太田述正コラム#7890(2015.9.4)
<米国人の黙示録的思考(その5)>(2015.12.21公開)
(4)聖書とその解釈
「彼らの神学を解明する鍵は、ダニエル書、エゼキエル書、ヨハネの黙示録(Revelation)、そして、イエスのマタイ伝24の説教といった、かなり曖昧な(obscure)諸節の彼らの諸観点からの理解だ。
その、彼らの諸結論を最も単純な形に要約すれば以下の通りだ。
我々は教会の時代に生きており、我々は携挙に向かって動きつつある。
イエスは真の信者達を携挙させてこの世から連れ出し、彼らは要するに消えてしまい、イエスと共に天国に昇天し、この世に対するキリスト教の影響の喪失によって、悪魔が、反キリストと呼ばれる政治的指導者を通じて権力を掌握するために完全な行動の自由を得る。
そして、彼は、この世を7年間にわたって統治することになる。
この期間は、大患難時代と呼ばれる。
反キリストによる統治は何継起かの諸戦争をもたらし、イエスが諸聖人からなる軍隊と共にやってきて、文字通りのパレスチナの地で、ハルマゲドンの会戦を戦い、イエスは反キリストを打ち負かし、悪を滅ぼし、こうして新しい王国を樹立する。
キリスト教の歴史における長きにわたる議論が、このイエスの再臨の時期を巡って行われてきた。
一体、彼は、1000年間の平和と繁栄なる新千年期(New Millennium)の始期を画するためにやってくるのか、それとも、その終期を画するためにやってくるのか?
キリスト教原理主義者達と大部分の福音主義者達は、イエスは千年期の前に戻って来る、と信じた。
そこから、彼らは、我々が再臨に近付いていると我々に教えてくれる諸兆候(signs)や諸指示(indications)が出現するはずだと思い込んでいる。
彼らは、我々がキリストの再臨に近付けば近付くほど、彼らの理解によれば、聖書がこれら諸兆候・・起きるであろう諸出来事の連鎖(sequence)・・を展開(lay out)してくれているはずだ、と信じている。
大まかな図柄は、我々が終末期に向かって動いている、というものだ。
キリスト教徒達が神の王国を地上に構築しつつあるという観念ではなく、地上は急速に滑り易い坂道を地獄へと下りつつある、というのだ。
かかる予期の実際的な効果は何か?
伝統的には、人々は、イエスが戻ってくるとの予期は、無関心へと導く、すなわち、人々は次の世界に焦点を定め、この世には殆んど投資はしないだろう、と信じられていた。
しかし、実際には、彼らはその真逆のことを行ったのだ。・・・
D.L.ムーディ(D.L. Moody)<(注16)>から、・・・ビリー・サンデー(Billy Sunday)<(注17)>、エイミー・センプル・マクファーソン(Aimee Semple McPherson)<(注18)、ビリー・グラハム、ジェリー・ファルエル(Jerry Falwell)<(注19)(コラム#524、589、2390、3409)>に至るまで、イエスがいつ何時やってきても不思議はないと信じることは、人を不活動的にしたり自分の文化により少なく関わるようにしたりはしなかったのだ。
(注16)Dwight Lyman Moody 。1837~99年。福音主義者にして出版家。無学歴。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dwight_L._Moody
(注17)1862~1935年。プロ野球選手を経て福音主義者。無学歴。禁酒法の強力な支持者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Billy_Sunday
(注18)1890~1944年。カナダ系米国人女性たる福音主義者にしてメディア・セレブ。無学歴。支那でも伝道を行う。
https://en.wikipedia.org/wiki/Aimee_Semple_McPherson
(注19)1933~2007年。福音主義者にしてテレビ伝道師。無学歴に近い。「共和党を支援する等政治的に強い影響力を持って<いた。>・・・1980年の大統領選挙では、ロナルド・レーガンを強力に後押しした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/Jerry_Falwell
⇒米国の福音主義指導者達が、全員が貧困家庭の出身というわけでもなく、また、貧困家庭出身だとしても、能力と意欲さえあれば大学に行く手段はあるのに、押しなべて大学を出ていないことは特徴的です。
これでは、米国の指導層に福音主義者が少ないわけです。(太田)
彼らは、繰り返し繰り返し、そうではないのだ、と語ってきた。・・・
キリスト教原理主義者達と福音主義者達の言いたいことは、神は彼らに諸能力(talents)を与えた、ということなのだ。
イエスは行ってしまったけれどまた戻ってくるのであり、彼はすぐに戻ってきて、あなた方に<、その間、>自分達の諸能力でもって何をやったのかを尋ねることになる。
イエスは、例え話の最後を、使徒達に対して自分が戻ってくるまでに「占領せよ(occupy)」という指示て締めくくった。
それこそ、キリスト教原理主義者達と福音主義者達がやってきたことなのだ。
それが意味するのは、他の多くのキリスト教徒達よりもはるかにもっと、彼らはできるだけ、激しく、急進的に、切迫的に、行動する責任がある、と信じている、ということなのだ。
私<(サットン)>が主張しているのは、イエスが極めてすぐに戻ってくるとの確信は、切迫性、不安、ないしは興奮(excitement)、の感覚を生み出す、という事実なのであり、それが意味するところは、時計は時を刻んでいて自分達には殆んど時間が残されていないので、無駄にできる時間はない、ということなのだ。・・・」(F)
(続く)
米国人の黙示録的思考(その5)
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