太田述正コラム#7928(2015.9.23)
<ルソーとスミス(その2)>(2016.1.8公開)
「・・・本来誇り高い(prideful)諸個人が、利己的な(self-interested)諸形(ways)で<ではあるけれど、>自分達のふるまいを規制するようになった<のに>は根本的な配慮(concern)<があった。>
自然の諸不平等性や諸優位性を抑制(restrain)するか増進(increase)するかのどちらかに資するために、(狩猟採集者達から牧畜的(shepherding)・農業的・商業的(mercantile)へ、という、)歴史における異なった「段階(stage)」<への移行>の際に、異なった政治形態(form)が、この「商業的社交性(commercial sociability)」<(≒カントの「非社交的社交性」)>を構築(structure)したのだ。
⇒ホントは、どうやら、人間は、本来的には個人主義的である、と思い込んでいるようですね。それが、農業社会化以降、利他主義を装うようになった、というわけです。(太田)
これを見て取った(seeing)ところの、ルソーとスミスは、異なった政府諸形態の長期的な興隆と衰亡についての、経済によって駆動されたところの、推測される(conjectural)諸説明、を<それぞれ>提供することになった。
スミスに関しては、古典ギリシャ及びローマからルネッサンスの都市諸国家に至る、欧州における都市化の成功が、都市化を経験した諸社会を大いに富ませた一方で、これら諸社会を、奢侈の諸悪徳に染まらせるとともに。軍事攻撃と政治的衰亡の諸サイクルに直面することで脆弱にした<、と見た>。
⇒都市というのは、農業社会化によって、農業適地における食料獲得量が増大してことによって、面積当たりの人間の生息数が増大したこと、及び、余剰が生じたことによって、直接食料獲得に携わること以外の営み・・商工業等・・に従事する者達を養い維持することが可能になったことによって生誕したと考えられている
https://en.wikipedia.org/wiki/City
のであって、要は、農業社会化によって犯罪や戦争が飛躍的に増大した、という一般命題に帰着します。(太田)
経済的競争は、諸個人間とともに諸国家間に紛争をもたらしたが、このリスクは、<それぞれ、>イギリス、<並びに、>フランス、及び、スペイン、の力(might)によって影が薄くなっていた諸場所であるところの、<スミスの生地である>長老派のカーコーディ(Kirkcaldy)<(注2)>と<ルソーの生地である>カルヴィン派のジュネーヴ(Geneva)、の子弟達の前に強力に立ちはだかっていた(loomed large)。
(注2)スコットランドでエディンバラの北方19km、ダンディーの南南西44kmに位置する町。アダム・スミスの生地であるとともに、彼が『諸国民の富』を書いた地でもある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kirkcaldy
<近隣の諸大国と自分達の生誕地との間の>大きさと力の明白な非対称性が、この二人に対し、どうしたら政治経済学(political economy)が世界をより安全にするか、について思い巡らすよう促した。
⇒戦争の方が犯罪の方より・・戦争の中には国際犯罪的なものもありますが・・害が一般的に小さい以上は、(国家連合的なものを含むところの)国を大きくして行き、世界を単一国家することしか正しい処方箋はないと私は思うのですが・・。(太田)
外国貿易を再均衡化するための諸戦略を提供することによるのか、それとも、諸戦争のために借金で資金手当てを行うことの効用に疑問を投げかけることによるのか、と。
ある意味で、ルソーの均衡のとれた成長への関心は、スミスに比べて、現代の経済学とより折り合いが良い(align with)ものだ。
ホントにとっては、ルソーは、「本質的に一種のリバタリアンである」であって、ルソーは、活動的な(activist)国家よりも必要最小限な(minimal)国家によって統治されたところの、簡素な自己規制政体(austerely self-regulated polity)の下で、「正常な(normal)」成長が戻ってくる、と考える人物だったのだ。
⇒まさに、ルソーは、最も甚だしく誤った処方箋を提示したところの、共産主義を究極形態とする民主主義独裁の思想の最大の創始者であった、ということです。(太田)
それとは対照的に、スミスは、18世紀の国家政治経済学の大黒柱であったところの、均衡のとれた成長が、何世紀にもわたって、「不調であって文句を言われ続け(kicked out of kilter)」てきたこと、を知っていた。
それに代わるものとして、彼は、どんどん利潤を増大しつつあったところの工業諸部門に農業が追い付くという、生産的に不均衡化された体制(productively unbalanced regime)を追求した。
⇒ホントのこの部分のスミス理解が的確なのかどうかを検証する時間も意欲も私にはありませんが、仮にスミスがそのように考えていたのだとすれば、農業の工業化が現実性を帯びてきた現在、更には、AI化の進展によって、人間が農商工等の第一線から退きつつある現在、そのような考えはもはや賞味期限が過ぎている、と言えそうです。(太田)
ルソーは、経済的かつ政治的な不平等性の帰結としての、極端な民主主義と革命の危機、を繰り返す未来、という陰鬱な見方をしていた。
そこで、ルソーには、いわゆる、「閉鎖(closed)商業国家」でもって解決したらどうか、という魔がさした(tempted)。
すなわち、競争相手の諸国の只中で、自給自足の諸島を創造する、という・・。
<その諸島の中で>、誇り高い男達が再教育(re-school)されて愛国的な市民達になることができ、そうなれば、必要最小限な政府しか必要でなくなる、というのだ。
⇒ホントのこの部分のルソー理解についても、スミスについてと同じことが言えます。
とまれ、ルソーは全く知らなかったはずですが、ルソーの生きていた時代に、既に日本はそういう社会を実現していたわけです。(太田)
スミスは、そうではなく、むしろ、我々の生来の(naturally)競争的諸本能を活用したところの、(競争(competition)ではなく)追従(emulation)の)開かれた全球的システムを望(hope)んだ。
ここでは、基本的に利己的な名誉と栄光への諸欲望が愛国的誇り(patriotic pride)と提携するけれど、それが、人類へのより広大な愛によって和らげられる(tempered)。
それと同時に、分別のある(prudent)政治家達が政治的かつ経済的な諸極端を穏健化する(moderate)。
⇒以前から私が指摘してきたように、まさに、それこそがイギリス(アングロサクソン)文明の姿なのであり、同文明を理念型的に描写することに努めたスミスが、この文明がアングロサクソン社会においてより徹底するとともに、この文明に他の諸文明が追従する、私の言葉で言えば、他の諸文明が継受する、ことを希求した、ということです。
但し、表見的にはともかく、実態において、この文明を他の諸文明が継受するのは、ほぼ不可能であることも、私は既に指摘してきたところです。(太田)
<しかし、>ギリシャとEUの諸問題を一瞥するだけで、いかなる種類の政治が「商業社会」において最も良く機能するかについての<、ルソーとスミスも取り組んだところの、>旧来からのこれらの諸疑問点の永続的な妥当性を、改めて確認できようというものだ。・・・」(A)
3 終わりに
いかにも欧州人らしい、小難しいスコットの所論を、私流に、人間主義の補助線を引くことによって、単純化した形で整理してみましたが、いかがでしたか?
私自身は、世界政府化、と、人間主義を核心とする日本文明化、を車の両輪として、我々は、農業社会化以来の余剰と退廃の人間社会という穢土から、浄土を目指さざるべからず、と改めて思いました。
そのためにも、日本の「独立」の一日も早い実現が望まれます。
(完)
ルソーとスミス(その2)
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