太田述正コラム#7930(2015.9.24)
<科学の発明(その1)>(2016.1.9公開)
1 始めに
 引き続き、アングロサクソン文明と欧州文明の対峙問題ともからむ話題を取り上げましょう。
 デーヴィッド・ウートン(David Wootton)の『科学の発明–科学革命の新しい歴史(The Invention of Science: A New History of the Scientific Revolution)』のさわりを、その2つの書評群をもとにご紹介し、私のコメントを付します。
A:http://www.ft.com/intl/cms/s/0/1ad4e420-4bd4-11e5-b558-8a9722977189.html?siteedition=intl
(8月29日アクセス)
B:https://www.timeshighereducation.com/books/review-the-invention-of-science-david-wootton-allen-lane
(9月23日アクセス)
 この本に係る、著者を巡るディスカッション映像があります
http://www.theguardian.com/science/audio/2015/sep/21/history-scientific-revolution-david-wootton
が、やはりパスすることにしました。
 なお、ウートンは、宣教師の息子としてパキスタンで8歳まで過ごしてからイギリスに戻り、ケンブリッジ大卒、カナダとイギリスの様々な大学で教鞭を執り、現在はヨーク大歴史学教授で著書多数(A)、という人物です。
 一度、コラム#4340から始まるシリーズでガリレオに関する彼の本を含む2冊を取り上げたことがあります。
2 科学の発明
 (1)序
 「・・・この権威ある壮大な本は、・・・1492年10月11~12日の夜に大きな意義を付与する。
 それは、クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)<(コラム#800、3455、3816、3941、4381、4731、4963、5245、5809、7327、7438)>、というよりは恐らく彼の見張り番のロドリゴ・デ・トリアナ(Rodrigo de Triana)<(注1)>、が初めて新世界を見た時だ。
 (注1)「1492年10月11日の夜10時頃、・・・「コロンブス」船団<中の>・・・ラピンタ(La Pinta)号というカラベル船に乗って<い>たロドリゴ デトリアナという名の船員は、その船尾から陸地・・・現サン・サルバドル島・・・が見えたように思えた。10月12日午前2時、船から2レグアの位置に陸地があるのを確認。」
http://aji-kotoba.blogspot.jp/2009/02/blog-post_14.html
 この発見は、革命的な諸出来事の連鎖の口火を切った、とデーヴィッド・ウートンは主張する。
 こうして、科学の発明が始まったのだ、と。・・・」(B)
⇒欧州文明にリップサービスをする、お定まりのイギリス人らしい韜晦だな、という印象ですね。(太田)
 (2)科学の生誕
 「・・・科学革命の意義はどんなに強調してもし過ぎることは、まず不可能だ。
 デーヴィッド・ウートンが<この本>でもって見事に示したように、それは、未来の過去に対する勝利以外の何物でもなかった。
 それまでは、アリストテレスが自然に関する指導的権威だったのであり、哲学者達は、何よりも、古人の失われた文化の回復を目指してきていた。
 しかし、それ以降においては、新しい知識が可能である、との観念が自明(axiomatic)になった。
 ・・・ウートンによれば、近代科学は、ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)<(注2)(コラム#6338)>が新しい星を空で見つけた・・諸天は変わり得ることの証・・1572年から、アイザック・ニュートン(Isaac Newton)<(コラム#1467、3752、4061、4105、4342、6338、7082、7176)>が『光学(Opticks)』<(注3)>を出版した・・諸実験に基づいて光の性質に関する諸結論を導き出した・・1704年の間に発明されたのだ。
 (注2)1546~1601年。「デンマークの天文学者、占星術師。・・・<北ドイツの>ロストック大学<卒>・・・膨大な天体観測記録を残し、ケプラーの法則を生む基礎を作った。・・・1572年、カシオペヤ座に超新星(SN 1572:通称「ティコの新星」)を発見し<たほか、>・・・1577年に出現した彗星についても多くの観測結果を残し、その現象が月よりも遠方で起きていることを証明した。この彗星の観測結果と、さきの新星の発見は、月より遠方ではいかなる変化も起きないと考える天動説を覆す重要な証拠ともなった。・・・ただし彼自身は、地動説が正しければ当然観測されるであろう年周視差が観測できなかった事から、地動説には否定的な立場をとり、「太陽は地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星が公転している」という「修正天動説」を提唱した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A8
 (注3)ニュートンが「提唱<したの>は、白色光はあらゆる色の光が混ざったものである、ということや、色彩が異なると屈折率も異なる、ということである。これは、当時の常識「光は本来白色である」「屈折されることで色を帯びる」を覆すものである。・・・<また、>凸レンズを用いた巧みな実験によって、膜の厚みと現れる色とが関係していることを数量的に示した。(この色彩現象は現在では「Newton’s ring ニュートン・リング」と呼ばれるようになっている)・・・<更に、>回折現象を扱っている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%AD%A6_(%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3)
 回折(かいせつ=diffraction)とは、「媒質中を伝わる波(または波動)に対し障害物が存在する時、波がその障害物の背後など、つまり一見すると幾何学的には到達できない領域に回り込んで伝わっていく現象のことを言う。1665年にイタリアの数学者・物理学者であったフランチェスコ・マリア・グリマルディにより初めて報告された。・・・回折は音波、水の波、電磁波(可視光やX線など)を含むあらゆる波について起こる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E6%8A%98
⇒ここも、先ほどと同じ印象を持ちましたね。(太田)
 この何十年かの間にあらゆることが変わったのであり、世界を理解するために用いられる言葉そのものさえも変わった、とウートンは強く主張する。
 実際、<この本>の諸前提の一つは、「諸観念の革命は言語における革命を必要とする」、というものだ。・・・」(A)
(続く)