太田述正コラム#7908(2015.9.13)
<トクヴィルと米国(その1)>(2015.12.29公開)
1 始めに
 引き続き、米国を俎上に載せたいと思います。
 今度は、アラン・ライアン(Alan Ryan)の『トクヴィルについて(On Tocqueville)』の内容のさわりを3つの書評でもってご紹介し、私のコメントを付すことにしました。
A:http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2014/0908/On-Tocqueville-examines-the-life-and-work-of-one-of-America-s-most-prescient-observers
(2014年9月9日アクセス)
B:https://www.kirkusreviews.com/book-reviews/alan-ryan/on-tocqueville/
(9月10日アクセス(以下同じ))
C:http://www.publishersweekly.com/978-0-87140-704-7
 なお、ライアン(1940年~)は、オックスフォード大及びロンドンのユニヴァーシティ・カレッジで学び、現在、オックスフォード大ニューカレッジ校長兼同大政治学教授、という人物です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Ryan
2 トクヴィルと米国
 (1)プロローグ
 「・・・1831年に、アレクシ・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)<(注1)(コラム#88、503、3714、3721、3959、4089、4107、4367、4481、4860、5459、6158、6723、7090)>(1805~59年)は、フランス政府から米国の刑務所制度を調査することを命ぜられ、一人の旅仲間を伴って米国にやってきた。
 (注1)「ノルマンディー地方の軍人・大地主という由緒ある家」に生まれ、パリ大学法学部卒、裁判官に任官し、1831年に米国派遣、帰国後、下院議員、外相を務める。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB
 彼らの旅の途中、刑務所群への訪問のほか、彼らは、この若い国の社会生活と文化を観察した。
 その5年後、トクヴィルは、彼自身の時代において称賛され、今なお参照されるべきもの(relevant)であり続けているところの、『米国の民主主義(Democracy in America)』2巻を出版した。・・・
 (注2)トクヴィルは、「・・・[当時の<米国>は近代社会の最先端を突き進んでいると見・・・た。]<また、>宗教が<米国>で強力な役割を果たしていることは政教分離に起因してい・・・る<といった指摘を行った。>・・・<そして、>奴隷制度廃止をめぐる論争が・・・<米国>を分裂させる可能性<や>・・・<米国>とロシアがライバルの超大国として台頭すること・・・<更には、>・・・党派根性が凶暴になる<とともに、>賢人の判断が無知な者の偏見よりも下位に置かれ・・・政治家の資質、学問、そして文学を最低のレベルに落とす<こととなる、と>・・・予測した・・・<。はたまた、米国は、>[新聞<が>・・・構築する・・・多数派]世論による専制政治<、ないし、>・・・暴政<という形で、>・・・「ソフトな専制政治 (soft despotism) 」へと悪化する傾向がある<、とした。>・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%94%BF%E6%B2%BB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB 前掲([]内)
 「米国滞在中に私の関心を惹いた新奇な諸物中、私が最も強烈な衝撃を受けたのは、全般的な諸条件(conditions)の平等性だった」から『米国の民主主義』は始まる。
⇒これは、前に(コラム#5459で)既に言及したところです。(太田)
 これは、「多数による専制(tyranny of the majority)という言葉を広めたところの、フランスの貴族にして政治哲学者にして政治家のアレクシ・ド・トクヴィルによる最も良く知られた著作だ。・・・」(A)
 (2)米国の民主主義への肯定的評価
 「・・・トクヴィルは、民主主義の前進は、実体上の(material)平等性の着実な行進と手を携えて進む、と信じた。
⇒トクヴィルの言うことが正しいとすると、著しく不平等化が進んだことによって、米国の民主主義は、その後、大幅に後退して現在に至っている、ということになってしまいます。
 そもそも、トクヴィル当時の米国が民主主義であった、という、彼の認識そのものが誤りなのです。
 以前から何度も指摘してきているように、(当時、まだ、黒人や女性に参政権が認められていなかったことはさておき、)上下2院制、厳格な三権分立、州の独立性の強さ、は、米国が民主主義不信に立脚した国家であったことを示しているからです。(太田)
 これは、神の布告(divine decree)の全ての諸性格を保有している」、と彼は言った。
⇒トクヴィルは、こんなところでも「神」に言及していることを頭に入れておいてください。(太田)
 この理由から、トクヴィルは、米国の中産階級の力と自信に魅惑された。
 この階級は、「大衆に生まれと利害において属するとともに、貴族に習慣と嗜好において属するところの、法律家達の政治的権力に対して好意的である」、と彼は見た。
 今日の米議会の議員の43%が法律専門職に属していることからして、この観察は完全に的外れであったとは言えないのかもしれない。
⇒データ的にやや古いのですが、「国会議員の出身職業(国際比較)」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5217.html
を参照できます。
 全般的に同じベースのデータでの比較ではないのが残念ですが、話題の法曹出身者の比率は、日<英<米の順序であり、米国での多さが際立っています。
 (ドイツでは自由業の中に埋没してしまっていますが、法曹出身者比率は、日独仏はほぼ同じくらいです。この点では、先進国では、米英 v. それ以外、といった対立軸が存在している、という趣があります。)
 また、一番多いのが、日:地方議会議員、英:実業界、米:法律専門職、というのも面白いですね。
 日本では政治家も家業になりがちであること、英国をマルクスがブルジョワ階級が支配している国と誤解したのももっともであること、米国では言葉で物事を訴える能力が最も重視されるらしいこと、がそれぞれ何となく分かろうというものです。(太田) 
 ライアンは、これが、いかに、フランスの政治哲学者のモンテスキュー、とりわけ、「商業(commerce)」に立脚した諸社会は、古典的な「徳」の諸概念というよりは、平和志向的(peaceable)で法の支配を条件としている、とのモンテスキューの信条、の当然の結果であるか、を指摘する。・・・」(A)
⇒ライアンがモンテスキューを持ち出したのは、後述するように意味はあるのですが、このくだり、モンテスキューとライアンが、それぞれ何を言いたいのか、必ずしも明らかではありません。
 どうせ、モンテスキューは、彼が理想視していたイギリスについて、彼流の誤解を垂れ流しているだけなのでしょうが・・。(太田)
(続く)