太田述正コラム#7894(2015.9.6)
<米国人の黙示録的思考(その7)>(2015.12.22公開)
(5)その歴史
「・・・練達の弁護士にして人気ある福音主義著述家であったフィリップ・モーロ(Philip Mauro)<(注23)>は、1912年のタイタニック号の沈没を歴史の終わりの兆候である、と解釈した。
(注23)1859~1952年。既に弁護士として名声を馳せていた45歳の時(1903年)に「回心」を経験。
http://www.schoettlepublishing.com/biographies/pmauro.htm
福音主義者達の中では例外的に知的選良の部類に属すると思しき人物だが、少しネットにあたった限りでは、彼が学んだロースクール等は分からなかった。
そして、1世紀の後、ジェリー・ファルエルは、9.11<同時多発テロ>は、不信心と不道徳に溺れつつあるこの国(nation)に対する神の審判である、と結論付けた。・・・」(C)
「・・・<サットンは、>ウィリアム・ブラックストーンの『イエスはやってきつつある』から始め、時系列的にこの物語を伝える。・・・
<彼らは、>ウィルソン<大統領>の国際連盟、フランクリン・ローズベルトのニュー・ディール、ムッソリーニとヒットラー、ローマ・カトリシズム、そして、ダーウィン主義、をとりわけ<問題視してきた。>・・・」(H)
⇒要するに、大きな政府につながる動き、聖書の「字義通り」の規定に反する言説、に福音主義者達は反対した、ということです。(太田)
「・・・白人の福音主義の歴史の標準的な語り口は、1920年代における文化からの大引きこもり(great withdrawal)、次いで1950年代における再登場(reengagement)、そして、それが、1980年代の宗教右派(religious right)<(注24)>、と<あいなる、と>いうものだ。
(注24)キリスト教右派。「大統領選挙において共和党から出馬する政治家は、キリスト教右派の支持を取り付けることが特に予備選挙の段階で重要<になるが、>・・・一方でキリスト教右派の主張を政策に反映させることは本選挙において大都市に多いとされる中道層の取り込みに不利となる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%8F%B3%E6%B4%BE
<私(サットン)はそれを>修正しようと欲している。
それは、この本の中で私が行っている、歴史の書き換え的な(historiographical)諸主張の一つだ。・・・
福音主義者達は諦めたことなどないのだ。
彼らは、文化から引きこもったり離脱(disengage)したりは決してしないのだ。
例えば、1930年代には、キリスト教原理主義者達の大部分はニュー・ディールに対して極めて批判的だった。
反キリスト到来の諸兆候を積極的に探している米国人達にとって、1930年代の文脈の中で、そして、ヒットラー、スターリンやムッソリーニの文脈の中で、ローズベルトは、終末初期の段階を整地している何者か、の全ての諸徴表を有していた。
彼は権力を固めつつあり(consolidating)、米国政府は大きくなりつつあったからだ。
私は、フランクリン・ローズベルトの諜報員達の手紙のうちの一つを発見した。
彼は、この国を調査し、1936年の<大統領>選挙の前に<彼に対する支持が>強い諸地域と弱い諸地域とを探したのだが、ローズベルトに伝えたのは、最大の脅威は、当人の言葉によると、経済的反動達からではなく、宗教的反動達から来ている、ということだった。
彼は、「いわゆる(so-called)福音主義諸教会はあなたに強く反対している」、と述べている。
その少し後で、ローズベルトは、この国の全ての諸教会に手紙を発出し、彼らの支援を訴え、彼らの諸ニーズによりよく応えるために、彼ができることは何かを訪ねている。
原理主義者達は政治に関与しており、彼らは社会改革に関与していたのだ。
彼らのうちの若干の者達は、1930年代に妊娠中絶や同性愛関係について語っていた。
彼らは、極めて活発であり、自分達の周りに起こっていることに関与していた。
要するに、彼らが、後退したことを示す証拠など存在しないのだ。
私は、スコープス裁判を軽く扱おう(decenter)と試みている。
つまり、福音主義の歴史において、それは契機としてそれほど大きなものではなかったのだ、と。・・・
彼らにとっては、若干の白人たる福音主義者達の主張であるところの、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.)のいわゆる無法性(supposed lawlessness)、は終末期の兆候ではなかった。
いや、アフリカ系米国人達にとっては、大患難時代の到来<の兆候>は<白人による黒人への>リンチだった。
彼らは、反キリストがニュー・ディールの中からやってくるとは見ず、人種主義者で何世代にもわたって彼ら黒人を差別待遇した(Jim Crowed)ところの、諸州政府の延長線上に反キリストを見出した。
彼らもまた、イエスが再臨しつつあるとの極めて強力な感覚を抱いていたが、彼は異なった諸理由のために再臨しつつあり、異なった諸悪を正そうとしているのであり、異なった種類の平和と異なった種類の正義をもたらそうとしているのだった。
それは、異なった種類の千年期だったのだ。・・・
彼らは、例えば、詩篇(Psalms)<(注25)>の、アビシニア(Abyssinia)<(注26)>ないしエチオピアからやってくる偉大なる指導者について語っている詩句に、はるかに多くの強調点を置いた。
(注25)「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。・・・
本来歌唱を伴い、いくつかのものには調べの指定が注釈として残されている。・・・またテキストから、弦楽器・管楽器(ラッパなど)・打楽器(シンバルなど)を用いたことが知られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%AF%87
(注26)「アラビア語での呼称が語源のエチオピアの旧名」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2
そこには、イエスの再来が黒人たる解放者の到来である、との感覚があった。・・・
最後の日々には無法状態になる、と彼らは執拗に主張した。
だから、彼らは、市民権運動を、法を破る人々の事例と見たのだ。・・・」(F)
⇒前にも記したことがありますが、キリスト教は、まさに黒人の阿片となり、差別に対する抵抗運動や差別解消のための改革運動に黒人達が携わるインセンティヴを抑圧したのです。(太田)
(続く)
米国人の黙示録的思考(その7)
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