太田述正コラム#7916(2015.9.17)
<現代の怪物キッシンジャー(その1)>(2016.1.2公開)
1 始めに
 再度、米国を俎上に載せることにしましょう。
 今度は、グレッグ・グランディン(Greg Grandin)の『キッシンジャーの影–米国の最も議論ある政治家の長期にわたる影響力(Kissinger’s Shadow: The Long Reach of America’s Most Controversial Statesman)』のさわりを、書評類に基づいてご紹介し、私のコメントを付すことにします。
A:ngerous and unworthy of the presidency.・・・(A)
http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2015/0827/Kissinger-s-Shadow-accuses-the-controversial-statesman-of-militarizing-US-foreign-policy
(8月29日アクセス。書評(以下同じ))
B:http://www.latimes.com/books/jacketcopy/la-ca-jc-greg-grandin-20150823-story.html
(9月10日アクセス(以下同じ))
C:http://www.startribune.com/review-kissinger-s-shadow-the-long-reach-of-america-s-most-controversial-statesman-by-greg-grandin/322514411/
D:https://www.washingtonpost.com/opinions/kissinger-frankenstein-of-foreign-affairs-or-just-self-promoter/2015/08/26/a5588bb6-1e65-11e5-bf41-c23f5d3face1_story.html
E:http://www.newrepublic.com/article/122697/peoples-obituary-henry-kissinger-his-deat
(著者のインタビュー)
 なお、グランディン(1962年~)は、米国の歴史学者で、ニューヨーク大歴史学教授であり、ブルックリン単科大学卒、エール大博士、という人物です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Greg_Grandin
2 現代の怪物キッシンジャー
 (1)序
 「・・・その経歴にノーベル平和賞を持つ男であるというのに、ヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)<(注1)(コラム#109、127、1154、1262、1266、2105、2862、4079、4435、3411、5179、5776、6351、6503、6618、7163、7165、7169)>は、全くもって、大小様々な沢山の諸戦争を支援してきたものだ。
 (注1)1923年~。ユダヤ系ドイツ人として生まれ、本来の姓名はハインツ・アルフレート・キッシンガー。1938年に一家で米国に移住、1943年に帰化。ハーヴァード大卒、同大修士、博士。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
 その中にはベトナム戦争がある。
 この抗争(contest)は、彼が、その惨めな(bitter)最後まで、いや、1967年に面子を保ちつつ・・時には名誉あると呼ばれた退出(exit)を行いつつ・・大義は失われたと決することでその後に至るまで、支えたものだ。
 キッシンジャーが、1969年から77年までは、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)及びジェラルド・フォード(Gerald Ford)両大統領の安全保障担当補佐官、次いで米国務長官を務めていた間に、彼が好まないように見えた紛争は殆んどなかった。
 その戦闘が、チリ、アンゴラ、東ティモール、或いは、カンボディアとラオスの秘密爆撃と爾後の侵攻、のいずれであれ・・。
 ついに、官を辞して自身のコンサルタント会社の長となってからは、キッシンジャーは、パナマを、その大統領<(注2)>のマヌエル・ノリエガ(Manuel Noriega)<(注3)(コラム#1193、4126、5453)>を捕縛するためのパナマへの米軍の侵攻に喝采を送り、また、2002年にはイラクの体制変革の早い時期からの支持者だった。
 (注2)「事実上の大統領」とでもしないと誤り。(「注3」参照。)
 (注3)1934年~。「パナマ共和国の軍人、政治家で、1983年から1989年まで間は独裁者として君臨した同国の最高司令官(将軍)・・・<後の>ブッシュ<(父)>大統領がCIA長官を務めていた1976年当時、ノリエガはCIAから年間11万ドルを受け取り、各地のパナマ大使館から得た情報をCIAに流していた。 一方でノリエガは、<米国>と敵対するキューバのカストロ政権やニカラグアのサンディニスタ政権など中米・カリブ海の左派政権とも関係を持ち、多重に取引をしていた。・・・<更に、>隣国コロンビアの麻薬組織(メデジン・カルテル)と結びつき、パナマから<米>国へコカインなどを密輸するルートを私物化。さらに、反米国家のリビア人(カダフィ政権)やキューバ人に対して<米>国の査証やパスポートを闇ルートで転売していた。・・・1989年に大統領選挙に出馬したが、落選が確実になると軍をあげて選挙の無効を宣言。しかしその5日後、麻薬の不正浄化や在パナマ米軍兵士の殺害、選挙結果の不履行を理由にジョージ・H・W・ブッシュ大統領による米軍のパナマ侵攻を受ける。圧倒的な物量差を前にパナマ国防軍は敗北する。戦闘による混乱の中彼は拘束され、<爾後、米国、フランスで服役後、現在は母国で収監されている。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%AC
 キッシンジャーが関わった諸戦いの大部分が悪しき終焉を迎えたことは、ほんの少しも彼を動じさせていないし、深い知性と地政学的眼識(acumen)の人という彼の評判に顕著に泥を塗ることもまたなかった。
 <この本>の中で、・・・著者・・・は、彼が対象としたところの、この人物に関し、米国の外交政策を軍事化したこと、及び、爾後の歴代大統領の諸行政府が、侵攻すること、或いは、米国と戦争状態にない、いや、若干の場合は米国に敵対的ですらない、諸国に対する攻撃を実行すること、を容易にするところの、諸先例を打ち立てたこと、を非難している。・・・」(A)
(続く)