義者が後退してきたという理論の論駁であり、それを、彼は豊富かつ魅惑的な証拠で裏付ける。。
これまでの米国のキリスト教原理主義者に関する歴史<の描き方>は、信者達(adherents)が、1925年のスコープス猿裁判(Scopes Monkey Trial)<(注4)>の結果に恥じ入り、俗世の領域に自分達自身を晒すことに長期的に嫌気がさし、公的生活から完全に引退した、というものだった。
(注4)「<米>国で制定された、進化論を学校教育の場で教えることを制限する法律、いわゆる反進化論法に対する一連の裁判のことを・・・進化論裁判・・・<と>いう。特に有名な裁判として1925年のスコープス裁判、1982年のアーカンソー州の授業時間均等法裁判などがある。・・・
<その背景には、>ウィリアム・ジェニングズ・ブライアン・・・は民主党の大統領候補に3度選ばれた人物であり、<米国>に婦人参政権と累進課税を導入するよう働きかけた大衆運動家であ<ったが、>・・・社会ダーウィニズムから導かれる・・・人種差別論や優生学<的>・・・思想が<米国>に広がることに危機感をもっていた。そして、反キリスト教的理論(進化論)が広まることを阻止するため<キリスト教原理主義者達>と結びつき、<米>各州に公立学校教育の場で進化論を教えることを禁止する法律をつぎつぎと成立させていった<ということがある。>・・・。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96%E8%A3%81%E5%88%A4
諸出来事についてのこのヴァージョン<の史観>は、歴史について誤った理解をするものであり、より大事なことは、スコープス裁判のずっと以前から福音主義者達が自分達の、国内及び外国双方において、独特の黙示的諸観念を政治と混合させる形で進出して行った事実を覆い隠すものである、とサットンは断言する。・・・」(E)
「私<サットン>の主張は、一言で言えば、1880年代と90年代に発展した黙示神学は、急進的な福音主義者達をして、終末期(End Times)に、反キリスト(Antichrist)<(注5)>となるところの全体主義的な指導者に、全ての諸国民(nations)が彼らの権力を移譲(concede)する、との結論に導いたというものだ。
(注5)「イエス・キリストの教えに背く人。聖書では新約聖書のヨハネの手紙一(2:18、2:22、4:3)、ヨハネの手紙二(1:7)にのみ記述されている。ヨハネの手紙2章22節においては、イエスがキリストであることを否定する者を反キリストであるとしている。キリスト教の終末論においては、真実に対極し、悪魔の具現化であると解釈され、最後の審判の際に苦しみが与えられるとされ、救いは決して得られないとされる。・・・
神聖ローマ皇帝<フリードリッヒ2>世<(1194~1250年。皇帝:1220~50年)(コラム#545、546、547、552、3128)>は、キリスト教徒とイスラム教徒が共存していたシチリア王国に育ち、そのため宗教上の偏見とは無縁であった。そのためカトリックとは距離を置いた政策をとり、武力を背景としつつも行使はせずに交渉によって聖地奪回を実現し、第6回十字軍を成功させた。しかし「イスラムを殺戮しなかった」ことの方が重要視されてその領国に教皇軍の侵攻を受け、生涯反キリストと呼ばれ続けた。
プロテスタントでは、宗教改革の先駆者ジョン・ウィクリフ、宗教改革者マルティン・ルター、ジャン・カルヴァンも、ローマ教皇を反キリストだと見なした。ウェストミンスター信仰告白は、イエス・キリストを教会の頭と告白し、その地位を僭称するローマ教皇を反キリスト、不法の人、滅びの子だと言った。」」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
ウェストミンスター信仰告白は、「<英>国教会のため、1646年にウェストミンスター会議で作成された信仰告白であるが、スコットランド教会でも聖書に「従属する教理基準」として採択され、世界的に長老派教会の信仰告白として全面的に、また、一部の組合派とバプテスト教会でも修正して採用している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E5%91%8A%E7%99%BD
もしもあなたが最後の日々を生きていると信じ、かつ、あなたが、その重要事件(event)に向かって動いていると信じたならば、あなたは、個人的諸権利や個人的諸自由を掘り崩すように見える何事についても、そして、国家により多くの権力を与えることとなる何事についても、非常に疑い深く懐疑的になることだろう。・・・
・・・黙示信仰はキリスト教原理主義者達と福音主義者達(evangelicals)<(注6)>にとって中心的なものだった。
(注6)念のため、ここで、福音主義(Evangelicalism)の説明をしておく。
「元来、キリスト教において宗教改革の立場を採る考え方を福音主義と呼んだ。・・・『福音的(Evangelical)』と言う言葉は16世紀に遡り、カトリックの思想家の中で、信仰や実践について、中世後期の教会と結びついたものよりも、より聖書的なものに立ち返ろうとした人々・・・のことを指して、他のカトリックから区別したとされる。プロテスタント<も>「福音主義・福音派」と呼ばれた・・・
「福音派」は、今日では大きな4つの前提・・・聖書の権威と十分性・・・十字架上のキリストの死による贖いの独自性・・・個人的回心の必要性・・・福音伝道の必要性・正当性・緊急性・・・以外については多様な見解・立場を受け入れる<プロテスタント達を指す。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
彼らが他と最も区別される点、すなわち、彼らとリベラルプロテスタント達とを分かつ点は、我々が伝統的に考えていた点ではないのだ。
それは、処女<からのイエスの>生誕、或いは、どう聖書を読むか、或いは、受肉(incarnation)<(注7)>の本性(nature)、或いは、イエスの文字通りの再臨、或いは、イエスの諸奇跡、の諸問題(questions)ではないのだ。
(注7)「三位一体のうち子なる神(神の言)が、ナザレのイエスという歴史的人間性を取った事を指す。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E8%82%89
これら全ては重要ではあって、これら全ての諸事柄が彼らを他と分かっているのだけれど、これらは、彼らが彼らの日常の諸生活をどう生きるかに影響は与えない。
彼らの日常の諸生活に影響を与える唯一のものは、彼らが自分達が、反キリストの興隆という、終末期に向かって、そして、大患難時代(Great Tribulation)<(注8)>と身の毛がよだつ人間のホロコーストに向かって、動いていると信じていることなのだ。
(注8)「イエス・・・のことばで新約聖書、マタイによる福音書24章21節に「大いなる患難あらん・・・」と言われているものである。
キリスト教終末論のうち、これが未来に起こるとする立場では、地上を大きな患難が襲い、神に従う人が世界的な迫害を経験する時代である。これが過去に起こったとするプレテリストの立場では、ローマ軍が70年にエルサレムとその神殿を破壊した時にすでに終わったとする。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%A3%E9%9B%A3%E6%99%82%E4%BB%A3
彼らの諸頭の中では、再臨の切迫よりも人々が救われるようにする方が重要なのだ。
救済、すなわち、罪人達の改宗、は彼らを駆動している最重要事なのだ。
しかし、どのように彼らが自分達自身の諸生活を形成し組織しているかという観点からは、私は、黙示信仰が前世紀の多く、<彼らを>駆動する力であり続けた、と考えている。・・・」(F)
(続く)
米国人の黙示録的思考(その3)
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